第38話 開き直った伯爵令息
山籠もり合宿の成果か、イザベラが特進科の女生徒達と一緒にいる姿を、近頃よく見かける。
そして、騎士科の男子生徒と挨拶を交わす姿も。
窓からこっそり顔を覗かせるだけでなく、二回に一回は入口から教室内へと遊びに来られるようになった。
あんなに嫌がっていたのに……周囲の態度も変わり、少しずつ気持ちに変化が起きてきたのだろう。
嬉しそうな顔を見るたび、ギルも嬉しくなる。
嬉しくなるの、だが――。
「先日頂いたポプリですが、とても良い香りでグッスリと眠りにつくことができました!」
強面の公爵令嬢は騎士科の教室に入るなり、ギルの席へと駆けてきた。
以前寝つきが悪いと言っていたので、花屋で見つけた香草を乾燥させ、ポプリにして渡したのだ。
「ギル様のおかげです! お忙しい中わたくしのために……本当にありがとうございます!!」
「うん、気に入ってくれて良かった」
「そんな、気に入らないなんて、あるわけがございません! ギル様が手ずから作ってくださったと伺い、どれほど感動したことか! わたくしの宝物でございます」
感激もひとしお……はしゃぐイザベラが可愛くて、ギルが頬を緩める。
始業時刻が近づきイザベラが立ち去った後、シンと静まり返る騎士科教室内……その沈黙を破るように、一人の男子生徒が口を開いた。
「……おれさぁ、この前、恋人の誕生日に花束をプレゼントしたら、あからさまにガッカリした顔をされたんだよね」
騎士科在籍の男子生徒……平民である彼は、思い出したのかガクリと肩を落とす。
貴金属を期待していたらしいその恋人は、受け取りざまに小さく舌打ちをし、次のデートに姿を現すことは無かったのだという。
「俺なんか貴族対象の集団お見合いで、『逞しくて素敵ですね』って言った令嬢が、直後にうしろ手で『二十点』って友達に合図してるのを見て……女性不信になっちゃったよ」
熊のように大柄な……貴公子とは言い難い雰囲気の令息が、深い溜息をつく。
メンタルが弱めの彼は、その後二度と集団お見合いに参加することはなく、現在叔母を通じて婚約者を募っているそうだ。
「それならまだマシなほうだぜ? 普通科一番人気のジャネット嬢なんか、同じプレゼントを複数の令息にねだった挙句、一つを残して売り払ってたんだから」
漏れなくカモにされたそばかすの令息も、婚活真っただ中。
同様の状況にある令息の話を聞き、問いただしたところ「たまたま同じプレゼントだった」「貴方からもらった物だけ手元に残したの」と言われ、百年の恋も冷めきってしまったらしい。
そんな女性が現実にいるのか……。
ギルが絶句していると、「イザベラ様ってさ、望めば何でも手に入る、国内最高峰の貴族令嬢のはずだよな」と、先ほど花束を渡して振られた男子生徒が呟いた。
「他人に慮る必要のない身分だから、いつも本心で話してるし……」
続けて、うしろ手で『二十点』と評価された令息が羨ましそうにギルを見る。
「恋人一筋な上に、ギルが買えるレベルの香草をポプリにしただけなのに、あんなに感激して喜んでくれるなんて」
何股かを掛けられて、プレゼントを売り払われた令息が遠い目をする。
若干失礼なことを言われている気がしなくもないが、何やら漂う不穏な気配にギルは身構えた。
「顔が怖すぎると思ってたけど……イザベラ様、すごく可愛く見える時があるんだよなぁ」
「顔全体で笑うから、目元がくしゃっとなって、少し幼い感じになるのもまた……」
「育ちが良すぎるから規定概念にとらわれないと言うか、何かこう一段上から見てる感じも男心をくすぐって」
教室内の視線が一斉にギルへと向けられる。
突然のこの流れは何だろう……困った雰囲気になってきたぞとギルはレナードと顔を見合わせた。
「知れば知るほど純粋で可愛いよな」
誰が言ったかは分からないが、その言葉に同意するように、教室の空気がザワリと揺れる。
ギルを好きになったきっかけは、噂に踊らされずイザベラをかばったから。
身分もさほど高くなく、今は強くなったが元々はそこまで剣技に優れていたわけでもない。
顔はなかなかに整っているが、そこは見なかったことにする。
あれ、もしかしたら自分達にもチャンスがあったんじゃないか……?
