第四話 父、馴 おし 母、巡子 めぐこ

 小学校低学年の頃から、我が家ではケンカが絶えない。一つは兄弟ゲンカ。双子の兄と弟の二人は、普段は仲良く遊んでいるけども、年に数回ゲームの途中でケンカになる。大抵は些細なきっかけで。


「淳、今のボールはずるい!」

「へへっ、外から曲がるスライダー、打てないだろ~」

「それ禁止な」

「は? なんでだよ」

「ずるいからだよ、決まってるだろ」

「どこにもそんなルール書いてありません~」

「今日、今さっき決まりましたー」

「あっそ。じゃあ準の四番バッターも禁止~」

「は?」


 こんな具合で始まるのが、我が家の戦争の一つ目。ホントどうでもいい。雲行きが怪しくなったら、私はそっと逃げ出す。関わりたくないし、巻き込まれたくないから。そしてもう一つは深夜に起きる。子供が寝静まった頃に始まる、父と母のケンカ。こちらの方は、私の平穏な生活をおびやかす大問題。


「もう少し何とかならないか?」

「これ以上は無理よ~」

「食費は削れないか?」

「今だって、スーパーの半額で何とかやりくりしてるの。食べ盛りの準と淳には、お腹いっぱい食べさせたいし~」

「来年、絢子も中学生になる。給食費と修学旅行の積立金が必要だ」

「そうねえ~、制服は純子のお下がりを仕立て直すとして、改訂された新しい教科書も必要なのよね~」

「パートは増やせないか?」

「家事をやらなくてもいいなら増やせるわ。でも……」

「まあ、そうだな。惇子が手伝ってくれるとはいえ、厳しいな」

「あなたが……」


 こんな声が聞こえ始めたら、次に来るのは、稼ぎが悪いから、と父を責めるか。借金なんて背負わなくても良かった、と自殺した叔父を責めるか。二つに一つ。そして最後に待っているのは夫婦ゲンカ。そうなる前に、私は耳を塞ぎ、布団を頭から被って、夢の世界へと逃げ込む。


「おはよう~」

「ん」

「少し目が腫れぼったいわね~」

「ん、ちょっと寝付けなくて」


 寝不足の私とは対照的に、二人の兄は朝から元気いっぱい。朝食の目刺し。私の分は、いつものように一匹しか確保できなかったから、大事に取っておいて、マヨネーズ多めのサラダでご飯を食べ進めていたのに。ボーっと考えごとをしている間に、なくなっていた。どこか落としたかな? と思ってテーブルの上や下を探していると、隣にいた上の兄がポン、ポンと肩を叩く。唇の端にマヨネーズを付けながら「ごっそうさん」って笑う。ホント、この兄は嫌い。私がどれだけ楽しみにしていたか。大事にしていたおかずを取られて、涙目になる。


「どんくさい子ね。いつまでもノロノロしているからよ!」

「ん~……」

「取られて泣くぐらいなら、最初に食べちゃいなさい!」


 上の姉も、私の味方ではない。


「私のタクアンあげるから。これ全部食べちゃっていいのよ~」

「ん……」


 そう言って、母も食器の片付けを始める。父はとっくに仕事に行っていて、テーブルに座っているのは私だけ。いつもの光景。洗い物の音をBGM代わりに、残ったご飯と、最後の二切れのタクアンを、ゆっくり噛み締める。私の幸せな時間は、ここにしかない。


   ☆    ★    ☆    ★


 私の誕生日は十二月の二十五日、クリスマス。誕生日なんて嫌い。大っ嫌い。友達の家では、クリスマスだサンタさんだって大騒ぎする。アレが欲しいコレが欲しいって、十二月に入る前から話題にして。世間もおんなじ。テレビはクリスマス特集。道を歩けば煌めくイルミネーション。隣の家や裏通りにある民家まで、キラキラと装飾されて……クリスマスなんて大っ嫌い。


「絢子ちゃん、今年のクリスマスは予定ある?」

「ん? 別に……」

「パーティーやらないの?」

「うちはそういうのないから」

「そうなんだ? ねえ、うちでパーティーやるけど来ない?」

「ん……いい、行かない」

「そっか~、残念。あ、ミサー、クリス……」


 嫌いだ。クリスマスなんて、なくなればいいのに。ただ年齢が一つ増えるだけの誕生日なんて、来なければいいのに。誕生日のお祝いなんて、私は知らない。ただ下の姉が、いつもより優しく頭を撫でて「おめでとう」の一言をくれる、それだけが唯一の楽しみ。髪をぐちゃぐちゃにされんのはイヤだけど、優しい手は好き。なのに……


「ごめん、今年はアルバイトのシフトがね、年末の冬休みだからって、二十二時まで入っちゃって」

「純姉、早く帰れない?」

「んー、ごめんね、無理。十時に終わって帰るから、十時半か十一時すぎると思う。遅くなるし、絢は先に寝てね」

「ん……」

「ホント、ごめんね」


 唯一の楽しみ。下の姉さえも、今年はいない。ホント、クリスマスなんて、誕生日なんて、大っ嫌い。


♪きっと君は来なーいー


 帰宅途中、聞こえて来たのは山下達郎のクリスマスソング。瞳から何かが零れ落ちそうになるのをグッと堪えた。街の雰囲気がイヤ。店頭に高く積まれた紅白の箱も、ケーキ屋の呼び込みも、私には関係ない。煌めく光の束なんて見たくない。だから下を向き、目を閉じ、耳を塞いで、足早に商店街を通りすぎた。

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