2 師匠との出会い

 きっと、ヤクばあちゃんと出会っていなかったら、ルナの心はとうに折れて、魔の森へと入って行くか、川から身を投げていたかもしれない。


 ヤクばあちゃんは、村はずれの緑の森のなかに一人でひっそりと住む薬師だ。村では、『人喰い魔女』なんて言われている。辺境の村では、悪い事をした子に『悪い事をすると、魔の森の魔女に喰われるぞ』と言われるのだ。


 実際には、村に胃薬や傷薬、咳止め薬などの常備薬から、避妊薬まで日々の生活に必要な薬を調合して、破格な値段で村に卸している。村人はヤクばあちゃんにお世話になっているのに酷い言いようだ。


 当の本人は、『人付き合いがめんどくさいから、恐れられてるぐらいがちょうどいいのさ』なんて言っているけど。


 ヤクばあちゃんと出会えたのは、ダレンにいつもより森の深い位置に置き去りにされたのがきっかけなので、このことだけはダレンに感謝していいのかもしれない。


 ◇◇


 「ダレンとは、もう遊ばない。家に帰る」

 極力、ダレンには逆らわないようにしていたが、ある日怒りが頂点に達して本音を言ってしまった。それが癇に障ったのか、それ以来ダレンの置き去りはどんどんとエスカレートしていった。


 その日、ルナはいつもより緑の森の深い位置に置き去りにされた。魔の森が近いのか薄暗く、嫌な気配がする。ルナの心は擦り切れていた。恐怖より、もう楽になりたいという気持ちが強い。


 ふらふらと森の暗い方へ暗い方へと吸い寄せられていく。


 「あんた、この村の子だね。その先は魔の森しかないよ。一体、なにしに行くっていうんだい? 迷子かい?」


  腕をがしっと掴まれて尋ねられる。ルナの腕を掴む手は細く筋張っていて皺だらけだ。黒いローブから除く、黒々とした瞳をルナはぼんやり眺めた。


 「何のために、私は生きているの?」

 ずっと心に渦巻く問いを突如として現れた人にぶつける。


 「家族に疎まれて、村人から遠巻きに見られて、幼馴染に意地悪されて……そうされるために、私はいるの? ねぇ、私はなんのために生きているの? 生きている意味ってあるのかな? もう、疲れちゃった。ねぇ、答えられないなら、その手を放して! もう、楽になりたいの……」


 ルナは子どもみたいに大声を上げて泣き出した。


 「わかった、わかったから。静かにおし。話を聞いてやるから、まずはここから離れるのが先だ。この辺りだって、いつ魔物が出てもおかしくないんだ」


 小柄な老婆は、ルナの腕を掴んでいた手を放すと、ルナの手をしっかりと繋いで歩き出した。ルナの腕を掴んでいた手も、ルナの手と繋いでいる手も、ダレンとは違って力加減をしていて、口調とは裏腹に優しい。その手の温かさはなぜか信じられる気がして、ルナは涙を飲みこんで、老婆に従った。


 「さぁ、ここでならいくら大声を上げても、泣いても大丈夫だ。なんか面倒くさそうな匂いがぷんぷんするけど、あんたみたいな小さい子どもが魔の森に消えても後味が悪いんだよ。思うところを全部吐き出しな」


 どれくらい歩いたのか、明るい方へと歩いていくと、ぽっかりと開けた場所に出た。そこにある小さな小屋に入り、ルナを古びたテーブルの前に座らせると、どんっと温かいお茶が入ったマグを置いて、老婆は言った。


 「苦い……」

 「出されたものに文句言うんじゃないよ。体にいいものはだいたいまずいって決まってんだ」

 薄い黄色をしたお茶は不思議な香りがして、子どもの舌には苦かった。それでも、温かいものを飲んで少し落ち着いたルナは、ぽつぽつと自分の境遇について話し出した。


 この辺境の村に馴染まない色彩を持って生まれたために、村で疎まれている事。

 最低限の衣食住は確保されているが、家でもいないものとして扱われている事。

 隣に住むダレンはルナに執着していて、ルナを振り回し、意地悪ばかりしてくる事。

 ダレンに酷い事をされても、誰も助けたり、話を聞いてくれようとしない事。

 

 要領を得ないルナの拙い話を、老婆は面倒くさそうにして、しかめっつらをして、日が暮れるまで全部聞いてくれた。


 「うん、話はわかったよ。まずは、家に帰ろうか」

 幼いながらに、目の前の魔女が、魔法のような手段で自分を救ってくれるのでは、と思ったルナの期待は裏切られた。


 「今の時点で家を出るのは、悪手だ。あんたの親はまだしも、ダレンとやらはあんたに執着している。あんたがいなくなったら、上手いこと村人を巻き込んで、捜索するだろう。いくら人里離れてるからって、ここが見つかるのも時間の問題さね。


 それに、こちとら老い先短いばばぁだよ。いつまでもあんたを匿ってはいられない。あんたにできる事は二つ。できるだけ、その幼馴染から身を隠す事。自立できる技術を身に付ける事。十五歳になって、成人したら、あんたが家を出ても、家長には連れ戻せない。目指すは王都だよ」


 この時、ルナは七歳。十五歳ということは、まだあと八年ある。その時間の長さに、途方にくれる。


 「私の提案に乗るも乗らないもあんた次第だ。いきなり状況はいい方にいかない。これからだって、嫌な思いもするし、辛い事もある。むしろ、こそこそ隠し事をしないといけないし、私の指導はスパルタだ。それに頑張ったところで、上手くいくとも限らない。どうする?」


 ルナの覚悟を問うてくる、老婆の黒い目。相手が七歳だからといって、容赦せず厳しい現実をつきつけてくる。でも、その分真剣さを感じた。吸い込まれるようなその黒に、こくりと力強くうなずく。


 「この村にあんたが必要なかったんじゃない。この村が、あんたに似合わなかっただけさ。王都に行けばわかるよ」


 パチリとウィンクされて、ルナは泣きたいような笑いたいような不思議な気持ちになった。


 老婆は、『人喰い魔女』と呼ばれ、村で疎まれている薬師だった。名をヤクと言う。師匠と呼ぶなと言われたルナは、ヤクばあちゃんと呼ぶことにした。


 ヤクばあちゃんと会ってからも、ダレンが毎日のように誘いに来るので、それを断ることはしない。いつものように無の表情で手を引かれ、付いて行く。ダレンに放置されたり、ダレンが兄や友達との遊びに夢中になっている隙に、ヤクばあちゃんの家に向かう。


 夕方になると、ダレンに置き去りにされた地点に近いところで、うなだれて座る。

 そこに、ニコニコ顔のダレンがやって来て、『ルナは仕方ないなぁ』と言われ、手を引かれて家に帰る。そんな日々を繰り返した。


 ヤクばあちゃんが言った通り、黒が白になるように状況が好転したわけではなかった。それでも、一人ではないということと、未来への希望があるということは、日々削られるだけだったルナの心を支えてくれた。

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