そんな思いが居合わせた生徒たちの頭を過ぎっているのだろうか、ギルがピクリと頬を引きつらせた。
「なんだ? 随分面白い流れになってるな」
「レナードお前はまたそんなことを……」
「いや、イザベラ様が可愛いのなんて、俺はとっくに知ってたぜ?」
その言葉にギョッとしたギルが可笑しかったのか、レナードは「……冗談だよ」と声を上げて笑い出した。
「まったく……お前ら、今さら何言ってんだ。もし可愛く見えたとしても、イザベラ様はギル以外には興味はないぞ? 可能性の話をしたらキリがない……諦めて他を探せ」
籠もった空気を一掃するように、レナードが部屋の窓を開ける。
気持ちの良い風が吹き込み、ギルがホッとしたように肩の力を抜いた。
「でもなぁ……」
なおも続ける男子生徒達。
男子生徒達が陰口を叩くのは許せないが、かといって手放しで褒められ、自分達に可能性があるかのように言われるのはもっと許しがたい。
ギルは何と言ったものか、うーんと考えるように首を傾げる。
「お前らには悪いが他を探してくれ。もし本気でイザベラが欲しければ、その時は……そうだな」
教室内を見回して、挑発するように微笑んだ。
「俺と試合をして、力尽くで『負けた』と言わせてみろ」
珍しく好戦的な言葉を発し、勝ち誇ったように宣うギルに向かい、「どうせ負ける気もないし、負けたとしても絶対言わないんだろ?」とレナードが突っ込んでいる。
「当たり前だ。 ……俺の、大事な人だからな」
「おい、ふざけんなよギル、絶対『負けた』って言わせてやるからな!」
「のろけてんじゃねーぞ!!」
途端に盛り上がり、あちこちからヤジが飛ぶ。
絶対に言わせてやるとお祭り騒ぎを始め、教官が到着するまでの十分間、騎士科の男子生徒達は大盛り上がりとなったのだ。
***
そして……その直前のこと。
「公爵邸で採れたリンゴでアップルパイを作ったのに、渡すのを忘れてしまったわ!」
教室を出た後、思い出したイザベラはすぐに戻ってきたのだが、自分の名前が聞こえて慌てて扉口に隠れてしまった。
もしかしてまた文句を言われているのかしらと、悲しい気持ちでアップルパイの箱を抱えくらていたら、何やら物凄く褒められている。
その上、『知れば知るほど純粋で可愛いよな』とか聞こえて、真っ赤になってしゃがんでいたら、レナードまでわたくしを可愛いと言っている……?
な、何かしらこれは、わたくしへのご褒美なのかしら?
ドキドキしながら聞いていると、何やらギルが珍しく男子生徒達を挑発し始めた。
一緒にいる時には絶対に見られないその姿に、ちょっと悪めのギル様も素敵だわと、イザベラの胸が高鳴ってくる。
『どうせ負ける気もないし、負けたとしても絶対言わないんだろ?』
呆れ混じりに問いかける、レナードの声。
何て答えるのかしら……? ドキドキしながら聞き耳を立てていると、『当たり前だ』と宣言までしている。
「……ッ!!」
なんて素敵な言葉をくださるのかしら……ッ!!
嬉しさに震えながら幸せをかみしめていると、さらに続けてギルの声が聞こえた。
『……俺の、大事な人だからな』
「~~ッ!?」
なんてこと……!!
嬉しさのあまり力を入れすぎて、アップルパイの箱が腕の中でグシャリと潰れる。
ええと、どうしようかしら、渡さなきゃならないけど正面きって手渡しする雰囲気じゃないわよね……。
大盛り上がりの教室内、イザベラは音を立てないようにそぉっと扉を開けていった。
だが失念していたのだ。
日々危険に備えて鍛えている彼らの、察知能力を。
怪しく開いていく入り口の扉に、一人、また一人と気が付いた。
そろそろと……手持ち鞄ほどの長さで扉が開いた後、廊下からこっそりと侵入してくる何かに、目が釘付けになる。
グシャリと潰れた白い箱。
危険な侵入者かと誰もが警戒する中、白く美しい指先に押され、よく見るとアップルパイらしきものがはみ出ている。
出るに出られず、イザベラが恒例の差し入れを教室に突っ込んだことに気が付いたのだろうか。
一様に黙りこくる男子生徒達……さすがのギルも恥ずかしそうに俯いて……と思いきや、そのまま大股で箱へと歩み寄った。
ガラリを扉を開けると、イザベラを見下ろすギルの姿が瞳に映る。
「……忘れ物?」
思わずイザベラは赤面し……と、いうより、あの流れで普通に声を掛けられて、イザベラは返す言葉が出ない。
ギルは手を差し伸べてイザベラを立たせると、アップルパイの箱をひょいと持ち上げ、はみ出た中身にニコリと微笑んだ。
「美味しそうな匂いがする……いつもありがとう、イザベラ」
「……!!」
気のせいかもしれないが、微笑みの奥から何やら漂う大人の色気……。
「しっ、失礼致します!!」
無理無理、素敵すぎてこれ以上の直視は無理!
両手を頬に当てて逃げ出したイザベラを、教室中の視線が追いかけてくる。
「お前……誕生日の一件依頼、ちょっと開き直ってないか?」
「そうか?」
呆れ混じりのレナードに、ギルが楽しそうに笑いながら返している。
「……そうかもな」
後ろ背に大好きなギルの声が聞こえたのを最後に、イザベラは全速力で騎士科の校舎から逃げ出したのであった――。
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