課金ヒーロー! リッチマン!!(小説版)

mk-2

第1話 何気ない日々

「…………金が無い…………。」




 ――ぼろく、朽ちかけたような埃と木材の淀んだ空気が立ち込める屋根裏部屋の角。





 そこのそのまたボロボロのベッドの上。自分の財布の中を眺めて、その青年は虚無の目をして……『最初からクライマックス』などというネット用語が悲しいぐらいしっくりくるほど終末的なことを呟いた。




 とっくに寿命が来て、あちこち繊維がほつれたり破けたりしている安物の革財布の中には、1000円紙幣が3枚。つまり3000円。





 それ以外にめぼしいお金は彼の手元には無かった。硬貨も綺麗さっぱり無いし、足しになるようなポイントカードやクーポン券やらの類いすら無かった。





 あまりの所持金の少なさに青年は大きな溜め息を漏らした。





 ――屋根裏部屋の小さな窓から、雲が切れたのだろうか。途端に明るい朝の陽が射してきた。もう多くの人々が日常生活を始める為に動いている時間だ。





「――――はあ~っ……財布の中見て鬱になってても仕方ねえ、か…………バイトだバイト~……」





 ――今ここで嘆こうが喚こうが所持金は増えてはくれない。彼は一旦、己を憐れむのをやめて飛び起き、屋根裏部屋を木製の梯子をくだって下の階に降りて行った。






「――――おう、起きたか。遅えぞ。」






 ――屋根裏部屋をくだった先は、コーヒーと食用油などの匂いが鼻をつく小さな喫茶店だった。






 初老の、この喫茶店のマスターと思しき男が、しかめっ面で青年に話しかけた。






「………………。」





 数秒、マスターと見つめ合う青年。





「――フッ……。」





 何を思ったか、青年は歩き方に癖を付けながらカウンター席に歩み寄り、まるで何処かの映画俳優のようにスタイリッシュな動きで椅子に座った。





 そして、肘をついて気障で気取ったポーズを取りながら、低く渋いイケボイスに声色を作りながら言った。





「――――マスター。いつもの朝のプレミアムブレンドコーヒーをいっぱ――――」





 ――そこまで言いかけたあたりで……マスターは容赦なく、たまたま手に持っていたグラスに入った冷水を、青年の顔面に思いっ切り引っかけた!





「――――ぶっ!? うっわッ!! 冷ってっ!!」





 ――今は春先。まだ結構な寒さを感じる時期。青年は一瞬前までの気取ったイケメンオーラを派手に崩して顔面にかけられた水の冷たさに驚く。





「――ウチにプレミアムなんちゃら、なんてメニューはねえよ。忘れたんか?」






「――ち、違うってよオ~っ! おっちゃ~ん! 気分が鬱屈してっから、ちょっと気取ってテンション上げてみたかっただけだってよお~っ!! 水ぶっかけなくても――」





「目え醒まさしてやったんだよ、ボケ。寝ぼけてるようなら、熱湯の方がいいか? おヒヤよりコーヒーより効くぜ?」





 言葉だけ聞くとキツいが、マスターの声色は優しさから来る嘆きの念が強かった。『全く、しょうがねえな、こいつは』といった風情で。グラスを置いて頭をボリボリと掻いたのち、告げる。





「……本っ当におめえは…………もう25にこないだなったばっかだってのに、まだまだ精神的にガキだなあ。ふざけてねえで、とっととエプロンしてバイト始めろ――――『ヨウヘイ』!!」





「……へ~い……。」






 ヨウヘイと呼ばれた青年は、調子はずれな自らの醜態に露骨にしょぼくれた顔をしつつ、エプロンを取りに行った。そう。彼はここのバイト従業員なのだ――





 >>





 エプロンを着た彼は食器類の準備と、食材の確認、そしてこの店にとって一番の売りであるコーヒーの仕込みを手伝った。





「――なあ、カジタのおっちゃ~ん……」






「――もう開店時間だぜ。営業中は『マスター』と呼べーい。何度も言わせんじゃあねえ~。」






 情けないトーンでマスター……本名をカジタと言う、に話しかけるヨウヘイ。後ろめたいことなのか、実にばつが悪そうに声が出たが、思い切って逆に愛想笑いをしながら切り出した。






