第七話 鬼

——月日は流れ……


 桃太郎は、十四歳になっていた。

 一回りも二回りも大きくなった桃太郎が山を駆けていた。

 もちろんいつもの犬と猿も一緒である。

 クマの周りを駆け回り、何度も吠えて牽制する、シロ。

 鞭を巧みに操り、木立から木立に飛んで、弓をつがえる、エテ吉。

 追い詰められる、クマ。

 その正面に仁王立ちする、桃太郎。

 そして、上段に構えた刀を、かちっと返す。

「俺は雲取山の桃太郎! 覚悟しろ!」

 このところ、クマが集落に降りてきて田畑を荒らし、時には人を襲っていた。

 今日はその退治に来たのだ。

 飛び上がった桃太郎は、クマの脳天に刀を振り下ろす。

 ぐわしゃ!

 鈍い音を立ててクマの頭蓋骨は叩き割られた。

 絶命するクマ……。

「見事だ! お前たち」

 いつのまにか師匠、弁慶が背後にいた。


「お前たちに教えることは、もう何もない」

 はじめて会った日から四年の歳月が経っていた。

 そう言った弁慶は、桃太郎に刀を授けた。

「おおっ、師匠!」

 刀を宙にかざし、拳を突き上げる、桃太郎。

 シロには、ウサミが絹で作った前掛け、その真ん中に「忠」と刺繍されているそれを、首に掛けてやる。そして、耳元で二、三言葉をかける。

 恭しく頭を下げるシロ。

 エテ吉には、これまたウサミの作った、絹の雑嚢袋を腰に巻いてやった。

 その時、弁慶は、エテ吉の耳元で囁いた。

「……エテ吉よ。よく聞け」

 桃太郎とシロはそれぞれ授けられたものを比べあってはしゃいでいる。

「桃太郎は、見てのとおり素直でいい少年だ。シロも真面目でよく気を張っている」

 弁慶は、言葉を切った。

「ただ、気掛かりは、二人とも一本気が強すぎる。これは美徳にもなるが欠点にもなる。わかるな。エテ吉」

 黙って頷いた。

 エテ吉は常々、あの二人からどこか危うさを感じていたのだ。

「エテ吉、お前は周りの見える奴だ。だからな、何かあった時は、お前が臨機応変に……、諸事、執り行え」

 ——諸事、執り行え……。

 再び、エテ吉は頷いた。


「師匠、いいべべ着てるけど、どこかに行くのか?」

 桃太郎は言った。

「うむ。以前、エテ吉が申しておった、京(みやこ)の薬師を訪ねる手筈だ」

 京の嵐山からやって来たエテ吉は、下鴨神社近くの唐土の薬師が評判が良い旨、弁慶に告げていた。記憶が正しければその薬師は、インキンタムシの専門であった。

「京に上るんですね」

「……近ごろインキンの具合が悪うなってしもうてな」

 そう言うと弁慶は、褌(ふんどし)から釈迦如来一式を放り出した。

「うわっ! お師匠はん、そんなもん見せんでよろしいわ……」

 弁慶の釈迦如来は、真っ赤に爛れ、ところどころ血が滲んでいた。

「お前たちには、俺のすべてを授けた。だが、すべては真剣を交えてこそ、真価を発揮する。剣は、弱きものを救うため振うものである。決して、己の欲のためであってはならん。忘れるでないぞ」

 散々、刀欲しさに真剣勝負して来た弁慶は、言い切った。

「はい! 師匠!」

 風に揺れる、釈迦如来。

 元気よく応える弟子たち……。

 こうして弁慶は、インキンの秘薬を求め京へ旅立った。


「桃、やたらと機嫌ええやんけ」

「まあな、あのクマを討ち取ったからな」

「四年前は、ボクたち逃げ回っていたから、隔世の感がありますね」

 弁慶を見送った桃太郎たちは、集落へ向かっていた。クマを退治したこと、これからも安心して暮らせることなど、集落に伝えるためである。

 それと桃太郎には、別に用件があった。

 ——クマを倒したんだ。

 握る拳に力が籠る……。


「桃、聞いたよ。クマをやっつけたんだって!? すごいね!」

 桃太郎、クマを倒す、の知らせはウサミたちによって、すでに集落にもたらされていた。

「……ん? あ、ああ……」

「?」

 キヨの褒め言葉にも、どこか上の空の桃太郎である。

 四年前、キヨに釈迦如来を見られた時から考えていたこと……。

 ——ええい、ままよ……!

