第2話 聖女は玉座で我慢する
翌日。
いつもなら朝のお祈りをしている時間に、見慣れぬ場所へと連れて行かれた。
教会の中で一番広いらしい部屋には、大きな丸テーブルを中心に数えきれないほどの椅子が並んでいた。
そこに座る人々は何度か見たことがあるはずなのに、緊迫した表情は別人にしか見えなかった。
「挨拶は省略する。外交官、説明を」
隣に座る教祖様は、お美しい顔に青筋を走らせていた。
大衆の前では鉄面皮しか見せないはずなのに。
それほどの事態かと思えば、常時感じる眠気も鳴りを潜めている。
「はい……国王陛下に神託がくだったとのことです」
外交官の重々しい言葉に、室内は一気に騒然とした。
聞こえる音はやっぱり重々しく、なのにどんどん大きくなっていく。
神託といえば、神様からのお言葉だ。
そう分かっているからこそ、こそりと後ろに問いかける。
「ネネ、どうして教会じゃなくて国王様に神託が?」
「王族は創生の神の血を引くと教わったのでは? 眉唾ものですが」
背後に控えるネネの言葉は、相変わらず神を恐れぬものだ。
私、女神様に選ばれた聖女って話なんだけど?
とはいえ、神聖力が強いというだけで選ばれただけだ。
自分自身半信半疑だからあえて指摘するものでもない。
「――――静まりなさい」
凛とした声が響き渡ると、有象無象の言葉は一瞬でかき消えた。
教祖様とはこれほどの影響力があるものなのだ。
誰もが視線を合わせるから、私もちらりと目線を向ける。
「本日正午、国王の居城で神託開示が行われる。そこには我ら教会と……貴族どもも招かれている」
その言葉に、さっきよりも激しいどよめきが起こった。
今度は甲高く感情的なものばかりで、耳に刺さって頭が痛い。
二大勢力と呼ばれているのだから、両方招かれるのが普通でしょうに。
そんな考えはここでは一般的ではないらしく、教祖様が手を叩くまで静まらなかった。
政治的な軋轢はなかなか消えることはないのだろう。
教会に軟禁……ではなく招かれてから六年間。
一般庶民なら知り得ることのないことばかり知ってしまえば諦めもつく。
とはいえ、教祖様が不在というのは嬉しい知らせだ。
日課のお祈りさえすませば部屋でごろごろぐだぐだできるだろう。
こっそり集めた新聞を読み返すのもいいかもしれない。
そんな時間を想像してニマニマしていたら、予想外の言葉が続いた。
「神託開示に参席するのはわたくしと聖女シャーロット。皆の者、最大限の警戒態勢を敷くように!」
声高な宣言に聖騎士たちがびしりと敬礼をするけれど、まるでついていけない。
だって……え、私?
聖女になってから教会関係施設にしか行ったことのない私が?
国王様のお城に? なんで?
わけも分からず後ろを振り返ると、ネネは無表情で肩をすくめていた。
ネネが怒涛の勢いで身支度を整え、教祖様が津波のような忠告を言い。
質素に見えて最上級の聖女専用馬車に揺られた先には、絢爛豪華な王城があった。
田舎町で生まれ育った私にとって、それは物語の舞台のようだ。
清廉潔白な教会とは違い、歴史と温かみを感じる建物。
細かな装飾で彩られた馬車は、きっと王様たちを綺羅びやかな夜会へ運んで……。
「さきほどあった馬車は貴族たちのものですね。先を越されたと教祖様がご立腹でございました」
「私の夢を壊さないでくれる?」
「夢とは儚いものでしょう」
遅れてしまったのは私へのお小言が多すぎたせいだろう。
まったく、いくらぐうたらな私でも王様の前ではちゃんとするに決まってる。
とはいえ、別々に与えられた控え室でまで気を張る必要はないだろう。
見たことのない猫脚のソファに座り、ふっかふかの感触を楽しむ。
いいなぁ、こういうの。
教会は板張りの椅子ばかりだし、金糸の刺繍なんて考えられない。
年相応に贅沢を夢見る身としては、たまには堪能させて欲しい。
「注意が多いのは貴族たちがいるからですよ。敵対勢力に隙を見せたくないのでしょう」
「私には関係ないし。いつもみたいに黙って笑ってればいいんでしょ?」
誰かの前で口を開くのは教祖様の役目で、私は聖女として楚々としていればいい。
だというのに、ネネはことりと首を傾げた。
「本当に、それでいいのですか?」
意味深な態度を前に、ふと思考が巡っていく。
神託を開示するために、国王様は教会と貴族を呼んだ。
それも教祖様だけじゃなく、お飾りとはいえ聖女の私まで。
……そうか、教会から聖女がくるということは。
「勇者も……テオもくるの!?」
「いらっしゃるでしょうね」
がばりと身体を起こすと、ネネはこっくりと頷いた。
普段はすました顔をしているのに、口元にほんのり笑みが浮かんでいる。
教会の中で私とテオの関係を知っているのは一握り。
そして、今でも気持ちが向いていると知っているのはネネだけだ。
頭の理解に身体がじっくり反応し、胸がどきどきしてくる。
八年前、突然離れてしまった大事な幼馴染み。
その人とようやく会うことができるなんて……!
