第10話 包帯と針仕事

 リリィとメアリーがイリヤ城に戻るともうお祭り騒ぎだった。戦地から帰ってきた男たちは勝利も逃して疲れた顔をしている。が、家族の姿を見るなり思わず顔を綻ばせて、温かい抱擁ほうようを交わしに駆け寄ってゆく。


 皇女とメアリーも、馬に乗って城内に入場してくる騎士たちの中にある人を探していた。一人はジョンの弟マティアス・トルナドーレで二人目はメアリーの父リー・トマスだ。騎士や兵士が行進する通りは同じように家族を探す群衆でごった返している。女たちもみんなが血眼になって家族を探していた。


「いたわ!マティアス!」

 最初にリリィが黄色い声を上げた。

 リリィは安心した。まさかマティアスが戦地で命を落とすようなことはない、と信じてはいたのだが、心の奥底では心配していたのだ。

 マティアスは騎士たちに混じって、馬上で行進を続けている。リリィの声に反応してマティアスがこちらを向く。ずいぶんと日焼けしていた。

「あらマティアス……」

 メアリーが小声で言う。

 マティアスは二人に投げキスを送ると、口元を綻ばせた。リリィも満面の笑みで投げキスを返す。

「追いかけていったら話せるかしら」

 リリィが夢中になって言う。

「さあ。私は残って父を待つわ」

 メアリーは蒼白い顔をしていた。リリィは途端に心配になる。

「私も残ってリーに一声かけるわ。マティアスは無事だってわかったんですもの。きっとマティアスの方から会いにきてくれるから」

「ありがとう」

 メアリーがすっかり色を失った声で礼を言った。リリィがなんてことないのよ、と言ってメアリーの背中をさする。それでもメアリーは堅い笑みを浮かべるだけだ。


 リーは片腕を負傷していた。傷口に化膿かのうはなく、数週間で完治する見込みだ。リリィとメアリーで傷病室に押しかけ、リーとの会話を試みた。肝心のリーはむっつりと黙り込んでいて迷惑そうな顔をしている。


「パパが戻ってきて嬉しいわ」

 メアリーがやつれた顔に涙を浮かべて言った。リーが面を上げて、娘に一瞥いちべつ、くれる。だが、口はきかなかった。腕には大仰おおぎょうに白い包帯が巻かれている。

「怪我はひどいの?痛む?」

 メアリーがなおも気遣わしげな口調できく。

「少しな」リーが重々しく口を開いた。「だが致命傷ではない。心配なんてしてくれるな。なあ、俺は戦場から帰ってきて疲れてるんだ。お前も母親のところに行くといい。あいつもお前と話したがっているだろう。皇女だってここでは退屈なさる」

「退屈だなんてちっとも!普段からもっと話す機会があれば、と思っているんですもの。でも、あなたも疲れてらっしゃるみたいですから、言う通りにアビゲイルのところに参ります」

 リリィがすかさず言った。


 廊下に出ると、メアリーは小さくため息をついた。リリィが親友の腕を取って、速足で歩き出す。メアリーは見るからに落ち込んでいた。リリィだって、時々リーを扱いづらいと思う。口で是と言ったことを腹の中では非と思うような男である。皇女でさえこの感じ方だ。リーが父親ならさぞ苦労することだろう。


 アビゲイルは皇女の私室の隣の部屋にいた。たおやかな身振りで二人を迎え入れ、針仕事を進めながら世間話などする。平生通りの彼女である。美しく、背が高く、柔和で、艶やかな赤毛のアビゲイル。それでも、心に引っかかった。アビゲイルが疲れているような気がしたのだ。疲れているというか、怯えているような。

 乳母は伏し目がちに、流れるようにお喋りをする。二年前の凱旋のこと、メアリーの背丈の話、アレックス皇子の馬の話、最近やってきたお針子の腕が素晴らしい、とか。リリィが呆然と見つめていると、アビゲイルはしきりに瞬きして、刹那せつな口をつぐんだ。


「ママ、話し過ぎよ」メアリーが言った。「退屈しちゃう。私たち、マティアスのところに行くわ。彼、無事だったのよ」

 リリィはアビゲイルの頬にキスして、メアリーとともに部屋を出た。廊下で二人はホッと一息つく。アビゲイルのお喋りには参ってしまった。病的なものがあったから。

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