「――なあ、マスター……もっと給料上げてくれよ~。頼むぜ! 今月マジでピンチなんだよォ。」






 財布の中身を思い返しながら、情けない風情だが切実な賃上げの嘆願。だが、カジタは手元から目を離すことも無く毅然と返す。





「……半人前がナマ言ってんじゃあねえ~っ。それより、肝心のコーヒーの仕込み終わったんか? 給料アップならそこが肝心だな。」






「わーかってるっつーの!! 今持ってくトコだから…………」






 ヨウヘイは実に子供っぽく不機嫌な声色で不機嫌に言いながらも、速やかに自分がサイフォンで淹れたコーヒーのカップを、カジタの前に差し出した。





 黙って、カジタはコーヒーを一口啜る。





「……どうよ…………!?」





 期待を込めた面持ちで訊くヨウヘイだったが、カジタはすぐに首を横に振った。






「……駄目だな……この店で出す及第点まで、まだまだ仕事の覚え方が足りねえ。この分じゃあ給料アップはまだまだ先の話なこった……」





「――だあ~っ…………マジかよォ~…………。」





 残念そうに天を仰ぐヨウヘイ。





 だが、カジタはコーヒーカップを傍らに置いたのち、ヨウヘイに向き合って静かに語り始めた。






「……なあ、ヨウヘイよ…………今月、本当にそんなにピンチなのか?」





「――へっ?」





「どれ、ジャンプしてみろ。ジャンプジャンプ。少年のように。」






「親父狩り・狩りか何かかよっ!? ほ、本当にねえんだって――――ほら!!」





 ヨウヘイは近くに置いていた鞄から、先ほどの財布と銀行通帳を取り出し、ハッキリとカジタに見せた。





「……『こりゃあ酷え有り様だな』、だろ? 1000円札が3枚。かつて文豪のおっさんの顔が刷られてた紙幣がたった3枚だぜ。当然通帳残高もゼロ。」





 カジタは、眉根を顰めてひと息唸った。





「……そうみてえだな。ちっ、仕方ねえ…………これ、貰っとけ!」






「え……」





 ――見かねたカジタは、自分の財布から10000円札を3枚、30000円をヨウヘイの財布に捻じ込んできた。






「――臨時収入だ。それで、ちったあ身だしなみぐれえは気ぃ使え。ズボンはシミだらけだし、シャツもぼろいじゃあねえか。従業員に貧乏丸出しで歩かれちゃあ、客も遠のくからよ……」






「――マジで? いいの? ……あ、ありがと……おっちゃん。」






 ――――見る人によっては甘いと見えるかもしれないが、カジタは本来の優しさに加え、実はヨウヘイに特別な親心のようなものを抱いていた。





 ヨウヘイは幼くして既に両親は亡く、みなしごとなった彼は成年後見人制度で父親と縁があったカジタのもとに引き取られた。





 成年後見人制度は精々18歳を過ぎると期限が切れてしまうが…………カジタはかつての友人であったヨウヘイの父と懇意であり、温情を以て慈悲深くも現在25歳になるヨウヘイを今まで居候として店に住まわせ、仕事を与えているのだった。




 ――ヨウヘイは年齢の割りに子供っぽい青年だが、同時に他人から掛けられる情けに素直に感謝する純な面もあった。瞳を潤ませ、カジタの優しさに感じ入って感謝と罪悪感の目を向ける。




「……何だ、その顔は……あっ、マスターと呼べとさっきも言ったろうが! 全くよお……」





 ――カジタ自身も素直に親愛の情を面に出すのが苦手なやや無愛想な男であったため、気恥ずかしくなってヨウヘイに背を向ける。






 ――――と、そこへちょうど玄関のドアが開き、今日の最初の客が来たようだ。ドアに括りつけてある鈴の音が鳴る。





「――おっ。いらっしゃーい!! 客が来たぞ。ほれ! 挨拶! 駆け足!!」





「――お、おう……」





 カジタに促されるまま、ヨウヘイは財布を仕舞って、駆け足で接客へ向かった。





「――――どうも…………。」






 ――入って来た客は、何やら気だるげな雰囲気を纏った、金髪で白衣を着た美女だった――――

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