狂典
小狸
短編
誰しもが電車内で叫ぶのを我慢していると思っていた。
無理して抑圧して苦しんで辛くて頑張ってささくれながらちくちくと痛みを伴いながら限界に肉薄しながらそれでもどうしようもなくどうにかして生きていると思っていた。
大人たちの言う「現実」や「社会」というものは、そういうものだとだとばかり思っていた。
それが違うと知ったのは、大学に入学してからの話である。
電車の中では落ち着いて過ごせるし、叫んでしまいたくなる衝動に駆られるという人はほとんどいなかった。それだけ衆目に晒される環境というのは私にとって苦痛でしかなかったけれど、それでも「そういうもの」だと思っていた。
少なくともそうしなければ、私は生きていけなかった。
両親は、そんな私を恥に思っていたらしい。
特に世間体を気にする父は、そうであった。
周囲から私のことを隠した。
元より実家が太かったということもあるのだろう、娘の私に精神科の往診歴が付くことを嫌がった。
だからこそ、大学になるまで私の正体は、私の中でも分からずじまいであった。
私の、正体。
時折襲われる「自分はおかしいのではないか」という疑問も、両親によって握りつぶされてきた。
何かを思考することすら、まともに許されなかった。
その思考は、おかしくて、間違っている。
それが確信に変わったのは、大学時代、友人との会話の事である。
ふと、何となく友人に、「電車の中で叫びたくなる衝動に駆られる」と言ったら、真面目に病院へ行くことを勧められた。
良い友人、だったのだと思う。
病院へ行くという発想が今までなかったので、彼女の答えは青天の霹靂であった。
両親には言わずに、心療内科・精神科の併設されている病院へと予約をした。
予約は、2か月後まで埋まっているようだった。
社会には、私以外にも同じような人がいるのか、と、少し安心した。
それから、無理と抑圧と苦労と辛苦と頑張りとささくれとちくちくと痛みと限界とそれでもどうしようもなくどうにかして生きる日々を送り、3か月後に、初診に行った。
何度か通院をして、私が病気だということが分かった。
病気。
それは衝撃であった。
そうか。
今までの私の、無理も抑圧も苦労も辛苦も頑張りもささくれもちくちくも痛みも限界も、病気が原因だったのか。
私は、異常だったのだ。
私は、普通ではなかったのだ。
私は、普通には、なれなかったのだ。
そう思うと、肩が軽くなった。
心も軽くなった。
そのまま――軽くなったままに、片手に診断書を握りしめたまま。
私は。
近くにあった適当なビルの屋上まで階段を上って、飛び降りた。
身体も、軽くなった。
(「
狂典 小狸 @segen_gen
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