第参話

 十二畳程の畳敷きの寝室に感嘆の声を上げる駿之介。今までが洋室だった分、新鮮味は十二分にあった。

 ここでも深紅の差し色が使われているとは、もしかしてオーナーのお気に入りの色だろうか。それにベランダに出ればいつでも海を見れるというおまけ付き。寝る前に夜の海を眺めるというのも一興だ。

 こんな好条件の揃った部屋は中々ない。

 

(もし賃貸なら、月に7万。いや、10万も下らないだろうな……)


 駿之介の感想はさておくとして、寝室にもテレビの存在が確認されたわけだが。同時に彼の自論が間違ったのだという証明にもなった。

 文明は何百年も遅れるのではなかったのか、という疑問がポツリと思い浮かぶ。しかし、


「どうじゃ、初めて皇国風の部屋は?」


「はい、やはり日本人の本質と言うべきか。畳の匂いを嗅ぐと、何故かとても落ち着きますね」


「そうじゃろそうじゃろ。わざわざ本土の材料を取り寄せて作ってもらったんじゃからのう~」

 

 大石に感想を聞かれ、思考の遮断を余儀なくされた。

 元々床座生活を想定した部屋だったのか、テレビや座卓が揃っているものの、気持ちよく凭れる椅子がないのは唯一の気掛かりだ。


(まあ、それは追々揃うとして……)


 適当なところにリュックを置き、テレビの横にある襖を指差す。


「あそこの部屋は……?」


「ああ、元々物置きじゃったがもう使われなくなってのう〜。今はただの空き部屋じゃ。好きに使っても良い」


 実際に少し開けてみたら彼女の言う通りだった。ただ日通しは悪く、少し埃臭い感じの。

 こりゃあ定期的に換気しなければいけないな、と早くも今後の生活に面倒くさがって内心溜息吐いたところで、


「まあ、かわいい女子おなごを匿うのにはもってこいの場所ではあるじゃがのう~」


 襖を閉めるこちらの背中に向けてまたとんでもない変態発言をぶち込む大石にすかさず応戦。


「絶対しませんっ。第一、それだと誘拐になるじゃないですか。立派な犯罪ですよ」


「そんなもの、後で了承を得られれば何の問題もなかろう」


「管理人がそんなこと言って大丈夫ですか……」


 おほほほほ、ととぼけて出口に向かう大石を見送るように付いていく。


「ではわしは下におる故、何が必要なものがあったら遠慮せず申しておくれ。もう家族じゃからのう~」


 『家族』。

 特定な単語が砂嵐のような雑音へと変化し、脳内で不協和音と成す。それでも気付かれるわけにもいかず、笑顔を維持し頭を垂れる。


「お気遣い、ありがとうございます」


「ではのう~」


 その台詞と共に襖が閉められ、明るい鼻歌が遠ざかっていく。深々と下げた頭が上げると、ゾッとする冷却しきった顔が表れてきた。

 『家族』。本当になるつもりならわざわざ二度も言わないはずだ。本当にそれは安心させるためのものなのか、それとも何か別の意味が含まれているのか。


(いずれにせよ、慎重に過ごした方が良さそうだ)










※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※










「全く、折角わしがぱすたーを犠牲にしたのに、あやつらまだ帰って来ぬとは一体どういうことじゃ」


「犠牲にもなってませんし、そんな約束を交わしたこともありません。わたしを悪者に仕立て上げようとしないでください」


 ぐぬぬぬぬ、と低く唸る大石の姿を横目で確認し、テレビに視線を戻す駿之介。

 新しい住人が入ってきた夜にしか食卓の上で姿を現さない一品、すき焼き。これは月華荘が建設された日から始まった伝統だと聞くが、今はそれを気にするどころではない。


『若者を中心に絶大な人気を見せている、皇国史上初の女性楽団、別名ガールズバンド『はみだしこ』。今更聞けない彼女達の人気のワケを、私達は今回の特集で迫りました』


(せめて楽団なのかバンドなのか、ハッキリにしろ)


