第13話 狐の子? 天狗の子?
「まぁ、そんなことが……恐ろしかったでしょう」
夜が明け、朝一番にいとは明陽殿の女御に呼ばれた。なんでも綾衣から”柳があやかしに襲われた”と聞いて慌てて呼び出したそうだ。
(まさか、朝起きてすぐ目隠しされて連れ出されるとは思わなかった。)
目隠しされても山育ちといっても過言ではない自分にとってはここがどこかは大体見当がついている。
ここは局から東に進んだ小さな対の奥の部屋だ。普段使われていないが、風通しがよく、よく手入れされていたからもしやと思ったが。
女御がいる場所はあまりにも質素だった。最低限の家具しかなく、まだ呪いを恐れているのだろうか、戸がぴったりと閉じられている。
(こんな中にずっといるなんて、女御様は気がおかしくなることはないのだろうか)
いとだったら、数刻も経たずに逃げ出そうとするだろう。乳母は不満などないのだろうか。
——— お前は本当に姫君なのか。
昨日の侍の言葉が頭によぎる。失礼にもほどがあるが、的を得ているとしか言いようがない。本当に失礼だけれども。
「ええ。ですが、何とか助かりました。この香り袋のおかげです」
そういっていとが差し出したのは、あの日侍が投げてよこした橙色の香り袋だった。念のため中身は抜いてきているので、あるのはぺちゃんこのただの布だ。
「見てもいいかしら?」
そういって差し伸べてくる手は以前よりだいぶ血色がよくなってきている。顔にはまだ陰りはあるものの、だいぶ回復しては来ているみたいだ。
(そうじゃなきゃ影武者の意味ないものね)
もしあの”影”が本当に彼女に襲い掛かっていたら、それこそ最悪の事態になっただろう。もし、見えたとしても箱入りのお姫様には躱せることできっこない。
「…………これ」
布を見ていた女御がぽつりとつぶやいた。何か思い当たる節があったようで、何度もひっくり返しては間違いない、と続けた。
「女御様?」
「これ……わたくしが昔狐の子にあげたものです」
「狐の子?」
いとは首をかしげた。あの風体はどちらかと言えば天狗だ。それが狐とはこれいかに。いとが説明を求めようとすると、乳母があぁ、とうなずいた。
「昔おっしゃっていたのは、本当だったのですね。てっきり、香り袋をなくした言い訳をしたのかと思っていました」
「ええ、間違いないわ。このしみはお父様の硯を倒してしまった時に付いたものだもの。それで、乳母に叱られてしまったのよ」
「女御様でもそのようないたずらをなさるのですね」
「柳と比べないでもらえるかしら?」
綾衣がきっ、とにらんできたのでそれ以上は言うのは藪蛇だろう。
「恐れながら、それを持っていたのは狐の子ではなく、人間でしたよ。どのようないきさつがあったのか、教えていただけますか?」
「ええ、あれはずいぶんと昔の話で、わたくしがまだ裳着をする前でしたわ」
となると、10年は昔の出来事だろうか。手のひらに収まるほど小さな香り袋を大事そうに包み込み、女御が口を開く。懐かしさと寂しさが混じったような表情を浮かべる。
「あの時も、こんな風に桜が咲いていましたのよ。あの桜は、わたくしが帝に無理を言って実家から持ってきたものですの」
「え、すごいですね……」
あの堂々としたたたずまい、ずっと昔からそこにあるものだと思っていた。それを移動させるとなったら、どれくらいの金子と人員が必要なのだろうか。
いつもは何をしても許してくれた乳母が、今日はなぜか許してくれなかった。
「姫様、殿にかまってもらえないからと言っていたずらをするものではありません」
「だって、お父様ずっとずっと机から離れてくださらなかったもの!」
「だからと言って、物を粗末にしていい理由にしてはなりません!」
「お出かけになった時、言ってくださったもの。帰ったら雛遊びをしてくださるって!」
「お忙しいのは見てわかるでしょう、どうしてそうわがままをおっしゃるのです」
「だって……だって!」
数日前、ようやく仕事から帰って来てくれたと思ったら、今度は文机の前に座って書き物をしている。母や乳母は”お忙しいのだから、我慢しなさい”と言っていたが、どうしても納得できなかった。
普段なら、家に帰ってきて自分を抱きかかえて、頭を撫で、菓子をくれるのに、今回は口一つ聞いてくれない。今日だってそうだった。
「お父様、お帰りなさい」
「うむ」
「お父様、詩歌を読みましたの。この間、先生に褒められましたわ」
「うむ」
「お父様、花見はいつにしましょう」
「……忙しいから、また後になさい」
生返事と、自分をよそにやろうと手をはらった。つもりに積もったいら立ちが、ついにこらえきれなくなり、戸棚の中にしまわれていた父の香り袋を取り出した。
「お父様どうして無視をなさるのです!!」
「!?……姫?!」
ようやく顔を上げた父の顔は驚いていて、それが余計に腹立たしかった。ふと、文机の上の硯が目に入った。
「お仕事があるから、遊んでくださらないのね!」
がしゃん、と硯を払いのけると床に墨が飛び散った。手に持っていた香り袋にも墨がついた。
「なにをするんだ! 私は今大事な仕事の途中だったんだぞ!!」
初めて聞いた父の怒声にびくりと肩が震えた。わなわなと体が震え、涙が出てきた。こんな父は初めてだ。てっきり、謝ってくれるかと思ったのに。
「っ~~~!!」