「ネネ! 私、この服で大丈夫? 地味じゃない? どこかでドレスでも借りられない!?」
「聖衣とは地味なものです。それと、ドレスなど着たらそのまま牢に直行でしょう」
「でも……すごく久しぶりに会うのに」
田舎町の小娘だった昔とは違う、大人になった私を見せたいのに。
ありのままを是とする教会ではおしゃれなど禁則だ。
生成りの布で作った簡素にもほどがある聖衣に肩を落とすと、するりと髪を手に取られた。
「シャーロット様はそのままでお可愛らしいですから、問題ありませんよ」
ネネの器用な手が私の髪をくるりくるりと絡ませる。
するといつも通り下ろしっぱなしだった髪に、小さな編み込みが加えられた。
私の髪でできているのだから、これもありのままの一種だろう。
精一杯のおしゃれをさせてくれたことが、素直に嬉しかった。
「ネネ……ありがとう」
「いいえ。服装よりもお顔の寝跡を気にするべきですが」
「えぇっ!? 嘘うそ、取って取って!」
「教祖様と別だからといって、馬車で寝るのが悪いのです」
「ごめんなさいっ、今日は夜まで寝ないから許してっ!」
「こんな日に昼寝をするつもりだったことに驚きです。さすがはシャーロット様」
しみじみと感心するネネに懇願してあらゆるマッサージをしてもらったあと。
ついに私たちにもお呼びがかかってしまった。
玉座の間、とはよく言ったものだ。
大聖堂より広く高い空間は、部屋というより場所と呼ぶべきだろう。
窓が小さいのは防犯意識の現れなのだろうか。
壁に沿ってぐるりと並ぶ近衛騎士の数は数十、もしくはもっといるのか。
そう思えるくらいの過剰な警備は、この国の重要人物が勢ぞろいするからだろう。
空っぽの玉座から一段下がった場所。
ふわふわの絨毯の上で膝を折り、下を向いて何分経っただろうか。
さっきよりもなお機嫌が悪くなった教祖様は、私にしか聞こえない声で呪詛を吐き続けている。
「おのれ国王め、わたくしに頭を下げさせるなどどういう了見をしているのかしら。
次の礼拝祭でどのような仕打ち、いや礼節を命じてくれようか……」
名目的には教会も貴族も国王様の下に位置している。
だから私にとってはなんの疑問も抱かないものだけど、プライド的な何かがあるらしい。
そんなことよりも……見えないなぁ。
玉座に向かって左側にいる私たちだけれど、反対側には貴族たちがいるはずだ。
想像でしかないのは、隣にいる教祖様が大いなる壁になっているから。
首を伸ばして覗き込もうとしたら、絶対零度の睨みで刺し殺されそうになった。
教祖様とはかくも偉大なものなのだ。
けど、ここで諦めるつもりはない。
きっと、まだチャンスはあるんだから。
衣擦れ一つ聞こえない玉座の間に、唐突に張りのある声が響き渡った。
「国王陛下のおなぁりっ!」
あれ、本当に言うんだ?
大きすぎる台詞に肩がビクリと震えたけど、教祖様も同じだったらしい。
悔しそうに眦を上げる横顔を見ていると、玉座の奥から真っ赤なマントが見えた。
「面を上げぃ」
深みのある厳かな声が国王様のものなのだろう。
これほどまでに立派な王城に住み、教祖様すら跪かせるお人はどんな姿なのか。
期待を込めて顔を上げた先には、ちんまりとした姿しか見えなかった。
これが……国王様?
小さなころに絵本で読んだ、大きな赤い鼻で鉱石を嗅ぎ当てるドワーフ。
記憶の中と瓜二つの見た目に思わず吹き出していた。
「「ぷはっ!」」
……て、私だけじゃない?
