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王都周辺の
北部から野を、森を、河を焼いて南下したところで、ぷっつりと進行が途切れている。
それ以外の地域に変化は無い。
今や物流の要衝たる王都から、人が散っていくまであった。災禍の中心が潜んでいる。
そんな噂が流れ始めた。
それが、タガネが来てから数日の間に囁かれる話である。
タガネは王城の宛がわれた部屋にいた。
床でレインと背中合わせに座り、ヴリトラに関する過去の文献を確認する。敵の所在は王都、それは前例からの推察ができた。
ヴリトラは歩く干害。
存在するだけで万物を乾燥させる。
つまり、別の地域で新しい情報が無い以上、異様な乾季の続く王都周辺が所在地である。
だが。伝承によれば小山に匹敵する巨躯。蠢く大河、白い鱗皮、砦を呑む口と記されている。
如何に偉容であるかありありとわかる内容だが、実際のところヴリトラの実像を見た者は、誰一人としていない。
北部では、遠くに首をもたげる影を見たとあるが、王都が間近となった地域から忽然と姿を消している。文献にも、姿を消すような力の存在は見当たらなかった。
前例が、頼りにならない。
「面倒なこって」
「めん、どー?」
「うるせえ」
タガネの背後で遊んでいる。
レインは片時も傍を離れない。それを嫌がられているとも悟らず、ただひしと体の一部のように引っ付く。
最初の二日は粘ったが、諦観していくに連れて、首筋に抱きついてくるのも許容した。無論、鬱陶しくて時折払いのけるが。
タガネは資料を乱雑に床に放った。
「そろそろ茶番の時間か」
茶番――とは会議のことである。
蔑む第一王子と、憤怒のマリア、何を考えているか判らない魔法使いのミスト、自他共に認める面倒臭い厳しさが評判の騎士団団長。
この曲者四名との会議は、もはや会議ですら無い。
始終タガネを罵る二人と、何も喋らないミスト、そして団長の説教で大体終わってしまう。
実のある話は一度もしたことがない。タガネも口を開かず黙るのが普通になっていた。
それが始まる。
「さて、動くかね」
「ん」
「待ってろ。すぐ戻る」
服を強く引くレイン。
タガネは優しく払って立ち上がった。
あれから摂食も増え、体は幼児らしい丸みを帯びてきた。
至って健康状態……のはずである。
「大人しくしてろよ」
「ん」
「よし」
タガネはそう注意して、部屋を辞した。
手を振って見送るレインの姿も恒例だった。
三階の会議室へとゆっくり向かう。
その途中の階段で、マリアと遭遇した。タガネを見咎めるまで、涼やかだった麗人が、瞬く間に険のある空気をまとう。
これも、かなり見慣れた。
「何じっと見てるの?」
「いや。黙ってりゃ美事なんだがな」
「は? 今ばかにしたでしょ」
「やれやれ」
タガネは早足でマリアを追い越した。
すると、負けじと追随してくる。また近寄るなと難癖を付けられると思っていたタガネは、予想外にも張り合う彼女に驚く。
歩調を緩める。
マリアは横を猛然と過ぎて行って――途中で止まって身を翻す。
「ちょっと、諦めないでよ!」
「ガキか」
「何事もアンタに勝ってないと気がすまないの」
「自分で言ってて、みみっちく無いのか」
「う、うっさいわね!」
タガネは嘲けるように笑った。
マリアは怒りで上気させた頬を膨らませ、ゆっくりと歩くタガネが隣に並ぶまで睨む。
そして再び歩調を合わせた。
「いい?合図したら始めるわよ」
「勝手にやってろ」
「や・る・の・よ?」
「……面倒なこって」
「走るのは反則よ。あ、ただし剣での妨害は認めるわ!」
「おまえ……」
タガネは呆れてマリアを見る。
期待で目を輝かせていた。
廊下で決闘に発展しても、吝かでは無いどころか望外の好機とさえ考えている。見え透いた喜びに、そっとタガネは口を噤む。
マリアが囁いた。
「いくわよ」
「ああ」
「さん、にー、いち……始め!」
会議室までの競歩が始まった。
結果は……マリアの不戦勝だった。
会議室の前で歩いて追いついたタガネは合流する。
最初から走る気が無いので、猛進していくマリアを見送っていたのだ。
悠々と到着したタガネに、彼女は爛々と目を光らせている。
「なに諦めてんのよ!」
「やる、とは言ってない」
「剣を抜きなさい!」
「もう疲れた」
タガネは彼女を無視して扉を開く。
マリアも渋々と後続しようとして――悲鳴を上げた。
「痛いいたいいたいいたいいたい!」
「廊下は……走るな!」
マリアの奇声にタガネは振り返る。
そこに、背後からマリアの頭をわし掴みにした騎士団団長が立っていた。獅子の
「それでも副団長か、マリア!」
「も、申し訳ありません……」
「じゃ、俺は先に」
「貴様もだ」
「は?」
「マリアを焚き付けるような言動をしおって……」
「何で俺が」
「貴様も同罪だ!」
部屋の前で二人は説教を受け、後に合流した哀れむ第一王子の視線を受け止めながら会議に参加した。
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