身代わり姫君おとぎ草子~狂い桜と仮面の侍~

一色まなる

第1話 若葉かおる季節に

 さらさらと、枝が揺れる音がする。枝の間には隙間なく敷き詰められた花弁がついている。柳のように枝を揺らす桜の木は、まるで天女の衣のように揺らめいている。月のもとで静かに揺れている。輝き、揺らめき、流れていく。


「……」

 一歩、一歩と足を進めていく。その中に手を差し入れていくと、枝に触れた。そこで、記憶は途切れた。


 いとは父親に呼ばれ、北のたいへと足を進めた。長年放置されていた屋敷も、修繕がだいぶ進んでいて痛んでいた手すりも新品同様だ。いつもいるのは東側の対なので少しだけ緊張する。


「何かあったのかな……。お父様のことだから、大丈夫だとは思うんだけど」

 せわしなく前髪をいじるのは子どものころからの癖で、母親からはきつく注意される。でも、どうしてもこればっかりはやめられずに16歳になってしまった。

 母や妹たちと違い、少しだけ癖のある髪だから視界にどうしても割り込んでくる。それをどかそうとしているうちに癖になってしまった。


「お父様、およびですか?」

「いと、そこに座りなさい」

 軽く頭を下げ、いとは父親の座る畳から少し離れたところに置かれた畳に座る。ちなみにこれも先月買い換えたばかりなので青々とした匂いが部屋中に立ち込めている。部屋の隅にはこれまた新品同様の家財道具。

 今まで使っていた思い入れのある品々は今は西の対にある物置に押し込められている。


「紀伊の国からはるばる都に戻って来てはや半年。都の雰囲気にはなれたかい?」

 そうにこやかに語る父の顔はだいぶ疲れているように見えた。それもそのはず。急に決まった都への転属だからだ。もともとこの家、武藤家は代々受領ずりょうという地方官僚の家柄で都に転属、栄転することなど今までなかった。


 この屋敷も元々母方の大叔父の物で放置されて何十年もたっていたから、再建築というよりもはや新築同様になってしまった。無理に増改築を施したせいで、床のあちこちで色が違っている。庭はもっと悲惨で、まだ池に水が入ってないのに船の残骸が底に沈んでいる。


「お父様も左衛門のお役目に慣れましたか?」

 その返しに父は少しだけ視線をそらした。そして、一本取られた、というように扇で額をぺちりと叩いた。


「いとはやっぱり鋭いね。それでこそ、お前を外に出せるというものだ」


 外。その言葉にいとの目が輝いた。ここ半年、その言葉を待っていた。

「え? 外に出ていいの!?」

「はしたないわよ! いと!」

 ばっと、足を立てて立ち上がるいとを止めたのは母だった。都で生まれ育った生粋の女性だから、いとの”そだち”を悉く嫌っている。


「そのように声を荒げて、衣だって最低限……。ここはもう紀伊の館ではないのだから、都の姫君らしくなさい」

「はい、お母様……」

「そのように責めてはいとが可哀そうではないか」

 助け船を出した父をキリッと母が睨んだ。あぁ、余計なことをしたなぁといとは心の中で思った。


「あなたがそうだから、いとがこのような娘になったのですよ! 和歌も漢詩も苦手、香も琴もそこそこ。わたくしは恥ずかしくてなりません。舟遊びや遠乗りが好きな姫などどこに居るのですか!」

「それでも、よいではないか」

「それは……そうですけれど……」


 父の言葉に母が初めて動揺を見せた。母にとっての禁句だからだ。そして、その言葉に隠された意味をこの屋敷で言う事も同じく禁じられていた。

(いわなくてもいいのに、言ってしまうのはお父様の悪いところだわ)

 心の中でため息をつき、いとは父に向って口を開いた。

「それで、話というのはなんですか、お父様?」

「いと、宮中で働いてみないか?」

「きゅうちゅう?」


 首をかしげて言葉を返していると、どたばたと後ろから騒がしい足音が聞こえてきた。振り返ると4つの小さな影がこちらを見ていた。男の子が一人に女の子が三人。いとの弟妹達だ。子犬のようなキラキラした瞳でいとを取り囲んだ。その様子を父は笑い、母はため息をついてみている。


「いいなぁあああああああ!!」

「宮中ですって! わたしも行きたい~!」

「姉さま帰ってこないの?」

「姉さまいっちゃやだぁ!!!」

「ちょっと! 離れなさいっ!」


 きゃぁ、と10歳にもならない弟たちがころころと転がってきた。弟たちも初めは住み慣れた紀伊の館から離れることに大泣きして反対していたというのに、都についた途端けろりと紀伊のことを忘れている。

 子どもらしいと言えば、そうだけれど。少し寂しい気もする。


「実は、遠縁の本家筋からこの度女御になられる方がいらっしゃるのだよ」

「へぇ……女御様、ですか……」

「それに伴って、父君である左大臣様が親戚の姫を呼び寄せて女房にしたい、とおっしゃったのだ」

「それで、私なのですね。働くのは別に構わないですけれど……」

 弟たちを何とか引きはがし、いとはたたずまいをただした。どうやら、外は外でもよその家に働きに行け、ということらしい。しかも、女御ときた。

 女御といえば、この国を統べる帝に仕える女性で生まれも育ちも一級品の姫君だ。話を受ける方も受ける方だが、依頼先を間違えてはいないだろうか。



「本来ならあなたではなく、かがりにしたかったのですが仕方ありません。女御様と歳近い親戚筋の姫を、とのことですからね」

 かがり、というのはいとのすぐ下の妹の名前だ。確かに、幼いころからの山を駆け回っていた自分より、人形遊びが好きなかがりの方が適任だろう。けれど、かがりはまだ十歳で手習いだってまだ終わってない。

「女御様はいとの紀伊での話をいたく気に入られていらっしゃって、女御様直々にお前をとのことらしい」


 そういわれ、いとはどきりとした。紀伊でいとがやってきたことといえば、館から時々抜け出しては、市井の人々と語らったり悩みを聞いたりすることだった。文字を書けるいとは町の人からとても感謝された。


 体が丈夫なことを生かして、荷運びの手伝いをしたこともある。

 だから、普通の”姫君”と違うことに気づいたのは十を過ぎてからのことだった。それでも、頼りにされているのだからとずっと続けてきた。


「いと、行ってくれるかい?」

「女御様のご機嫌を損ねることないよう、くれぐれも気をつけなさい」

 姫君ではなく、ただの話し相手として。知らない姫君のところへ行く。もし、うまく女御様に気に入られれば、父や弟の将来が明るくなる。無理してつぎはぎだらけになるよりももっといい屋敷にみんなを住まわせてあげられる。


 ふぅ、といきをはいて前を向く。そして、両手を前につき頭を下げる。

「いってきます」

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