マグマのような怒りをたたえた教祖様の向こうでは、同じような雰囲気を感じる。
ただ、周りは誤魔化そうとしてえへんおほんと咳払いの嵐だ。
笑い声の正体を知りたかったけど、さすがにこの状況で再び首を伸ばすことはできなかった。
「これより、神託を開示する」
私と同じくらい小さな背で、厳しい顔つきで私たちを見回す赤鼻の国王様。
フンとふんぞり返る姿は微笑ましいのに、周りの空気はピリリとした。
「世界樹が、朽ちる」
たった一言に、ざわりとどよめきが起こった。
世界樹というのは、この世界を守護する巨大な樹木だ。
ただ、その姿を目にすることはほとんどない。
各地に点在しているものは世界樹の枝と呼ばれ、本体は王族のみが知る場所に隠されているのだという。
世界樹が朽ちれば世界は滅びる。
そう語り継がれたものは嘘か真か。
ただの伝説だと思っていたけれど、大人たちの動揺を見るに真実だったのだろう。
とんでもない事実を聞いてしまったとしても、実感するのは難しい。
ぼんやりと騒動を見守っていると、厳かな声がそれらを制した。
「手段は、ある」
短い言葉をわざわざ刻むのは神託なのか国王様なのか。
もったいぶった台詞は大いなる沈黙を挟み、さらにとんでもない事実を打ち出した。
「聖女と勇者が契りを結び、種を成せ」
…………ん?
今、私、呼ばれた?
聞き違いかと思って隣を見ると、教祖様の目が零れ落ちそうなほどに見開いていた。
いや、ほんと怖い。ころんと出てきそう。
ひぇっと思って身を引くと、ズダンと床を踏み鳴らす音が響いた。
「聖女を愚弄する気かしらっ!?」
「勇者をなんだと心得るっ!?」
それは教会と貴族、双方の代表者で、御前だからと跪く気は消え失せたらしい。
だったら私も姿勢を崩していいかな、疲れたし。
真面目についていた膝を崩し、つやつやの絨毯にぺたんと座る。
えーっと、そうそう……なんだっけ?
ぽけぇっと周りを見回すと、二人の代表者は怒りに燃えていた。
「世迷い言で我らを惑わすつもりか? 王ともあろう男が堕ちたものだなっ!」
「お、落ち着くのだ! これは歴とした神託であるからして!」
「誰が信じるものかしら? これだから創生神の末裔なんてろくでもないのよ!」
「何おうっ!? 儂は666代国王として神の言葉を正しく伝えているからして!」
ここにネネがいれば、建国三百年弱の国で666人も国王がいるはずないでしょう、なんて言うんだろう。
そんな現実逃避をしていると、いつの間にか大いなる壁が消え去っていた。
二つの勢力にふさわしい距離を保った場所に、眩いほどの存在があった。
真っ赤な絨毯の上に膝をつく、逞しい男性の身体。
玉座とあって、噂に名高い愛剣は帯刀はしていないらしい。
丈夫な麻を重ねた服の上には、急所に合わせて革の防具が付いている。
綺羅びやかさなんて欠片もないものは、数多の戦いを経験しているのだろう。
わずかな傷跡が見える肌は昔と変わらず日に焼けていて、健康的な色をしている。
そろりと上げた視線の先には、夜空のような黒髪とお月さまのような金色の瞳……は、なかった。
記憶の中より力強い、影のような黒髪と太陽のような瞳。
新聞で何度も描かれていた姿が、初めて色を持って私の前に現れた。
心臓がどきどきして、口から飛び出してしまいそうだ。
そんな比喩は本当にあるのだと感心しながら、震える唇をぎゅっと噛む。
声をかけても、いいだろうか。
わずかに腰を浮かしかけた時、一段上でわあっと声が上がった。
喧々諤々の論争は武力行使に至ったらしい。
国の三大権力者が取っ組み合いをはじめ、騎士たちが戸惑いながらも制止している。
うん……誰もが混乱している今ならいける!
今度こそと思ったのもつかの間、ラッパの音が高らかに鳴った。
「静まれ、静まれなされぇいっ!!」
それは国王の側近である宰相様のもので、急な爆音がこの場を制した。
三人もさすがに自分たちの行動を顧みたのだろう。
舌打ちとかため息とかは別として、最初の場所にぞろぞろと戻った。
大いなる壁が再建されてしまい、再び姿は隠される。
だけどそこにいるのは分かったんだ。
胸にこみ上げる熱いものを手で押さえていると、ツリ目の宰相様が朗々と口を開いた。
「一同、一旦ご退席を。夕刻に再び集まりましょう」
暴徒と化した代表者に判断をさせる訳にはいかない。
しごくまっとうな決断に、私たちは頷くほかなかった。
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