第11話 天狗面の秘密
(協力はうれしいし、願ったりかなったりだ……でも)
うろたえているいとをみて、男は考え込むように顎に手を当てた。しばらく息をついていたが、ようやく口を開いた。
「あんた、鳴滝殿さまの侍だったのね」
「そうだな」
一番の疑問をぶつけてみるか。いとはいそいそと投げ飛ばした袿を拾って羽織る。別に来たところで変わらないだろう、みたいな顔を向けてくるけれどしかたない。
(まぁ、仮面してるから表情は読み取れないし)
以前あった時は夜だったから、仮面の細部までは見られなかった。見れば見るほど、その精巧さに目を見張る。そんじゃそこらの神楽舞の仮面じゃない。ありふれた市販品ではなく、何かを隠すように。
まるで彼のためにあつらえたような……。……駄目だ。
(しっかりしろ、そんなのに気を取られちゃダメ)
「どうしてあの晩こちらの局に来たの?」
「……」
黙ったが、こちらも引けない。いとは外を指し示した。バタバタと大きな音を出したのだ、誰か来るかもしれない。
「話さないと、あんたがここに紛れ込んだこと他の女房に言うわよ」
「無駄だと思うが」
あくまでも平静に侍が言った。いとは記憶を引っ張り出して尋ねてみた。
「そういえば、前に私があなたを見えたことで焦ってたわよね? それと関係ある?」
「……そうだ」
「どういう意味よ。確か”眼”がどうとか言ってたわよね」
それなら、聞きたいことは山ほどある。
「この”眼”は一体何なのよ。幼いころから、あんなのを見てきたのよ。山にも、川にも、人里にもあったわ。それにかかわらないように生きてきたのに、どうして……」
「賢明な判断だな。てっきり、その”眼”を買われて来た者かと思っていたが、とんだ勘違いだったな」
すく、と侍が立ち上がると頭巾と一体化した布をかぶった。
「?」
「気が変わった。そのまま何も知らずに呪いから逃げ回っていろ。先ほどの身のこなしならば、うっかり死ぬこともあるまい」
「なっ!!??」
驚きよりも早く、立ち去ろうとする侍の外套をとっさにつかんだ。とっさの出来事に受け身が取れなくなった侍は前のめりになって倒れこんだ。よくそんなに早く動けたなぁ、いとは白い布をつかんで目を丸くする。
「貴様……っ!!」
「あ、ごめん」
「ごめんで済まされるか!! その言葉遣いもだ!」
派手にすっ転んでもそこは侍、すぐに半身を起こして怒鳴り上げる。普通の姫君なら泣いて両手をついて詫びるだろうが、こっちは紀伊の館で大人相手に商談をまとめたことのある姫だ。怒鳴られたら怒鳴り返すのが普通だった。
「あんた一体何様よ! 勝手にやってきて、変なもの渡したかと思えば、協力を持ちかけて! 挙句に私を見捨て勝手にしろだって! そんな道理どこにもないわ!」
「っ!?」
布を踏んづけたまま、いとは立ち上がり腕を組んだ。向こうが立ち上がったら、上背がある分こちらが不利になる。対等に話したければ目線を合わせる、相手より上に立ちたいのなら見下ろすとよい、とそう商家の主に教わったことがある。
(怖がって引いたら、負けだわ)
侍である相手にどこまで通じるか分からない。手の震えはまだある。袿で隠してはいるけれど、この震えを悟られたら駄目だ。言葉を選べ、相手がだれであってもこの館の主は自分だと言い張れ。
「この”眼”のことを知っている人間に会いたかったのよ。話しなさいよ。それに、呪いをはねのけられたこの香り袋のこともね」
侍は少し迷って、深い深いため息をついた。先ほどまで中腰で話していたのに、偉そうに胡坐をかいて座った。
「貴様本当に姫君か? まるで市井の魚売りのようではないか」
開口一番このいいようだ。その程度の売り言葉には慣れっこなので、適当にあしらうことにした。
軽口が出たということは、気を許してくれたと思っていいだろうか。いとは腰を落として侍の正面に座った。
「私はついこの間まで紀伊にいたのよ。受領だったお父様について行って、いろいろなことを教わったのよ」
「……紀伊か。なるほど、そういうわけか」
「紀伊がどうしたってのよ」
なにもないド田舎、とでも評したら蹴りの一つでも入れてやろうか。そう思いいたって頭を振った。紀伊の館では通じた手ではあるけれど、相手は一応”姫君”と言う枠で自分を見てくれているのだから、あまり派手なことはしないに限る。
「霊力はほとんどの人間が持っているが、自覚しあつかえるようになるためには霊力の高い土地に行くか、霊力の高い者の指南がいるのだ」
「?」
「陰陽師を見かけたことはあるな? つまりお前は言ってしまえば在野の陰陽師のようなものだ」
「私が……陰陽師?」
たしか、都の館を建て直すときに地鎮祭をしてくれた人たちが陰陽師と呼ばれる集団だった。彼らは火を焚き、文言を唱えて何かに祈っていた。彼らと自分が同じ存在だとは思えなかった。
