第拾話

 暗闇の帳が学食全体を覆い被さった瞬間、長らく待機していた男子二人が動き出した。オラオラと自前の上腕筋で人だかりに割り込み薙ぎ払う光風。遅れを取らないように懸命に背中を追い掛ける駿之介。

 押しのけられて怒った者もいれば押し倒された者もいるが。それらに構っていられない。何せ、非常用電源が復活するまであと一分も満たないからだ。

 切り込み隊長の光風が鋭敏な嗅覚で巫女姫様の匂いを辿りながら薙ぎ払っていくと、ピタッと一点に止まり。危うく駿之介がぶつかりそうになった。


「凄く神社とほんのりとした雌の匂い……おい、こっちだ!」


「ッ! だ、誰ですか!」


 声には緊迫の響きが混じっていたが、彼女の声に心酔していた彼なら聞き違いなんて凡ミスをしない。美しくて可愛くて素敵で可憐な少女が眼前にいると思うと、踊り出そうとする心を抑え込みつつも確認する。


「失礼ですが、巫女姫様でよろしいでしょうか」


「え、ええ、そうでございますが……」


「御免ッ」


 軽々しく彼女を抱き上げると、小さな悲鳴が耳元で流れる。

 相変わらずお美しい声であらせられるが、一刻も早く安全場所にまで連れて行かないと。


「確保したぞ!」


「了解! オラオラオラァ、このオレ様に道を開けなああァ!」


 雄叫びに向かって突っ走る駿之介は大事な保護対象を落とさないように更に力を込める。

 全ては上手く行った――そう彼は確信した。

 上手く行ったら月華荘に帰って祝賀会でもしよう――おめでたい未来が脳内で広がるその時、


『二人共、その先に護衛がいるよ! 逃げてっ!』


「護衛だと!?」


 柚の切羽詰まった声が鼓膜に突き刺さり動転する駿之介。そんな彼の声量にビクッとなった巫女姫様。

 いよいよ光明が差す出口の方に視線を持ち上げると、彼らを待ち構えている屈強な護衛二人を視認して焦燥感に駆られる。


 マズいマズいマズいマズい。

 無事確保した後の作戦を考えるどころか、視野にすら入れてなどいなかったのが裏目に出た。大人しく護衛に引き渡せれば処罰が軽くなるだろうか――彼の脳内が保身的な思考で充満するその時。


「大丈夫!」


 ハッとなり顔を上げる。

 視線の先、相方の笑顔が実に眩しい。一体どこからそんな自信が来るのか、見ていて羨ましく思う。


「オレに任せて、早く巫女姫様を安全な場所に避難してくれ!」


『みっちゃん、煙持ってる?』


「そんな洒落たモン、持ってるわけがねえだろう!」


『じゃあ、そっちに援護回るね! 三分稼げる?』


「へっ、任せときなっ!」


『柚ちん、こっちの位置に合わせて切り替えられそ?』


『でも今停電中だから、カメラ動かないはずでは……』


『いや、今時の防犯用の映像記録装置ならそのような対策されてるっぽいから、一応、切り替えた方がいいかも』


『分かった、やってみる……!』


『オッケー! じゃあ援護お願いね。今度は時間を精いっぱい延ばして!』


『ういっす!』


「助かる!」


 突然の問題が起きてもすぐ対処できる柔軟さとチームの強い結束力に、改めて感心した。皆と一緒ならどこに行っても何をやっても成し遂げる――そんな心強い安心感をもたらしてくれる彼らと一緒なら。

 外に出てしまえば、今まで味方にしていた暗闇がなくなる。それでも、やることは変わらない。

 何としてでも彼女を守り抜かなければ――!


「止まれ!」


 出口を立ち塞がる巨躯の護衛達に迷わず突っ込む二人。彼らを止めるのに必死なのか、それとも単なる経験不足なのか――右側の方はがら空きの状態に気付かずとは。


「しっかり掴んでくださいね――本部、こっちのフォローもよろしく」


「え? きゃっ」


 すかさず飛び込んで本館に向かって全力疾走。しまった、といった顔をする護衛が駿之介の首根っこを目掛けて腕を伸ばすその時――。


「おっと、このオレ様がいることを忘れちゃあ困るぜ」


 無理矢理身体をねじ込ませ、間に割って邪魔する光風は間合いに警戒しながらも不敵に笑う。


「チッ、学生風情が。我々の仕事を邪魔するとはオスズヒメ様への不敬と受け取っても良いんだな!」


「宗教宗教うるせえなあおい! テメエらの仕事はなんだ! 巫女姫様を護るじゃねえのか! 追っかけないでタイマン勝負とか、随分といいご身分だなあおい! そんな曖昧なモンに一生を棒に、尻尾を振りてえテメエらの腐った性根を、このオレ様が直々に叩き直してやる――覚悟するんだなあ!」


