第32話 イザベラのお誕生日パーティー
フランシス公爵のエスコートで、イザベラが公爵邸の大広間に足を踏み入れる。
楽団が奏でる伸びやかな音色に合わせ、ゆっくりと歩みを進めるその姿は威厳に満ち溢れており、会場の至るところから感嘆の息が漏れた。
本日の主役であるイザベラのもとに、招待客達が次々と訪れ、祝福の言葉を述べていく。
ギルもまた、父であるブランド伯爵とともに定型的な祝辞を述べ、後に続く貴族達へと場所を明け渡した。
義務的に笑顔を貼り付かせ、毎年変わらぬ招待客達に、用意していた答えを返していくだけの定例行事。
そんな風に思っていたのだが、今年はちょっぴり違うのだ。
いつもなら両親が選んだ招待客のみが参加するのだが、今年はイザベラからの要望で、学友たちにも招待状が届けられていた。
一通りの挨拶を終え、次は――と大広間を見廻すと、待ちかねた学友たちが一か所に集まり、ソワソワとしながらイザベラへ視線を送っている。
「お父様、あの……」
「ん? ああ、そうか。挨拶も一段落したから、行ってこい」
「はい、ありがとうございます!」
フランシス公爵から許可をもらい、イザベラが学友たちのもとへと向かうと、ワッと歓声が上がる。
皆に取り囲まれ、会場が一気に賑やかになった。
「イザベラ様、お誕生日おめでとうございます!!」
「皆様、ありがとうございます」
浴びせかけられるように祝福され、イザベラは嬉しくてたまらない。
その様子を笑顔で見守るギルに気付き、弾むような足取りで歩み寄った。
「ギル様も、素晴らしい試合でした!」
「ん、ありがとう。……イザベラも、お誕生日おめでとう」
ニコニコとギルに微笑みを返され、イザベラはふと動きを止めた。
いつもなら次々に言葉が浮かぶのに、今日は恥ずかしくて言葉が出てこない……。
日中の試合を
落ち着きなく視線を動かしたところで、手の届く場所に立っているパメラに気付き、グイグイと袖を引っ張った。
「パメラ、ど、どうしたらいいのかしら? 思い出すと顔が熱くなって、何を話したら良いか分からないわ」
「ええッ!? 私に言われましても……ちょ、あんまり引っ張らないでください! おめかし用の服はこれしか持ってないんです。伸びちゃいます」
バレないように横目でギルを確認しながら、コソコソと内緒話をする二人の主従。
気恥ずかしくて目を合わせられず、パメラに助けを求めるのだが、そんなことを言われてもイザベラ以上に恋愛話には縁のないパメラ。
思わずレナードへと目を向けるが、巻き込まれてはたまらないと、頑なに目を合わせない。
「ええとギル様、その……」
「イザベラ、今日は忙しいだろうから、また日を改めてゆっくり話をしよう」
あまりに挙動不審なイザベラを見兼ねて、少し日を置いたほうが良いと思ったのだろう。
ギルの気遣いに、イザベラはホッとした表情を浮かべた。
「しょ、承知しました」
言葉を返したものの、所在なさげに視線を泳がせるイザベラが、あまりに挙動不審だったからだろうか。
思わず、と言った様子で柔らかな笑みをこぼしたギルに、イザベラの頬が染まる。
「それではギル様。また、日を改めて」
なにやら居た堪れなくなり、イザベラは慌てて踵を返す。
だが足早に立ち去ろうとしたその腕を、ギルが掴んだ。
「言い忘れてた。イザベラ……そのドレス、良く似合ってる」
「ッ!?」
「髪型も……大人っぽくて可愛い」
「ギ、ギル様――ッ!?」
ほ、褒めすぎぃぃぃぃ……ッ!!
