第36話 だって、家族になるんだろ


「困ったわ、わたくしこの後、誘われてしまうのかしら?」


 こんな男と二人きりで過ごすのはお断りなのだが、この手のタイプは一度痛い目を見ないと反省しない。


 どうせ誘う根性など有りはしないのだから、何を言おうと問題ないのだ。

 小者感あふれる目の前の令息に、イザベラは溜息を吐く。


 上腕に袖が張り付くほど汗をかいて震えているところを見ると、これに懲りてもう悪さはしないだろう。


 なぜか他の男性メンバーは来ていないし、早々にエレナへの謝罪を引き出して、この場を去るのが良いかもしれない。


 そう思ったところで、目の前になぜかレナードが現れる。

 そして空いていたイザベラの隣席に、まさかのギルが座り、イザベラは目を丸くした。


「えっ、ギル様!? ギル様がなぜここに!?」

「イザベラこそ、こんなところで何をしているの?」


 もしかして食事会常連メンバーだったのだろうか。

 知らないところで、ギルが他の女生徒と楽しく過ごしているのを想像し、イザベラは悲しくなってきてしまう。


「……楽しそうだね?」


 シュンとするといつもは慰めてくれるのに、今日は怖い顔で見つめられる。


 腕を掴まれ、聞いたこともないような低い声で問い詰められるが、突然過ぎて思考が追い付かない。


「はぁ……『この後、誘われてしまうのかしら』じゃないだろ? なに? イザベラはノイマンに誘われたかったの?」


 お、怒ってらっしゃる?


 こういう時にいつも合いの手を出してくれるレナードへと視線を送るが、こっちはこっちで何故か苛立っている。


「ギル様は、なぜこちらに?」

「……イザベラこそこんな会に参加して、俺が心配すると思わなかった?」


 掴む手の力が強くなる。

 こんなに怒ったギルなんて、見たことがない。


「でもギル様だって、参加されているじゃないですか」

「何を言ってるんだ。、参加するからだ」

「……?」

「君が参加すると聞いて無理やり変わってもらったのに……どれほど心配したか、分かってる!?」

 

 わたくしを心配して、わざわざ来てくださった?


 嬉しいけれど、でも普段あんなに優しいギルに怒られたのが悲しくて、ほんのりと涙が滲んでしまう。


「ノイマン様が女生徒をたぶらかして遊んでいると聞いたから、懲らしめようと……」

「だからって、こんな出会い目的の……男がたくさんいる食事会など、危ないだろう!?」

「ご、ごめんなさい」


 イザベラが怒られていることに驚き、店内はシンと静まり返っている。


 さらにあいつは女生徒たぶらかしているのかと、ノイマンに冷たい視線が刺さった。


「あの、もし宜しければ奥に個室がございますので、そちらでお話されてはいかがでしょうか」


 汗だくで戻って来た店長が、『アルリーゼの貴腐ワイン』を片手にイザベラとギルを個室へと案内してくれる。


 本日は護衛が二人ついているため、ジョルジュはその場に待機。

 なおパメラは、「お前はこっちだ」とレナードに店の外へと連れ出されてしまった。


 その場に残ったのはジョルジュと婚約者エレナ、睨みつけるシャネアとノイマン……。


「腹が減ったな。それではこのまま二次会と行こうか」


 ノイマンの地獄は、終わらない。


 針のむしろに座る彼の精算額は先程のワインを筆頭に、この後青褪める勢いで増えていった。


 ***


 案内された個室は、窓に向かってソファーが置かれ、並んで座りながら夜景を楽しめる仕様になっていた。


「あの、ギル様……まだ怒ってらっしゃいますか?」


 口数少なく、注がれたワインを口へと運ぶ。

 小さく溜息を吐いて、ギルは「怒ってないよ」と呟いた。


「では何を考えてらっしゃるのですか?」

「……別に大したことじゃない。イザベラは良くも悪くも身分が高い。それに人の上に立つ素質もある。公爵閣下譲りの才能だな、と考えていた」


 どうしてか褒められているらしい。

 ならば何故こんなに機嫌が悪いのかと首をひねる。


「君は何かをする時、今までは大抵周囲が合わせてくれていただろう?」


 それが今、何の関係があるのだろう。

 ギルが何を言いたいのかよく分からず、イザベラは落ち着きなく手元のナプキンをギュッと握り締めた。


「怒られて、止められることなんてあまり無かったんじゃないかな」

「それはそう、かもしれませんが……」

「今回、イザベラがどうしてこんな事をしたのかは理解した。でもこのやり方が正しいとは思わない」


 隣り合わせに座るイザベラの、手に添わせるようにギルが指を絡ませる。


「俺は君が間違えていると思ったら怒るし、何度でも止めるよ」


 少し強い口調で告げられ、やはりまだ怒っているのではとイザベラは落ち込み、俯いた。


 それきり、黙りこくるイザベラの顔を覗きこむように、ギルが顔を傾ける。


「…………だって、家族になるんだろ?」


 今度は、包み込むような優しい声。


 イザベラのことを想い、大事にしてくれているからこそ怒ってくれているのだ。


 ジワリと浮かんだ涙を押し戻そうと頑張るが、勢い余ってそのままポロリとこぼれてしまった。


「ごめんなさい……」


 さっきも謝ったけど、今度は心からの『ごめんなさい』。


 ギルは繋いでいない方の手でイザベラの顔を上向け、親指の腹で涙を拭ってくれる。


「ん、もういいよ」


 顔を上向けると、いつもの優しいギルの顔。

 大好きな彼が柔らかに微笑むと、その瞳に泣きべそ顔のイザベラが映る。


 国王陛下の妹を母にもつ、フランシス公爵家の長女イザベラ。

 こんなことで泣くなんて……人に見られたら、笑われてしまうに違いない。


 でも彼の前でだけは、公爵令嬢でもなんでもない、ただの女の子になれるのだ。


「わたくしも誰かを幸せにしてあげたかったのです」

「……ん」

「幸せいっぱいだったから、お、お裾分けしようと……! あとは相談に乗ってみたかった、というのもあります」


 話せば話すほど、涙が溢れてきてしまう。


 止まらない涙を拭いきれず、ギルは困ったように眉を下げた。

 それからイザベラの頬を大きな手で包み込み――。


 そして、軽く触れるだけの口付けを落とした。


 何が起きたか理解できず、キョトンと目を丸くするイザベラが可笑しかったのか、ギルが小さく笑う気配がする。


「――え?」


 絡めたイザベラの指先がほんのりと朱く染まり、手のひらがこれ以上ないほど汗ばんでくる。


 恥ずかしさにワナワナと震え出したイザベラを近くに引き寄せ、ギルは指を絡めたまま、もう一度ふわりと口付けた。


「でも、もうやっちゃ駄目だよ。……俺の、イザベラなんだから」

「……ッ!?」


 壊れ物に触れるように、長い指先が頬を伝う。

 さっきまで涙を拭っていた親指が、イザベラの柔らかい唇に触れた。

 

 ベソをかくイザベラの顔が、先程よりも大きくギルの瞳に映る。

 吸い込まれるように近付き、イザベラはゆっくりと目を閉じた。


 頬を包む大きな手に触れると、薄桃色に染まった耳たぶを隠すように指先が重なる。


 逞しい胸板に身体を預けるようにもたれると、少し早くなったギルの鼓動にまた、幸せな気持ちになってしまう。


 ためらいがちに回された腕が、ギルも緊張しているのだと教えてくれた。


 それがまたどうしようもなく嬉しくて、イザベラは再び瞼を閉じたのだ――。




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