第拾弐話
「我が校は決して動物園ではありません。勿論、サルを招き入れたつもりもありません。くれぐれも、発言には注意してください」
「い、いや、さっきのはジョークだったんだ……」
「へえー、ジョーク。皇国語で言うと冗談、悪ふざけ。その意味を理解した上で発言した――その認識で、間違いありませんか?」
「は、はい……」
彼は尻込みしながらも後退るが、彼女は逃がさぬとばかりに一歩、また一歩追い詰めて。
「では、一つお伝えしますが。相手がそれを冗談ではないと思ったその瞬間から、もう冗談として成り立っていません。周囲を楽しませるのが冗談だとしたら、先程のような発言は悪口と言います。どうやら皇国語の勉強、まだまだのようですね」
「は、はい……そのよう、ですね……」
瞳の奥が畏怖で揺れているのを確認した彼女はピタリと歩みを止め、微笑を深め。解放してあげると言わんばかりに、くるりと一転。
まるで束縛の魔法が解かれたかのように、共和国人が酸素欲しさに肩を上下させている。
年下の相手であろうとも一国の副総督に目を付けられては大変な目に遭う――そう直感的に理解したからだ。
「ここにいる皆さんにお伝えいたしますが、この由緒正しい食堂は食事の場でもあり、憩いの場でもあります。もし再びこのような騒ぎを起こした場合、該当の生徒に二度と食堂を利用できないよう、出禁に致します。よって、過度な言動を控えるよう、改めて生徒の皆さんにお願い申し上げます」
唐突の新しい厳罰が言い渡されても、ざわめく気配すらない。不気味な程に。
「尚、もし今後校内でこのような事態に遭遇した場合、被害者のみならず、目撃者も、是非生徒会にいらしてください。全力で取り組むことを、ここでお約束いたします」
会釈するクラリスに続いて、暁も頭を下げる。
大蔵と議論を交わす時に共和国側の行動を正当化するような人間の言葉など、如何せん説得力がない。まるで選挙が差し迫った時期に限って姿を現さない政治家のような嘘臭さに駿之介は思わず身構えた。
「手当てが必要な生徒は、必ず保健室に寄ってから教室に戻ってください――では、皆さんにオスズヒメ様の祝福がありますように」
目礼して立ち去るクラリスの三歩後ろに続く暁の後ろ姿。それはまるで、品のあるお嬢様とその一流執事のような風雅さに満ちた空間で固められ。見る人々が思わず溜息を漏らす程の優美の光景であった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
放課後とは言えど、今日に限って特別感が帯びる。普段織月神社でしかお目に掛かれないお方が家路を急ぐ生徒達に挨拶をしているからだ。
「巫女姫様、オスズヒメ様の導きがありますように」
「ええ、其方にオスズヒメ様のご加護があらんことを」
目礼一つと定型文の挨拶を投げ掛けると浮かれている皇国人の背を微笑ましく見送り、また次の生徒を見送り出す。
背後に控えている護衛二人の鋭利な眼光により、共和国人が寄り付かなくなるが、元々皇教でもない彼らが巫女姫様を接触する理由がない。
騒動の一件に加え、不慣れな学校生活にお疲れのはずが。その一片すら見せぬ徹底ぶりに流石皇国人の希望の星だと感服せざるを得ない。
目の前を行き過ぎる月華荘一行のじゃれ合う様子を羨ましそうに眺めていると、ふと真ん中の男と視線が合い、目礼を交わす。その後共和国人の女子にからかわれた彼の焦った顔にクスクスと笑う。
境内で偶然と出逢った彼と再会を果たしたが、別れの時も唐突であった。神様の代弁者の身ではあっても、もう一度逢えるように祈ってもそれが決して叶えられるはずもない。
だから彼女は胸中で芽吹き始める恋の花をそっと手折る。
それから二、三組の生徒と挨拶を交わしていると、
「巫女姫様、お時間が」
「え、もう?」
あっけなく今日という特別の一日の終わりが告げられた。最後の一組と挨拶を交わし校門で停めていた黒の高級車のドアを開けると、車内に充満していたタバコの煙に激しく咳き込む。
ハッと顔を上げると、帰途につくはずの皇国人が立ち止まっている。要らぬ心配を掛けまいと会釈一つしてから乗り込む。
「――そうだ。情報収集怠らず、慎重に事を運ぶんだ。今度こそ私を失望させないように」
淡々と指示し通話を終える白髪頭の老体とは似合わぬ冴え冴えした黒眼を持った老爺。全員が乗り込んだのを確認した後、運転手に出発との指示を出し、ハッと共に車体がゆっくりと前進。
「……」
そんな老爺のことを彼女は終始警戒心を剥き出しにしている。巫女姫様の眼前にも関わらず、紫煙を吐き出す彼が次第にこちらに深い皺の刻まれた顔を向けてきた。
「何だ」
「……そろそろ話してもいいと思いますけど、突然わたくしに学校に行かせた、その真意を」
「ああ、なんだ。それか」
ふうーと美味しそうに葉巻き煙草を吸い、目前の桜と瑠璃唐草の柄が印象的な木造りの杖に一瞥し、無遠慮に吐き出す。
「探し物だ」
「そうですか」
冷淡な口調と共に彼女は目を伏せるとすぐさまに「だが」という前置きに目線を戻される。窓の外を眺める黒眼の視線を辿り、窓の中に一瞬に映った月華荘一行が通り過ぎた。
彼女の顔に浮かび上がる憂いが一瞬。クックックという不愉快に極まりない笑い声に消されたのも一瞬。再び目を移すと、
「――それもじきに終わりそうだ」
珍しく上機嫌になった老体に巫女姫様は顔を曇らせた。
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