太鼓橋を通る

夏目海

第1話 じいちゃんのお葬式

 俺たちの乗る車はいよいよ太鼓橋に差し掛かろうとしていた。


「振り返っちゃダメよ」

 母親がいつものように言った。


「なんで振り返っちゃダメなんだよ」

 俺はいつものように笑った。意味のない慣習に田舎の人達は囚われている。心ではバカにしながら、俺もいつも前だけを見据える。


 じいちゃんの余命3時間の報せに、関東にいた俺は卒論を放り出して新幹線で駆けつけた。85歳。十分往生だろう。


 今日はじいちゃんの葬式。会場に到着すると、母親に受付係をやれと言われ、俺と姉の瑠璃は受付場所に行った。


 近所の人たちや親戚がぞろぞろと集まってくる。


「あらぁ、真紘君?大きくなったわねぇ」と知らないおばあさんに言われた。


「あ、どうも」


「東京で農業の勉強をしているんだって?すごいわねぇ」


 俺は戸惑った。面倒だから、はい、と答えたが、大学は神奈川で、専攻は工学。田舎の人にとって関東はすべて東京。じいちゃんは、なぜか俺が農業の勉強をしていると思い込み、周りに自慢していた。


「あら、これは?」


 おばあさんは机の上に飾られた白黒写真を指差した。山頂でカッコつけた若い男性の写真だ。


「それは祖父です」と姉が笑った。「祖父がこの写真を遺影にしてくれって生前言っていたんです。でも20代の頃の写真ですからねぇ」 


 この写真は、祖母の遺影の裏に保管されていた。


「幸子さんとの新婚旅行の時の写真かしらね。あら、あなたはお姉ちゃんの瑠璃ちゃんね。美人さんになって。武雄さん、瑠璃ちゃんがお嫁には行くところ見たかったでしょうねぇ」


「そうですねぇ」と姉は苦笑いをした。


 おばあさんが去った後「誰?」と俺は聞いた。


「近所の古田さんだよ、ほら学校の裏に住んでる」


「ああ!あの災害ボランティアの人か!」と俺は言った。


 じいちゃんの葬式は思い出話に花が咲く和やかな式だった。唯一、じいちゃんの兄、一郎さんは終始辛そうな表情をしていた。


「ようがんばってくれたなぁ。お疲れさん」


 最後のお別れの際、一郎さんは、ついに耐えきれず泣いた。俺も少しだけもらい泣きした。


 帰宅すると疲れがどっと出た。俺は、葬式会場から持って帰った苺を食べ、終わりの見えない卒論を書きながら、気づくと泣いていた。


「あれ、泣いてんの?」

 瑠璃が俺の様子を見て笑った。


「いたのかよ」


「ずっといたよ。式じゃ一郎さんも泣いてたね」と瑠璃は言った。「無理もないよねぇ。あんなに仲良かった兄弟みんなに先立たれたんだから」


「奥様方も引き連れて兄弟旅行してるとか相当仲良いよな」と俺は笑った。


「葬式にたくさんの人に集まってもらって羨ましいなぁ。おまけに死に際には駆けつけてくれる孫がいるんだよ」


「自画自賛かよ」と俺は言った。「俺はちょっとビビったよ。いつか俺がこの家継ぐんだなって思うとじいちゃん家を守るために相当頑張ったんだろうなって」


「あれ、そういえば、なんで一郎さんが家を継いでないの?じいちゃん次男でしょ」


「確かに、考えたこともなかった」


「ねぇ、太鼓橋の伝説、知ってる?」

 脈略もなく瑠璃が言った。


「振り向くなってあの?昔じいちゃんに怒られてからトラウマなんだよ」


「そう。でも伝説の全容、私、じいちゃんに聞いたことある。日が落ちるほんの一瞬、あの橋で振り向くと過去に行けるって」


「は?」


「明日試してみない?なんでじいちゃんが家を継いだのか、見に行こうよ」


「あのさ、一郎さん生きてるんだから、直接聞いた方が早くない?てか父さんに聞けば?」


「伝説信じるんだ!さすが東京で農業の勉強している私の弟だね!」

 瑠璃は俺の頭をわしゃわしゃと撫でた。こうなればもう止められないことを俺はよく知っている。


「わかったよ」

 正直なところ、俺は卒論を書くことに飽き飽きとしていた。少し休憩するか、そんな軽いノリで、姉の提案を引き受けた。

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