第2話 「中学の頃のこともあるもんね」
「はぁぁ、長かったね~」
「そうだね」
入学式を終え、教室へと向かって歩いている最中、珊瑚ちゃんが伸びをして呟いた言葉に俺は頷く。
どうやら今日は、これから教室へ向かい担任の紹介と明日の始業式の予定を話して終えるらしい。おそらく三十分ほどだろう。
俺たちは教室に辿り着き、黒板に貼られた自分の席を確認する。おそらく出席番号順だろう。俺と珊瑚ちゃんの席はかなり離れている。
珊瑚ちゃんの出席番号は一番であり、窓側の席の一番前。俺は廊下側から二番目の列の前から三番目だ。
俺は自分の席へと座り、机の横にスクールバッグをかけた。
途端に催す尿意。いや、兆候はあった。ただ、女子トイレには入ってはいけない気がしたんだ。でもこの身体で男子トイレにはいるわけにもいかない。だから家まで我慢しようって。
男子時代の感覚ならば、いけたはずだったのだ。でも、もう無理だ。尿がそこまで来てる。ぶつがなくなったことによって物理的に尿が短くなったのだろう。
「どうしたの、さくら。もぞもぞして」
いつの間に来ていたのか、珊瑚ちゃんが机の上に顎を乗っけて、上目遣いでこちらを見つめる。
こんなときでも珊瑚ちゃんの可愛さはとどまることを知らない。
「……トイレ、行きたくて……」
「? 行けばいいじゃん……はっ! ははーん、全くもう、さくらはしょうがないなぁ、この珊瑚ちゃんが一緒に行ってやろう! ほら行くよ」
「え!?」
そう言って珊瑚ちゃんは俺の手を掴み、立ち上がった。彼女は何を察したのだろうか。俺は訳も分からないまま、彼女のなすがままに立ち上がる。
まあ、漏らすよりは断然ましだし、どのみちトイレには行かなければならなかった。
「ふふーん、まさかさくらの方から私と一緒にトイレに行きたいって言ってくるなんてね」
教室を出て、トイレへ向かい廊下を歩いている最中、珊瑚ちゃんがそう呟く。
言ってないけどなぁ、そんなこと。どう解釈したら、そうなったのか。
でも、俺が男の時も、女子はよく友達同士で一緒にトイレに向かうのを見ていた。そういうものなのだろう。
俺は珊瑚ちゃんに手を握られたまま、女子トイレへと連れ込まれる。
そのまま俺は珊瑚ちゃんの隣の個室へと入った。入ってしまった。これは聞こえてしまうのでは? 珊瑚ちゃんの……その音が。
と、そんなこと考えている場合ではない。俺も漏れそうなのだ。準備をしようと、スカートに手を掛けようとしたのだが、思い至る。別にスカート脱がなくていいのか。
俺はスカートの中からパンツを膝上の辺りまで下ろし、便座に座る。我慢していた分が決壊するように音を出して溢れ出した。
奇妙な感覚だ。座って尿を足すことは今までもたまにあったが、似ても似つかない。出る位置も勢いも、出方そのものも全く別物だ。
やがて尿は止まった。確か、女の人は拭くんだよな。実際、拭かなければパンツが悲惨なことになりそうだ。そう思い俺は、トイレットペーパーに手を掛けた。
トイレを流し、個室から出ると、珊瑚ちゃんは鏡の前で髪をいじっているようだった。
「お待たせ」
「あ、さくら! 全然待ってないよ、あたしもさっき終わったとこ」
俺も手を洗い、ポケットからハンカチを……、あ、持ってきてないや。忘れてた。
「さくら、ハンカチ忘れたの? ちょっと待ってね……、はい、これ。貸したげる」
そんな俺の様子を見て珊瑚ちゃんは、俺にハンカチを差し出してくれた。
「あ、ありがと……」
俺は珊瑚ちゃんのハンカチをありがたく受け取り、手を拭いた。可愛らしいハンカチだ。水色の生地に白のレースが囲うように縫い付けられており、角にはピンクの珊瑚礁の刺繍がされている。
「洗って返すね」
「ふふふ……、今でいいよ。今までだって何回も貸し借りしてきたでしょ?」
「そ、そうだったね……」
