聖女と勇者は契らない

雪之

第1話 聖女は勇者に恋をする

 その国には一つの伝説が存在した。

 神に選ばれし勇者と聖女が悪しき魔物を討ち滅ぼし、世界を平和に導いた。

 遥か昔の物語は姿を変え、今もこの国の礎になっている。



 春うららかな午後の日差しは心地いい。

 椅子に座ってぼんやり窓の外を眺めていると、わざとらしい咳払いが響いた。

 そういえば、今は歴史研究家との懇談会中だったか。

 小さくあくびを噛み殺して視線を戻すと、退屈な話が再開した。


「――――という歴史の観点から、聖女という立場は偉大なるものなのです!」


 やんややんやの大拍手の先は演説者ではない。

 それもそのはず、大の大人が褒めそやしている相手は私だからだ。


「勇者など歴史の浅いまがい物よ! 我らがシャーロット様こそ救国の聖女なのだ!」


「シャーロット様バンザイ! バンザーイ!」


 毎度のことながらわざとらしい称賛を受け流し、楚々とした微笑みを返す。

 雪原のような銀髪に、新緑色の瞳。

 生まれ持った容姿は神秘的に見えるらしく、私の評価を底上げしてくれている。

 聖女シャーロット。それが、私の名前だ。



 退屈な時間のあとには、さらに気重な面会が控えていた。

 屈強な女聖騎士が守護する扉の前で髪を手ぐしでとかし、重い目を極力開いて気合いを入れる。

 そんな労力を認めてくれないのか、部屋の奥で鎮座ましましているお方は目を怒らせていた。


「ねぇ、シャーロット。貴女はいつになったらぐうたら聖女でなくなるのかしら?」


「来世じゃないですか」


「おだまりなさい!」


 普段は厳かな声しか出さないくせに、私の前だといつもこうだ。

 年齢不詳の魔女に見えるお人は、この教会の教祖様。

 六年前に教会に連れてこられた私にとって、保護者とも言える存在だ。

 髪や肌をほとんど隠しているというのに、今日もむせ返すほどの色気を感じる。


「昨今は忌ま忌ましい勇者連中が頭に乗っているというのに……ネネ、厳しく教育なさい!」


「かしこまりました」


 生真面目な声で答えたのは、私の背後に控えていた侍女のネネだ。

 茶色い髪をきっちり結い上げ、同じ色の目はキリリと鋭い。

 敬虔なる信者そのものの姿に苦笑が浮かびそうになったが、さすがにそれは隠しておいた。


 教会の中で二番目に奥まった部屋に戻ると、重たい服をどさりと脱ぎ捨てる。

 簡素なシュミーズに着替えてからソファに飛び込むと、クッションからはおひさまの匂いがした。

 真っ白な部屋は清潔そのものだけど、十六歳の淑女の部屋にしてはシンプルすぎることだろう。

 花瓶に生けられているのは聖花の百合だし、壁にかかった絵画は女神像だ。

 無駄なものなど一つもないというか、無駄なものしか置いていないというか。

 娯楽が皆無な部屋の中で楽しみなど食しかない。


「ネネ、こないだのクッキーは?」


「それはわたしがいただいておきました」


「じゃあ、昨日もらったパウンドケーキ」


「それもわたしがいただいておきました」


「だったらお昼にもらったプディングも……」


「もちろんわたしが……」


「ネネ、あなたは私の侍女だよね?」


 ぐうたら聖女に食いしん坊侍女。

 そんな本性は教祖様にしか知られていない。

 楽しみが消えたとなると、せっかくの午後をどう過ごせばいいのだろう。

 不満を表すためにじとりと見つめていると、どこからか紙束を取り出した。


「その代わりに、今朝の新聞を取り寄せてきました。勇者様の記事がありましたので」


「ほんと!?」


 だったら食べ物なんてどうでもいい。

 飛び上がって受け取った新聞には、ざらついた絵が描かれていた。

 郊外に出現したという魔物を倒した瞬間を切り取ったのだろうか。

 剣を構えた見目麗しい姿は、描き手の腕を高く評価してあげたい。

 ただ、白黒の線画ではその姿を想像することは難しいだろう。

 だけど私の頭の中には、夜空のような黒髪とお月さまのような金色の瞳が鮮明に浮かび上がった。


「テオ……元気にしてるんだ」


 勇者テオバルド。

 教会の人々が蛇蝎のごとく嫌っている存在は、私の幼馴染みだった。



 今は聖女として教会に住んでいる私だけれど、元々は小さな田舎町の生まれだ。

 そこはありがちなことに若者が少なく、子どもなんて町中で数える程度。

 二つ違いで生まれた私たちが仲良くなることなんて、太陽が昇るのと同じくらい当たり前だった。

 二人きりのおままごとにも照れながら付き合ってくれたし、私が大好きな絵本も一緒に読んでくれた。

 今思えば、遊び盛りの男の子には退屈だったに違いない。

 のんびり屋でちょっとどじな私と、活発で運動神経抜群のテオ。

 性別も性格も得意なことも正反対な私たちだけど、まるで兄妹のようだった。

 その気持ちが変わったのは、六年前の出来事がきっかけだった。


 町のすぐ近くにある森に妖精が住み着いたらしい。

 そんな噂話を聞きつけた私は、どうしても見たいと思ってしまった。

 もちろん大人は反対するだろう。

 幼いながらも分かっていた私は、夜にベッドを抜け出した。

 月明かりの眩しい日だから、ランタンだって必要ないだろう。

 寒くないようにとコートだけ羽織って窓から出た先には、小さな影が待ち構えていた。


「テオ? こんな時間にどうしたの?」


「ロティこそどうしたんだ。もう夜だぞ?」


