第3話 海と断崖
皇帝の住まうイリヤ城は、海に面した
〈兵舎〉の向こうには演習場がある。地方からやってきた若者たちを一人前の兵士として鍛え上げるための場所である。訓練は
皇女の一番の話し相手はメアリーだった。メアリーは控えめな性格のリリィとは対照的に、強気の野心家である。二人の友情に首を
季節は春。
「海で泳ぎたいわ」
リリィが
「泳ぎに行けばいいのに」
メアリーが眠たげな
「行けないわ。お母様にもターナー先生にも禁止されているもの。兵隊たちと鉢合わせでもしたら、一生お父様に顔向けできないでしょ」
リリィはそう言いながらも、母や家庭教師の言いつけを守るのが、アホらしくなるのだった。特にこういう暖かい部屋でまどろんでいる時は……。そういう時、規則も秩序も人生さえも無意味に思えてくる。発作のようなものだ。
「行けないなんてことないわ」メアリーが食い下がった。「今すぐにだって、ここから抜け出して泳ぎに行けるのに。外を見てごらんなさい。なんて美しい情景かしら。水平線の向こうに沈みゆく夕日と、茜色の海。広い広い海岸には、
「きれいね。本当にきれいな眺め。こんなに切実な想いってないわ。でも誘惑しないでちょうだい」
リリィはあまりの美しさジンと胸が熱くなって、湿った声を出した。メアリーが隣を見ると、皇女は夢見心地の目をして、遥か遠くを見つめている。
「あら、私は乗り気なのに」
メアリーは相方が消極的なのにうずうずした。リリィったら、いつでも慎重派なのだ。人の言いなりになってばかりで。行動しない理由をあれこれ考えているうちに、おばあちゃんになってしまうに違いない。こうなったらリリィを無理やりにでも海岸に連れ出さなければ気が済まなくなった。
「乗り気ですって。ねえ、あなただって海に入ったらいけないわ。まだ春で寒いし、『美しい体つきのなんとかさん達』と一緒に遊ぶわけにはいかないもの。ちょっと向こうみずが過ぎることはないかしら」
リリィが皮肉を込めて言う。おませな親友に水をさしてやろう、と意地悪な考えが頭をもたげたのだ。
「たかが兵士よ。こちらと話す権利だってないのよ。そんな子たちが私達に何かできると思う?怖がってないで泳ぎに行きましょうよ。ドレントじゃ、花嫁に結婚前に川の上流から下流までひと泳ぎさせるそうよ。泳がなきゃ持参金を倍支払わないといけないの。イリヤの皇女の花婿候補はまずドレントから、じゃなかったかしら」
「
「あら、あたし嘘なんて言ってないわ」メアリーがムキになって言い返す。「王子だって十年後には成人してる。花嫁が泳ぐって、アレックスがそう言ってたのよ。あなたのお兄様が間違ったことを言うと思う?」
リリィはメアリーが強気なので言い返す気が失せてしまった。
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