突然の褒め言葉にワナワナと震えながら右を見ると、騎士科と特進科の生徒達が慌ててサッと目を逸らした。
慌てて左を見ると、苦笑するレナードと、関係ないのに顔を赤らめて俯くパメラがいる。
「パ、パメラ!! たくさん働いてお腹が減ったのではなくって!?」
「ええッ、わ、私!?」
「まぁ! 見たことのない料理ばかりで食べ方が分からないですって!? 大丈夫、わたくしが特別に教えてさしあげるわ」
「いえ、お気遣いは嬉しいのですが、イザベラ様は本日の主役です。それに立食パーティーなので、自分が好きな物を後で勝手に……ひぃッ」
謹んでお断りしようとした気配を察知し、イザベラはパメラの両肩を力いっぱい掴んだ。
頬を染め、歯噛みしながら目を潤ませるイザベラに至近距離で迫られ、その顔に慣れたはずのパメラもさすがに動揺を隠せなかった。
「わたくしの案内がいらないと?」
「ととととんでもございません! そうではなくギル様と話を……」
「……内陸ではあまり食べられない海の幸もあるの」
「ハイ、嬉しいです! 身に余る光栄でございますッ!! う、海の幸、わぁぁ楽しみだなぁ」
慌てふためき、急いで話を合わせるパメラ。
イザベラは満足そうに頷き、口角を持ち上げた。
「そう……それはなによりだわ」
久しぶりの眼光にすくみ上がったパメラは空気を読んで、それきり口をつぐむ。
会場にいた招待客達は一触即発の雰囲気に、どうなることかと息を呑んだ。
「わたくしに、ついてらっしゃい」
ドレスの裾を翻すなり、従者のごとくパメラを付き従える。
そして所狭しと御馳走が並ぶ長テーブルへと去って行ったのである――。
***
何事も無く無事に終わり、会場にいた招待客達から安堵の息が漏れる中、勝手知ったる学友たちは訳知り顔で視線を交わしていた。
「逃げたな……」
二人の後ろ姿を目で追いながら、レナードがポツリと呟く。
隣では少し困り顔のギルが、腕組をしながら立っていた。
「やはり、そう思うか?」
「それしかないだろう。だがギル、お前もどうした? 公衆の面前であんなことを……」
「ん――……昼間に恥ずかしい思いをしたからか、少し耐性が付いたのかもな。せっかくの誕生日だし、喜ぶ顔がみたいだろう?」
真顔でそう語るギルに呆れ、レナードは肩をすくめた。
「お前みたく品行方正で、普段から自分を律しているタイプが一番危ないんだ。一度タガが外れると、歯止めが利かなくなるぞ?」
「そんなことはないが……でも逃げられてしまったな」
「どうしたらいいか分からなくて困ってるんだろ。お前のことになると、途端に制御が利かなくなる
どうしたものか、と二人で顔を見合わせる。
ファビアンとの試合で感情に任せ、ギルが盛大な告白をしたのは皆の知るところである。
あの後、動揺したギルはあっさり次戦で敗退したのだが、イザベラの動揺ぶりもまた凄かった。
真っ赤な顔でオロオロと狼狽え、すべての試合が終わるや否や、護衛騎士の腕を借りながら足元が覚束ない様子で去っていく。
途中何度もつまずき、これ以上は危ないと判断した護衛騎士に、最後は横抱きにされながら貴賓席へと戻って行ったのである。
「落ち着いた頃に、もう一度話してみるよ」
「それがいい。でもイザベラ様のことだから、長引けば長引くほど拗らせそうだ」
一途なのはいいが、目を離すと困ったことをしでかす公爵令嬢。
これまでのアレコレを思い出してギル達が談笑していると、フランシス公爵が歩み寄ってきた。
「少しいいかな?」
レナードが一礼し、席を外す。
学友たちもその場を離れ、ギルとフランシス公爵の二人きりになった。
「君にひとつ、聞きたいことがある」
フランシス公爵に鋭い眼差しで射抜かれ、ギルの身体が一瞬硬直する。
少し離れたところで心配そうに見守るレナードに、ギルは大丈夫だと視線を送った。