 桃太郎は彼女の前に一歩、進み出た。

 見つめ合う、少年、そして少女……。

 ただ、あの時と違うことがある。

 一つは、クマを倒すほどの男になったこと。もう一つは、釈迦如来がうっかり顔を出さないように褌を縛り上げていること、である。

「キ、キヨ……」

 頬を染めたキヨは、両の手を前で揃え、佇んでいる。

「ゆ、行く末は、俺と、めおとにならないか……」

 キヨは、にっこりと微笑んで、頷いた……。


「そうか、そうか、キヨと夫婦にのう……」

 熊一は、強かに酔っていた。

 夕暮れ時の雲取山、カラスが一声、二声鳴くその麓……。

 桃太郎に、老夫婦、シロ、エテ吉、一家は庭で鍋を囲んでいた。

「どれ、離れをもう一つ建てようかの」

 桃太郎は来年、十五歳になる。公家で言うところの元服である。この時代、その歳で結婚するのはなにも珍しいことではない。

「京に負けない御殿を建てましょう!」張り切るシロ。

「京、京って、どんだけでかいか知ってんのか」嵐山の猿、エテ吉は呆れる。

「お前ら、今日は喧嘩は無しな」

 そう言うと桃太郎は、木片を焚き火にくべる。

 その木片を見てエテ吉は叫んだ。

「おい、桃! それオレが描いたキヨの艶絵やんけ!」

 桃太郎は、離れにどっさりと積み上げられた木片、エテ吉の描いたキヨの艶絵を今夜の焚き火に使っていた。

 これで離れを広々と使える。

「ああ、もう要らないだろう?」

「いやアホか! お前がいらんでもオレにはまだ必要なんや!」

「エテ吉、諦めなさい」諭す、シロ。

「うるさいわ! こら、やめんかい……」

 桃太郎から艶絵を奪い取ろうとする、エテ吉。

 その腕を絡め取り、放り投げる、桃太郎。

 くるりと宙で回転して着地する、エテ吉。

 桃太郎のそばで行儀よくお座りする、シロ。

 忙しなく右往左往する、ニワトリ。

「やるか!」

 喧嘩という名の、じゃれあいが始まった。

 その様子をカラスたちは見届けると、思い思いに鳴いて、夕日に旅立った……。


 その日、山深い奥多摩の夜、闇の帷がもっとも厚く、深くなる頃……


 どん! どん! どんっ!


 誰かが離れを激しく叩く。

 皆、飛び起きた。

「桃太郎! 大変!」

 声でそれがウサミと知れた。

「鬼が、鬼が……」

 絶句するウサミ。

「奥多摩の集落を襲ったのよ!」

 

 ウサミの知らせを聞いて、桃太郎たちは、文字どおり飛んで集落にやって来た。

 桃太郎は松明を掲げ、辺りを見回す。

 奥多摩の集落は、あちらこちらの家が壊され、童たちが泣き叫んでいた。

 キヨ……!

 桃太郎の目が泳ぐ。シロとエテ吉に他家の様子見を任せ、キヨの家へ急ぐ。

 その家は傾き、中から弟たちの泣き声が聞こえる。

 桃太郎は中に飛び込んだ。

「桃にいちゃん、おっ母が、おっ母が……」

「お前たち、無事だったか。母ちゃんがどうした!?」

「……鬼に喰われた……」

 そう言ってまた激しく泣き始めた。

 土間の隅に、這う男がいた。

 キヨの父である。抱き上げる桃太郎。

「も、桃か……」

「おじさん! 大丈夫か!?」

 腹が抉られ、内臓が飛び出している。一見して長くはない。

「キ、キヨが……」

 あまりのことに気が動転していた桃太郎は、肝心のキヨが見当たらないことにこの時、気がついた。

「キヨは、どこだ!?」

 キヨの父は最後の力を振り絞った。

「お、鬼に連れ去られた……」

 そう言って、こと切れた。

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