「あの、ね……妖精さん……私、見たくて……」


 咎めるように顔をしかめられると、思わず胸がぎゅっとなる。

 パパやママに叱られるのは怖いけど、テオに叱られると悲しくなる。

 その理由は分からないけれど、コートを握りしめながら爪先を見つめた。

 テオは男の子のくせに、パパやママの言いつけは守るのだ。

 いたずらだってしないテオにとって、私はすっごく悪い子だろう。

 涙が浮かんでゆらゆらする視界の中に、小さな靴がじゃりっと近付いた。


「知ってる。でも、一人じゃ危ないだろ?」


「え……?」


 驚いて顔を上げると、テオがにっこりと笑っていた。

 よく見てみると、その服装は木こりのおじさんを手伝う時と同じだ。

 絶対に寝衣ではない格好を見つめていると、しぃっと人差し指をたてた。


「行くなら俺と一緒。いいな?」


 本当は一人は不安だったのだ。

 願ってもない提案に飛び跳ねそうになるのをこらえ、同じ仕草で笑いあった。


 町のすぐ近くとあって、その森は深くはない。

 けれど小さな子どもにとっては広大な場所で、夜になればさらにそう感じた。

 月明かりに照らされた獣道は少し不気味で、木々が揺れる音にも肩が震える。

 そんな私を気遣ってか、テオはしっかり手を握ってくれた。

 繋いだ手は温かくて、力強くて、夜の森すら怖くなくなる。

 秘密のピクニックのように感じられ、鼻歌だって出てきそうだった。


「ロティは妖精に会って、どうするんだ?」


「えっとね、んっとね……どうしよう?」


「会いたかっただけなのか? ロティらしいな」


「だって、すぅっごくきれいだって! お月さまの下で素敵なダンスをするんだって!」


「じゃあ、俺たちが拍手してあげような」


 なんて話をしながらの歩みは、そううまくいくはずはなかったのだ。

 夜の森など大人だって近付かない。

 その理由は、明確な危険が潜んでいるからだった。


「グルル……」


「テオ、お腹すいたの?」


「そんなわけ……」


 笑って否定しようとしたテオが立ち止まり、繋いだ手に力が入った。

 何が起こったのかという問いは、聞くまでもなく答えが現れる。

 獣道を塞ぐように立つのは、テオよりも大きな野犬の姿。

 猟師の飼う犬とは違い、穢れを帯びた濁った瞳をしていた。


「テオ……!」


 思わず呼びかけると、テオは野犬から私を隠すように向き直る。

 その手には小さなナイフが握られていたけれど、あまりにも非力だろう。

 手も、脚も、震えている。

 それは私だけじゃなく、テオだって同じだった。

 一歩、また一歩と近付く野犬に何ができるのか。

 恐怖に涙がこぼれた時、大きく真っ黒な獣が飛びかかってきた。

 

「ロティは……俺が守る!」


 奮い立たせるような声とともにナイフを突き出したけれど、それは毛皮を掠めただけ。

 むしろさらなる怒りを買ってしまったのか、うなり声とともに再び牙を向けられた。

 もう、駄目なんだ……!

 パパ、ママ、ごめんなさい。

 私の我が儘で、テオまで巻き込んでしまうなんて。

 最後にひと目見ようと必死に目蓋を開けると、ぎゅうっと強く抱きしめられた。

 私をすっぽり包んでくれる身体は、身を挺して守ろうとしてくれているのだろう。

 温かくて、力強くて、優しい。

 初めて感じた胸の高鳴りは、一回きりしか感じられないのか。

 しがみ付くように抱きついた途端……辺りが七色の光に覆われた。


 私が覚えているのはそこまで。

 気づいた時には自宅のベッドに寝かされて、それからテオと会うことはなかった。


 恐ろしくも懐かしい思い出から現実に戻り、手の届かない絵姿をそっと撫でる。

 もう、八年も前のことなのに。

 その時知った気持ちは今も私の中に残り、こうしてくすぶらせることしかできなかった。


「勇者様は類まれなる魔力をお持ちだとか」


「うん……十歳の測定より先に発現しちゃって、すぐに勇者認定が下っちゃったんだ」


「そのすぐあとにシャーロット様が、と。よほど恵まれた土地だったのでしょうか」


 真面目そうにずれた話をするネネにため息をつき、手の平を見つめる。

 意識せずともにじみ出る神聖力は十歳の測定で見つかってしまったのだ。

 一人きりになってすぐに気づいて、必死に隠したところで数字は誤魔化せなかった。

 結果、強すぎる力を持ってしまった私たちはそれぞれ別に保護されている。

 大人になれば、いつかは会えるって思ってたのに……。

 数えきれないほど落胆したはずなのに、こうして今も数が増えるばかりだった。


 この国には大きな勢力が二つある。

 聖女を擁する教会と、勇者を擁する貴族だ。

 二つは遥か昔から嫌いあい、いがみあい、潰しあい。

 脈々と受け継がれる不仲はもはや爆発寸前だ。

 そんな組織の旗印である私たちが顔を合わせるなど、天地がひっくり返らなければ実現しないだろう。

 だからこそ、こうして密かに、こっそり思いを馳せるしかないのだ。


「くれぐれも教祖様には知られませんよう。牢に監禁されてしまいますよ」


「そんなことは……」


 ないとは言い切れない。

 背筋がぞぞっとしたのを誤魔化すように、広げた新聞を丁寧に折りたたむ。

 退屈で窮屈で鬱屈した日々がこの先もずっと続くんだろう。

 そんな私の考えは、たった一晩で覆された。

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