「ジョルジュの訓練だが、受けたい者はイザベラにお願いするよう、騎士科の生徒達に助言したそうだな?」
「……え? ええと、はい、仰る通りです」
てっきり婚約の件かと思い身構えていたのだが、思いもよらぬ話をされて、声が上ずってしまった。
「それがどうしても分からないんだ。イザベラとの婚約を考えるなら、王国騎士を目指すのか上策だと思うが……王国騎士団への推薦枠を狙っていたのではないのか?」
「勿論、推薦枠希望です。狭き門ですが日々精進し、稽古に励んでいるところです」
「そうか……だが騎士科の生徒達がジョルジュの訓練を受けてしまったら、皆の実力が底上げされてしまう。推薦枠が遠のき、君にとってデメリットでしかないのでは?」
ジョルジュからの訓練は、本来ならばギルだけに許された特権のはず。
騎士科の生徒達と実力差を付けたいのならば、自分一人で教えを乞うべきだった。
フランシス公爵は、なぜそうしなかったのか疑問に思ったようだ。
「……それは本当に、デメリットなのでしょうか」
「なんだと?」
「何かあった時、祖国のために剣を持って戦うのは、王国騎士団だけではありません」
有事には各領地から徴兵されるため、普段剣を持たない者も、戦争へと駆り出される可能性があるのだ。
「確かに王国騎士団に入れば箔も付き、将来性もあります。ですが俺が王国騎士になったとしても、出来ることは限られています。今は平和ですが、戦争になればイザベラ様のお傍にいてあげられないかもしれない」
「……」
「何かあった時に、一人でも戦える者が多いほうが良いとは思いませんか? 俺じゃなくても、イザベラ様が無事に守られるなら、それが誰であってもいいんです」
ギルの言葉に、フランシス公爵が眉をピクリと動かした。
気分を損ねたかと不安になるが、ギルはなおも続ける。
「勿論、俺が自分で守るのが一番ですが……ジョルジュ様みたいに他を寄せ付けないような実力がある訳じゃなく、かと言ってたいした身分もありません。それに……」
そこまで告げて、ギルはイザベラへと目を向けた。
口いっぱいに頬張るパメラを叱りながらも、楽しそうにしている。
騎士科と特進科の生徒達が周囲を囲み、皆でワイワイと賑やかに過ごしていた。
「ちゃんと知れば、きっとみんなイザベラ様のことを好きになると思ったんです。何がきっかけでもいいから、もっと彼女のことを知って欲しかった」
大丈夫そうな顔をしていても、パメラといる時は楽しそうにしている。
四人でお祭りに行ったときも嬉しそうにしていた。
イザベラルームを作ったのも、みんなで集まれる場所が欲しかった、という気持ちが根底にあったような気がする。
「一人でも平気そうに見えますが、人と過ごすのが好きな人です。推薦枠が駄目だったとしても、今の姿を見たら、それが間違いだったとは思いません」
ギルの言葉を受け、フランシス公爵がイザベラへと目を向ける。
自信に満ち溢れ、近くにいるだけで背筋がピンと伸びるような、堂々とした佇まいのフランシス公爵。
いつも厳しい表情で眉間にシワを寄せているのだが、その頬が気のせいか、少しだけ緩んだような気がした。
「……そうか、分かった。今日の試合、よく頑張ったな」
「あ、ありがとうございます」
最後に今日の試合を労い、フランシス公爵はギルの肩をポンと叩いて去っていく。
遠ざかる後ろ姿を見つめ、ギルは力が抜けたように俯き、長く息を吐いた。
「結婚したら、あの方が義父になるのか……!!」
隣に立つだけで、凄い圧。
平静を保っているように見せつつ、実は緊張で背中が汗だくである。
そして義母になるのは国王の妹……降嫁した王女様。
さらには名だたるお誕生日会の招待客達を見廻し……ギルは深く溜息を吐いたのであった。
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