第肆話

 食べ終わって早速捜索再開。しかしどれだけ徘徊しても、段々深めていく夜に焦燥ばかりが募る。柚に『まだ調子が悪いから晩ご飯はいらない』的な内容のメッセージを送ったのは一先ず良しとしよう。

 けれど仮にも仮病で学校を休んでいる身が夜になっても帰らないのでは流石に色々とマズいのではと思ったが。もし今日中に例の不審人物と接触しなければ元の子もない。

 次のループにでも有利に進めるように、どんな無茶してでも不審人物を探さなければいけない。だというのに、


「もしかして推理間違ったのでは……」


 駿之介はようやくもう一つの可能性に気付いた。

 現役刑事の言葉なら多分大丈夫だ。そう安心した数時間前の自分をぶん殴りたくなる。謎推理という可能性も思い浮かばないとは真のアホになったつもりかと己を罵りたくなった。が、過ぎ去ったことに今更気にしても仕方がない。


 そう割り切ったのは良かったものの、人の往来が激しくなった上によく酔っ払いに絡まれるようになった。

 そのせいで難易度がどんどん上がり、これ以上の捜索は難しく感じた。ただでさえこちらは素人だ。どこか見逃した可能性だってあるかもしれない。


(いっそのこと、諦めてどっかの店に入って一人酒に耽っていても悪くもないな)


 一度甘美の味を知った大人にとって、この状況は生殺しみたいなものだ。周りの雰囲気に呑まれて誘惑に負けそうになるのも頷ける。

 だけどいくら中身が腐り切ったおじさんだとしても、身体は未成年のそれだ。おいそれとは飲酒してはいけない立場にある。さもなければ、法律に違反することになって更なる厄介事に巻き込まれることだってあるかもしれない。


「いや、そもそもここの法律はどうなってるのか。一度調べてみる価値はありそうだ」


 スマホで時間確認しては眉を顰める。


「っげ、もう22時半過ぎたか。余計に帰り辛くなるなぁ」


 内心で嘆息し、頭の中で改めて状況整理する駿之介。

 もしこのままに行けば、『皇国に着いた翌日に仮病を使って登校拒否した挙句に夜の街に繰り出すヤバい転校生』というとんでもないイメージが付くことになる。

 それでは折角の好印象付けが台無しだ。


「早くループ来ないかな……」


 まだ目的を果たしていないのに彼の心中は早々に諦めモード。一層のこと不審人物と接触せず、このままズルズルと引きずっていればワンチャンあるかもしれない。

 それだと勇にはもう一度命懸けのフリーフォールをやってもらうことになるが、と内心で苦笑するその時。


「ちょっ、離してって言ってんでしょっ!」


 なんだ、とスマホを仕舞って声の方に向ける。

 道路の向こう側、薄暗い路地裏の入り口。声を張り上げたのはどうやら深紅のパーカーの少女のようだ。

 深くフードを被っているため、顔まで分からないが怒声からして間違いなく気の強い少女のそれと似る。


「へへへ、いいじゃん〜。奢ってやったんだからちょっとぐらい付き合ってくれても」


「同族の誼で一応忠告しとくけどさぁ。コイツのパパは軍の中でもとても偉い人なんだから、あんまり抵抗しない方が身のためだぜ」


「気色悪ッ」


 明確な侮蔑の声を向けられても、二つの陰湿な笑みを深める追加要素でしかないと知りながらも更なるの抵抗を試みる彼女。けれど、歴然とした力の差を前にどうすることもできず、結局虚しくよじるだけ。

 可哀想とは思ったが、事情も事情だけにこちらも下手に首を突っ込むわけにもいかず、代わりに周囲を観察。


(こんな胸糞悪い事態を前にしても知らぬ存ぜぬで押し通すか。本当、気味が悪いな)


 そう内心で吐き捨ても胸中にあるドス黒い感情が際限なく湧き上がり、道端の飲んだくれを睨み付ける。

 少女が叫んだ辺りからわざと談笑する声を大きくする周りの酔漢にも、我が身可愛さに赤の他人を見殺しにできる周囲の腐った性根にも、そして自分自身にも反吐が出る。


「まあまあ、イヤよイヤよも好きの内って言うじゃん? ほら、行こうぜ」


「痛ぁ……っ。嫌だって言ってるのにコイツ……ッ!」


 酔っ払い達が少女を暗い路地裏に連れ込もうとするも、相手が共和国人である故に見てみぬフリをする皇国人。改めて月華荘の連中の温かさに有難く感じたが、同時にこんな利己的な環境に身を置いているという事実に嫌気が差す。