 武器がない代わりに拳を構える光風の目には一筋殺気立った光。剣幕に気押されたかのように、怖気づいた護衛がもう一人とヒソヒソと話し合いになるが、


「相手は皇国人一人だけか」


「人数はこちらの方が多い。今の内に――」


「助太刀いいい、参上おおおぉぉー!」


 甲高い声がそれを許せるはずもなかった。

 相手の気が逸らしたほんの一瞬。その隙を見逃さず、現場はたちまち煙に包まれた。


「なんだ?!」


「急に煙が……」


 認知した刹那、彼らは既に術中に嵌った。二人が激しく咳き込んでいる隙に、細い腕が光風の手首に向かって伸ばす。

 ギョッとした光風に詰め寄ったのは、普段の彼女とはらしかぬ真剣な面持ち。


「今の内に逃げるのよ、みっちゃん!」


「はあ? っざけんな、コイツらをぶっ倒してから――」


「目標達成したんだからいーの。余計なことをすると却って返り討ちに遭うだけだよ。まさか、?」


 視界が悪い中でも色鮮やかな碧眼に迫られ、思わず顎を引く光風の目に僅かな後ろめたさの色が帯び始める。

 まだあの時のことを許していないんだからね、とでも言いたげな透き通った碧の双眸から彼は顔ごとを逸らし舌打ち一つ。


「わーったよ。ほら、ずらかるぞ。遅れんなよ!」


「にしし、そっちこそ!」


 戦場には似合わぬ悪戯っぽい笑みを湛える夏目は二つの煙玉を取り出し、左右に投げ煙の範囲を広がる。翻弄される屈強な護衛達を背に二人は煙に紛れて逃走。


「待ってえ! ゴホゴホッ」


 制止の声が虚しく響き渡っただけであった――。








※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※









「ここまで逃げれば多分大丈夫だろう……」


 息を切らしながらも窓から覗いて追手の確認をする駿之介。

 二人が上手く撹乱したおかげで無事難を逃れたのはいいものの、あれ以来何の連絡もなかったから酷く心配だ。まさか二人は護衛にやられたのでは――負の思考になる前に妹の声が割って入る。


『こちら本部。司令官(仮)、現状を報告してください。どうぞ』


「こちら司令官(仮)。対象を無事保護した。追手も追ってこない感じかな。どうぞ」


『こちら本部。では、これにて全フェーズが終了しました。皆さん、お疲れ様でした。どうぞ』


 張り詰めていた緊張の糸が緩めたと同時に労いの言葉が飛び交う。


「皆、お疲れ。俺一人だったらきっとここまで来れなかったと思う。だから助けてくれてありがとう」


『なあに、いいってことよ! またいつかやりたいくらいだぜ!』


『まあ、みっちゃんのように暴れはしないけど、いつかこの面子でやりたいのは、確かだね』


『だから、みっちゃんと呼ぶんじゃねえ!』


「それじゃ一旦切る。こっちが済ましたら後で合流するわ」


『うーい』

 

 夏目の気楽な声を最後にプツプツと小さな機械音が後に続く。

 作戦が終了した――そう考えるだけで感慨深いものがある。これで会話を辿る必要も、ループの発生に恐れる必要もなくなった。

 通話を切るか。そう思った矢先に彼の両手は塞がれていることに今更ながらも気付いた。


「あっすみません、今下ろします」


 慌てて謝罪して彼女を降ろす。傷の一つも付けさせないように、ゆっくりと。

 おみ足が着地した瞬間、すぐに距離を取られたが次第に緩んでいく。

 瘦身を辿り、緩慢に視線を持ち上げる。目をぱちくりさせている巫女姫様のご尊顔に思わず笑みが零れてしまう。


「ふふふ、助けて頂いたのは、貴方様でしたか」 


「お久しぶりです、巫女姫様。このような無礼をしてしまい、誠に申し訳ございません」


 片膝をつけ恭しく頭を下げる。こちらの礼儀作法は分からないがこれで事足りるだろう。先日と今日の無礼を詫びるには。


「……どうか、顔を上げてください」


 沈黙の後に流れる寂しさの濃い声音に彼は徐に指示に従うと、力無き微笑に胸が引き締められる。彼女が目上だと判明した以上、それ相応の礼儀を振る舞うべきだというのに、悲しい表情をされたらまるでこちらの方が悪人みたいだ。

 もしかして彼女がこういうの、あまりお気に召さないだろうか。


「貴方様にお礼を言いたいのです。助けて頂いたお礼に何かして欲しいことがございましたら、遠慮なく申し上げてください」


「では、その、おこがましい願いになるかもしれないですが……」


 低姿勢から立ち上がると、こちらの要望にこくりを頷かれた。

 流石巫女姫様だ。お御心も寛大なことで。


「ええ、大丈夫ですよ。わたくしの可能な範囲内でございましたら」


「その……巫女姫様の名前を知りたいんですが……よろしいでしょうか?」


 え、と大きく見開かれることに数秒後、唇からは上品な笑いが漏れ出る。


「面白い方でございますね、貴方は」


「えっと……何かおかしなことを言ったのでしょうか?」


「いいえ。ただ、今までずっと巫女姫様として慕われてきましたから、本名を出す場面などございませんでしたので」


 巫女姫様が小首を振り居住まいを正し、ゆっくりと胸元に手を運び。ご自身が身に付けている宝石の装飾よりも燦々と輝く微笑みを湛えながら――。


「わたくしは小清水こしみず小清水柔音こしみずやわねでございます」

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