「嘘じゃない?」
「まぁ、見えるだけの人間なら探せばごろごろいるだろうさ」
あんまりな言いようである。言葉の端々から”帰ってもいいか?”と言う圧を感じる。せっかくつかんだ好機を逃がすわけにはいかない。
「見るだけじゃダメなのよ。何か通用する武器ないの?」
「は?」
「ほら、さっきの香り袋だって光が出て”霧”は止まったけどすぐに消えたわけじゃないし。やっぱり鏑矢みたいなのがいいのかしら?」
「……おい」
「そういえば、昔化け狐を討った神剣というものもあったと聞くわ。探せばあるかしら? 刀は使ったことあまりないから、
「待ておい貴様」
「!?」
そういってしまい、しまったと手で口をふさいだが時すでに遅し。侍はあっけにとられた顔をしていた。いや、半分しか見えないけど。
「……貴様は本当に姫君か?」
ごもっともである。居心地悪そうにしているいとを見た侍は深いため息をついた。
「まさか、己を守れとは言わずに武器を所望する姫君がいるとは思わなんだ」
ぐうの音も出ないとはこのことだ。普通の姫君なら守ってもらうことが大前提だ。これでもう、この侍の思い描く”姫君”から遠ざかってしまった。
でも、それを言う気にはなれず、いとは視線をそらした。
「当たり前でしょう。あなたは鳴滝殿の女御様の侍なんだから」
「……俺は……」
口を閉ざした侍の言葉を待つ前にいとの前に黒い何かが飛び込んできた。
「柳っ!? 大丈夫だったの!?」
「綾衣こそ、けがの具合は……」
「そんなことより、すごい音がして……怖かったから出てこれなかったけど、本当にけがをしていないの?」
いとの肩をつかんで綾衣が早口でまくし立てる。手には包帯がまかれているので、少しほっとした。
「あ、綾衣! そういえば、そこに侍が!」
「え? 侍??」
いとが侍を指さしたが綾衣は見当違いな方向を見るばかりだった。
「侍なんていないじゃない」
「…………え?」
たしかにそこにいる。そこに座っているはずで、綾衣の目線であれば見えていなければおかしいそれを綾衣はいない、と答えた。
「怖い思いしたから勘違いしているのね。本当に、大丈夫?」
「え、待って。綾衣、見えていないの??」
ふわふわとした頭の中で、必死に綾衣を揺さぶった。それでも綾衣の顔からは心配と疑問しか残っていなかった。
「見えていないって、何が?」
「——————!!」
『これで分かっただろう、無駄だと言ったわけが』
ゆっくりと立ち上がった侍は天狗のような仮面をコツコツと指先でつついた。
『霊力を扱えるとは、こういうことだ』
そういうなり、瞬く間に侍の姿が消えた。忽然と、何もなかったかのように煙のように溶けて消えた。
「……消え、た?」
「柳も怖かったのに、ありがとう。おちついていいからね」
子どものようにあやすので、しばらくするうちに落ち着いてきた。いろいろ分かったけれど、分からないことも増えてきた。
(私が陰陽師の力を持っているって?)
まさか。そんなこと御坊は何一つ言ってなかった。
「そういえば、柳。知っている?」
「なにが?」
「少し前に桜の木の根元が掘り起こされたのよ」
「へぇ」
夕餉が終わり、二人で衣装の仮縫いをしているとふと綾衣が声をかけてきた。裁縫は女のたしなみ、とはいっても貴人がする裁縫というのは刺繍というのが相場が決まっている。
しかし、ここには姫君というにはあまりにも庶民じみた柳と、女御の乳兄弟しかいない。人手が常に足りない明陽殿においては、衣装を縫うのは二人の役目だった。
はじめはいとの腕前に半信半疑だった綾衣も、汗衫を一枚縫い上げたことで衣装を縫うのを認めてくれた。
「思えばあの桜の木は、ずいぶん古い物なのね」
「そうね……あ」
「どうしたの?」
「女御様の体調が悪くなった時のことを思い出したの」
ぱた、といとは手を止めた。これは貴重な証言だ。覚えておかなくちゃ。
「あの桜は、女御様のご実家から持ってきたものなの。その時に、いろいろ掘り起こしたらしいの」
「はぁ……」
「思えば、あの時からかもしれないわね」
そうか、といとは思った。あの桜の木の根元に何かがあったなら、掘り起こされた時に出てきた可能性がある。あの桜の木を毎晩のようにあの侍が見張っているのにも説明がつく。
(姿を見たのはあれっきりだけど)
桜の木の周辺におしろいをまぶしておいたので、あの侍が見回っているのは分かっている。深夜に桜の木の周りをうろついているなら、おしろいがつく。
もし手につかなくても、不自然におしろいが拭き取られていたら、人がいる証拠になる。ここ数日間やってみたところ、その都度拭き取られた箇所があった。
(あの桜に何かがあるのはこれで確定したな)
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