 だけど事情はどうであれ、こちとらは外から来た人間だ。

 関わらない方が賢明だ――過去の教訓が脳内で警鐘を鳴らしている。

 けれど、どうしてだろうか。

 彼女から目を逸らしてはいけない、と。無視してはいけない、と。

 今まで一度も役に立ったことがなかった直感が強く訴えた。確かに彼女は勇が挙げた人物像とは似通っている部分も多い。だけど、


(俺とは関係ない。関係ないことだ)


 騒動から目を逸らし、通行人みたく保身に走る。

 もし彼女を助けたとしてもきっとその場凌ぎでしかならないだろう。一度でも助けたら何度も助けることになる。

 赤の他人を最後まで助けるという重い責任を、果たして一介の高校生に背負えるのだろうか。

 それに、皇国のことについてまだ知らないことが多すぎる。

 大丈夫、今回は諦めて次回に賭ければ。自身に沢山の言い訳を浴びせた彼が苦渋の決断をしたその時──ある女子の声が脳裏で響いた。


『助けて』


「ッ!」


 ああ、嫌だ。

 いつまで経っても振り解けない過去の記憶が。忘れたくても忘れられない古傷が執念深く追い掛ける。


『助けて……ください……■■』


 八つ裂きにされた鞄。散乱した中身。ガックリと項垂れる全身びしょ濡れの女子高生の姿。戦意喪失の声。

 思い出す度に心臓が締められ息苦しくなる。

 どうすれば。一体どうすればこの罪から逃れられるんだ。

 どうもがいても匐い上ることができぬ暗い穴に落下していく。そんな彼に救いの手を差し伸べ引き上がるのは──。


『大丈夫。きっと、上手く行くわ……』


 いつでも導く慈愛に満ちた声音。

 同じ歩幅で歩く傘を差す女性の横顔はどこまでも優しく、どこまでも儚く──。



「クソッ!」


 気付けば騒動の中心に疾走していた。

 『あれだけ辛い思いをしてきたのにまだ正義感だけで行動するとは滑稽だ』――過去の詰責が無謀な今を嗤う。

 ああ全く、ド正論過ぎて反吐が出そうだ。

 でもな、いつまでも過去に引きずっていりゃあ――


(――いつまでも経っても乗り越えねえだろうがっ!!)


 臆病な心に喝を入れ、過去の自分ぼうれいを振り払い突き進む。どう足掻いても過去はもう変えられない。だからこそ悔いのない方を選ばなければ。同じ過ちをしないためにも。


「テメエら、今すぐその子を放しなあ」


「ああ? なんだあ皇国人サル。共和国人様とやり合うってのかあ? あん?」


 ドスの効いた声を同様に返す酔っ払いに睨みを効かせても一切通じず、血が煮えくり返るようだ。

 売り言葉に買い言葉。相手が酔っ払ってはいるとは言え、本来あるはずの余裕ぶりも寛大さも、許容量が極端に少ない。


 懐に飛び込んで少女の手首を掴んだ男を目掛けて渾身の右ストレート。男の鼻面はクリーンヒットし、相手の前歯が理由で拳骨から血が出る。

 シミュレーションをしたことがなかった分、あっさりと倒されることに思わず鼻で笑った。もう片方は急展開に頭が追い付かず、突っ立っているまま。そのまま勢いに乗じて彼は少女の手を掴んだ。


「おい、走るぞ」


「え? きゃっ」


 少女の手を掴み脇目も振らず、駆け出す駿之介。やがて二人の後ろ姿が群衆に紛れ込んだ後、何もなかったかのように街も元の賑わいに戻った。

 闇夜を照らす月の微笑は、今日も美しかった──。









※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※









「やれやれ、原始人の癖にエンジンが掛かるの遅すぎです」


 路地裏の物陰から一部始終を見守っていた勇はスマホを起動。もっとも彼が必死に不審人物を探した時から彼女はずっと別のことをやっていた。言うなれば、最初から捜索に貢献しなかったである。


「これで、監視カメラの改竄が完了しました。ふむ、まだまだ検証したいことがありますが今晩はこの辺りでいいでしょう。ご協力、感謝します」


 さて、と背中を壁から離し、二人と鉢合わせしないように敢えて別方向へ。

 前の世界で目を付けていた宿泊先に行くには些か遠回りになるが、思考を整理するには丁度いい。これからの行動方針を決めるにも。

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