第23話 継母

 アレックスはメアリーを〈皇妃の館〉の私室近くまで送ってやった。ひんやりと冷えた廊下をメアリーと一緒に歩いていると、先の方に人影が見えた。貴婦人が二人、立ち話をしている。きぬれの音がする。

 皇妃とアビゲイルだった。アビゲイルは娘の失踪しっそうに顔を蒼くしていた。


 メアリーがアレックスのそでを引っ張ると、愉しそうに笑い声を上げた。九歳の女の子にとっては、母親たちが必死になっているのが喜劇でしかなかったのだ。


 最初にヘレナが振り返った。メアリーの捜索にかかりきりになっていたのだろう。盛装のまま、夜着に着替えてもいない。見つけるなり、きつい感じの目元を少しだけ緩めて、メアリーの手を取った。


「メアリー!一体どこに行っていたのかしら」


 メアリーは皇妃を見上げるとオズオズと微笑んだ。見る者の庇護欲ひごよくをかき立てるような、可愛らしい笑い方だ。

 アレックスはメアリーの変貌ぶりにやりきれなくなる。メアリーはヘレナの秘蔵ひぞだった。


 唯一の救いはアビゲイルが感謝の雨あられを降らせてくれたことだ。よっぽど心配していたのだろう。メアリーにマントを被せてやって抱きしめると、皇妃の陰からしきりにお礼を言ってくる。


「りんごの木の下で皇子殿下を待っていたんです。それが殿下の習慣ですから。でも今日は暗くなるまでお会いできませんでした」

 メアリーが落ち着き払って答える。


「あなたはどこに行ってたの?」

 ヘレナが冷ややかな様子で皇子に向き直った。


「〈兵舎〉の方に。マティアス・トルナドーレに会うためです、義母上ははうえ

 アレックスが簡潔に答える。

 ヘレナは憎々しげに義理の息子を見つめた。敵を吟味ぎんみするように、長い時間。


 アレックスは見目麗みめうるわしい若者だった。背の高い金髪碧眼きんぱつへきがんの青年である。非の打ち所がない後継ぎとも言われていた。ヘレナはアレックスを目のかたきにして冷遇れいぐうした。


義母上ははうえではなく、皇后陛下とお呼びなさい」

 皇妃が熱帯夜も、寒風かんぷうすさぶ冬の嵐に変えてしまうほどの、氷のように冷たい声で言った。


「仰せのままに、皇后陛下」

 アレックスが返事をする。顔色ひとつ変えなかった。


 彼にとっても、皇妃の理不尽な扱いは屈辱だったに違いない。だが、アレックスは辛抱強く、形式だけでも皇妃には逆らわなかった。リチャードはヘレナがいくら口をっぱくして言い聞かせようとも後継者を変えはしない。アレックスには確信があった。父が生きている限りヘレナはアレックスに手出しできないし、死後には長男が皇帝の位につく。いくらヘレナといえども、アレックスにひざまずかないわけにはいかない。そうなったらヘレナもおしまいだ。


「一体幼いメアリーを長時間待たせて、どういうつもりなんですか」

 ヘレナが責めるような口調で言う。


「皇妃様、うちのメアリーが悪うございます。皇子殿下との約束もなしに勝手に待っていたのですから。どうか娘のことでアレックス様を責めないでください」

 アビゲイルが割って入って言った。隣でメアリーが悪びれない顔をしている。


 皇妃も何か思い直したようでそれ以上アレックスにきつく当たらなかった。

「これからどこ行くの?」

 最後にそれだけ聞いて。


「リリィに会いに行きます。約束したんです」

 アレックスはそう答えると、きびすを返して、その場を去った。


「あの子とリリィって、気味が悪いほど仲良しね。吐き気がするほど。まるで……そうね、近親相姦きんしんそうかん的よ」

 ヘレナはアレックスの去りゆく背中を険しい顔で見つめていた。

 アビゲイルはうつむいて何も言わなかった。メアリーは皇妃が何を言っているのかわからない。今のところは空腹しか頭になかった。

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