汚れた香り袋を手に小さな姫君は立ち上がった。そして、そのまま広い庭がある方へと駆けだしていった。
怖かった。いつもは優しい父が起こるとああなるのか、と恐れが勝った。振り上げた握りこぶしを想像すると体がすくんだ。
「ひっく、ひっく。う、あああああん!」
いつもは出てはいけない庭だけれど、どうしてか外に出たくなった。広い庭には隠れるところはいくらでもある。隠れ鬼はしたことはないけれど、
枝垂桜の木の下で膝を抱えて泣いた。ざぁざぁと音を立てて揺れる花が自分を包み隠してくれているようだった。
そうして、いくらか経ったころだろうか。ふと、誰かの気配を感じて横を見た。
「…………」
涙でぼやけた視線では何かは分からなかった。雑色の子の誰かで、突然泣き出して対から飛び出した姫を探しに来たのだろうか。
「泣いているんだな?」
なぜ、疑問形なのだろうか。目をこすると、飛び込んできたのは縹色の水干袴だった。水干をまとうということは、決して雑色の子ではないだろう。
そして、目に飛び込んできたのは黒地の狐の面だった。祭りの時でもないだろうに、なぜか少年はお面をかぶって自分の隣に座っていた。
(水干袴にお面とは、不思議ね)
「お前はいつも笑っているのに、どうして泣いている?」
「?」
雑色の子にしては言葉がとげとげしいし、かといって成人した男の低い声でもない。声変わり前の少年の声だった。とげとげしさの中に、なぜか気品を感じるような声の持ち主は姫に問いかけている。
「お父様に叱られてしまったわ。きっと、嫌われてしまったに違いないわ。お父様がいなくなってしまわれたら……」
どうしてだろうか、初めて会ったはずなのに、言葉がすらすら出てきた。
「お前は父君のことが嫌いか?」
「そんなことないわ! お父様がちっとも遊んでくださらなかったから、ちょっと困らせたかったのに……怒られてしまったわ。乳母にも」
「…………うらやましい」
「羨ましい、ですって?」
「おれにはもう怒ってくれる相手はいないから」
狐面の少年の声がひどく寂しそうに聞こえた。
「え?」
「しかし、いたずらで気をひくのは感心しない。いずれ女御になられるお方が、そのようなことをしてはならない」
まっとうな言葉に、姫はしおしおと表情がしぼんでいった。
「どうすれば、良いのかしら……」
「叱られるということは、お前に関心があるということだ。どうでもよい者に、叱る人間などいないからな」
「謝ってみます」
「それがいい。あそこでみっともなく叫んでいる男がお前の父君なのか?」
そういわれ、少年が指さした方を見てみた。
「姫―――!! 私の声が聞こえるか!!?? 先ほどはすまなかった! 早く出てきておくれ!!!」
自分よりも大げさに泣き叫び、父が周りを探し回っている。その周りには雑色が二人付き添っていて、同じように自分を探していた。
「お父様!!」
「早く姿を見せてやれ、出ないと池に首を突っ込みそうだぞ」
「そうだわ。これ!」
今まで手に持っていた香り袋を強引に少年に押し付けた。何の香を使っているかは分からないけれど、父の者だから男物の香で間違いないだろう。
「?」
「次のいたずらをしようと思っていたのだけれど、あなたのおかげでやめようって気になったわ。これはそのお礼」
「…………」
あっけにとられた少年を置いて、自分は駆け出した。桜の木の影から飛び出てきた姫を父親はあやすように抱き上げた。父は泣きながら、かまってやれなかったことを謝り、そして娘もまたいたずらを謝った。
そして、振り返った先にあの少年はいなかった。
「そんなことがあったのですね」
「不思議よね、その少年はわたくしが入内することをわかっているような口ぶりでしたのよ。その時まだお父様は蔵人に任命されたばかりでしたのに」
「いずれ入内することは内内に決まっていたのですよ。その少年がどこで聞いたかは存じませんが、屋敷に出入りする者であれば多少聞きかじっていてもおかしくありません」
「そうだったの……」
その狐面の少年が件の侍であることは間違いないだろう。仮面という共通項、そして口調をはじめとする雰囲気が似ている。
(……やっぱり、あの侍は個人的な理由で女御様の周りをうろついている?)
にしてもどんだけ執着するのだろう、とあきれもする。まぁ、亡き妻の面影を妻の姉妹に求める夫はよく聞く話なので、そういうものだろう。
「貴重な話ありがとうございました」
「いえいえ、わたくしもこの香り袋を見るまで忘れていました。思い出させてくれてありがとう、柳」
「その香り袋を預かることはできますか?」
「え、ええ。本当は持っていたいけれど……柳が持ってきてくれたのだから、あなたが好きになさい」
「はい」
そういうと、いとはまた目隠しをされ元の場所へと戻された。
「柳はよくやってくれているみたいね」
綾衣に背を押されながら進んでいく柳の姿は、まるで罪人のようにも見えた。何も悪くないのに、背負わされて彼女はどんな気分でいるのだろう。
「はい、女御様」
「本当に、これでよかったのかしら……」
「わかりません。しかし、女御様のお加減もすっかり良くなってきているようにも思えます」
「そうね。今日はお客様のいらっしゃることですし」
ふわり、と笑う姫君の顔はどこか熱に浮かされているようだった。
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