 早速日本語の壁にぶつかるとは。黒髪の女性キャスターの誇らしげな微笑に、駿之介は顔を曇らせた。

 「楽団なのにバンドって一体どういうこっちゃ!」、といった批判的なクレームが放送局に殺到するだろう。もっとも、ここが現代日本ならの話になるが。

 おまけにチャンネルは国営放送の一つしかないという二重パンチ。まだ初日すら乗り越えていないのに、もう皇国の闇の片鱗を垣間見ることになるとは。

 これから先が大変そう――内心で嘆息したところで玄関の方から二つの「ただいまー」が聞こえて、慌ててテレビを消す駿之介。


「むっ、この匂いは……! くんくんくん、なんか知らない雄と雌の匂いがするぜええええ!」


「あっ、ちょっとみっちゃんッ」


 ドドドドドドッという足音が鳴り響く。音にビックリして振り向くと、猛牛のような男が障子戸に現れ。不意に視線が合った。合ってしまったのだ。


「おおおお、ついに、ついにっ! 男が入ってきたぜええー! うおおおお、兄弟よおおおお!!」


 感極まった余りに爽快に上着を脱ぎ捨て、腕を広げてはこちらに急接近。

 ふと、数分後の自分の未来が脳裏によぎった。


 凶器:腕。死因:立派な上腕二頭筋による窒息死。

 ダサすぎる死に方ではあるが、それが運命ならば甘んじて受け――。


「受け入れてたまるかあ! 人を見るなりいきなり脱ぐな! 誰だお前はっ!」


 生存本能を原動力に飛び上がる。駿之介の急変は隣の柚を驚かせてしまったようだが、まずは目の前のへんたいを対処せねば。

 だが男は落ち込んだりはしなかった。むしろ、厚い胸筋を反ったのだ。『その台詞、待ってました!』と言わんばかりに。


「このオレ様は誰だあ?? へッ、よーく聞いておけ! 鬼剣きけん光風みつかぜってのぁこのオレ様、鬼塚光風おにづかみつかぜのことだ! よろしくな、兄弟!!」


「よ、よろしく……」


 なんだこの厚かましい野郎は。そんな感想がちらつく――その刹那。


「もう、みっちゃん。初対面の人を殺しに掛からないでよー。あっ、もしみっちゃんにソッチ気がおアリだったら止めはしないけどね~。止めは」


 軽快な足取りと共に障子戸の後ろから顔を覗かせる、金のツインテールを揺らす少女。


「テメエ久遠くおん、どさくさにみっちゃんと呼ぶんじゃねえ!」


 にゃはははと笑う彼女の口から八重歯がイタズラっぽく覗く。自分の可愛さを引き立たせるような肩出しコーデ――紛うことなき『洋服』そのものだ。他の町民や住人の属性とは相容れないはずの彼女に、完全硬直になった駿之介の躰。

 脳内で響くテレビの砂嵐が過去の記憶を引っ張り出す――。

 過去の記憶が頭を駆け巡る――。


『ギャハハハ、今時■■■■とかあり得ないですけど。昭和かっつーの』


『プッ、どうせ■■が■■■を殺した癖に今更何をぶっこいても無駄無駄』


『ねえ、■■■全員に無視されて今どんな気持ち? ねえねえ、どんな気持ち? ■■■■■■■■■』


 額から噴き出す冷や汗。悟られぬように必死に隠す手の震え。


「へへ、どうもどーも。共和国人と皇国人のハーフの夏目久遠なつめくおんでぇーす! って、人種はあんま関係ないか。あはは、とまあよろしく~おんね~♪」


「よ、よろしく……」


 絞り出された声でハッとした。いつの間にか視線が地面に落ちていて、逆に彼女に申し訳なさでいっぱいで直視すらできない。

 彼自身も分かっていたのだ。こんなことをしても逆に彼女を傷付けるだけだと。他人に心配されぬように自然に振る舞うべきだと。


 けれどトラウマの奔流に逆らえず、気付けば身体が震え上がっていたのだ。

 相手に気付かれませんようにと願うも、碧眼が小さく見開き。兄の異変に柚も小首を捻り。事態が彼の願望とはそぐわぬ方向に進行している――その時。


「では、全員が揃ったことじゃし、夕餉にしようかのう~」


 幼い声一つで悪化しかけた空気を霧散させたおかげで、今までの息詰まるような圧迫感が取れてやっと一息つける。それぞれが着席した後、いよいよ晩餐の幕開けの時が訪れた。


「光風おぬし、やりよったのう~。わしの陣地に侵入した不届き者を追い返すのじゃああー!」


「テメエ久遠! どうして会長殿に寝返りやがった!」


「それはね……会長殿から賄賂を受けちゃったからさ! にひひひ、恨みっこなしだよ、みっちゃん!」


「だからみっちゃんと呼ぶんじゃねえ!!」


「ちょっと皆さん! まだまだお肉は沢山ありますから、もっと普通に食べてくださいよおー!!」


 肉争奪戦を繰り広げる年長者三人、そんな彼らを叱る小夜。黙々と食べていたはずなのに何故か柚にまで飛び火してオロオロしている。

 大人数との食事。笑い溢れる食卓。

 確かに騒々しいではあるが、全然嫌悪感がないのは実に不思議なものだ。

 まるで『何も考えないで、今を目いっぱい楽しもう』と誘われているようで羨ましく思う。


 彼らと同じ空気を吸っているはずなのに全く実感が湧かず。

 いつしか自分のことをどこか遠い場所から冷めた目で見ていた。まるで映画でも眺めているようなそんな感覚。

 こんな温かい場所に居てもいいだろうか――罪悪感じみた感想がよぎり、幼き日の追想が脳裏に浮かぶ。


『子供っていうのは、実に面倒な生き物だ』


『くだらん。こんなマズい飯作るくらいなら、もっと勉強に励んではどうだ』


 ブリーフケースを片手に家を出て行く男の背中を今でも忘れない。忘れるわけがない。家族を見捨てた男を忘れてたまるか。

 沸々と黒いものが込み上げようとする刹那の瞬間――妹の声で現実に引っ張られた。


「ど、どうした」


「いや、なんか駿兄、顔色悪そうだけど……大丈夫?」


「だ、大丈夫だ。俺のことなんかよりもほい、ちゃんと野菜も食べないとめーだぞ」


「ああーん、よりにもよってシイタケだなんて!」


 心配されまいと彼は食べ進めてみせたが、全く味がしなくなった。

 ご飯が進む甘辛味の煮汁も。口中に広がる牛肉の旨味も。

 楽しむものがいつしか腹を詰めるだけの行為と化したが、それでも彼は楽しく談笑している皆に愛想笑いを振り撒き、美味しく食べるフリを続けざるを得なかった。

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