俺の言葉に珊瑚ちゃんが笑って答え、俺の手にある珊瑚ちゃんのハンカチを手に取った。
「なんか今日のさくらちょっとおかしいよね?」
「うぇ!? ど、どこが!?」
「えー、なんか雰囲気?」
やっぱりおかしいよな。俺でも幼馴染みが急にこんな挙動不審になっていたらおかしいと思うし。
「やっぱり、周りが知らない人ばっかりだと緊張する?」
「え?」
「中学の頃のこともあるもんね」
「…………」
「大丈夫だよ。さくらはあたしが守ってあげるから」
どういうことだろうか。桃井さくらは中学の頃に何かあったのだろうか。そんなエピソードは漫画にはなかった。
「さ、行こ。休憩時間が終わっちゃう」
俺は珊瑚ちゃんに手を引かれ、教室へと戻った。
◇◆◇
入学式の全てのカリキュラムを終え、俺は家へと帰っていた。
制服のままベッドにバタリと倒れ込む。目が覚めてから怒涛の半日すぎて、考える暇もなかったけれど、どうして俺はこの世界で桃井さくらになったのだろうか。
それに珊瑚ちゃんが言っていた中学の頃のこと、とはなんなのだろうか。
原作通りに進む世界。原作にはない桃井さくらのバックボーン。
今考えたところで答えはでないのだろう。俺のもとの身体はもう死んでるだろうし、おそらくもとの世界に戻ることも出来ない。
俺が出来ることはこの世界で桃井さくらとして生きていくことだけ。
改めて部屋の姿見で自分の姿を見る。可愛らしく、そして女性らしい身体。男とは正反対。柔らかく、丸みを帯びていて、温かい。未だにとても自分の身体とは思えない。
俺は自分の右手を左胸へと持っていき、優しく触れた。男では持ち得ない柔らかな果実。自分が女になったのだと実感する。
「ふぅ」
俺は小さくため息をつき、クローゼットへ向かい、着替えを選ぶ。クローゼットの中には数々の女の子らしい服。
どうやらロングスカートが多い。おそらく桃井さくらがもともと好きだったのだろう。漫画でもロングスカートを履いているところがよく描かれていた。
俺はその中から水色のロングスカートと白のブラウスを選んだ。
制服を脱ぎ、もとの場所にハンガーで吊るした。下着だけの姿が鏡に映る。男の時であればこんな可愛い子の下着姿を見れば興奮しただろうが、思っていたよりも興奮しない。
白のブラウスに袖を通す。ボタンの左右がメンズとレディースでは逆、知識としては知っていたが、実際に体験するとその付けづらさを体感する。
それからロングスカートを履き、あらためて鏡を見る。うん。シンプルな組み合わせだと思ったが、なかなか様になっているのではないだろうか。少なくとも俺には可愛く見える。素材がいいからかな。
着替え終えてからは、部屋のどこに何があるのかの確認をしたり、スマホをいじったりしてゆっくり過ごした。
そして夕食を母親と初対面の父親ととってから、とうとうこの時間がやってきた。
お風呂だ。学校で行った以降も何度かトイレには行ったが、そこまでまじまじと見ることはなかった。
でもお風呂は違う。当たり前の話だが、お風呂では裸にならないと身体が洗えない。
そして俺はまだ一度も全裸にはなってない。一度パジャマから着替えるときに、上半身は見たが、あの時は結構気が動転していたこともあってそこまで記憶に残っていない。
でも、もう自分の身体に慣れなければ。これから何度も見ていくことになるのだから。
意を決してブラウスのボタンをはずし、スカートを落とし、キャミソールを脱ぐ。そして、ブラのホックをはずして、上半身があらわになった。
ゆっくりとパンツ、女性物はショーツと言うのだったか、を下ろしていく。
全てを脱いで、生まれたままの姿の桃井さくらが鏡に映った。
「綺麗……」
思わず口からこぼれる。今まで直接はないものの、AVなどで女性の裸は見たことがある。その時は特に綺麗などとは思わなかった。でもこの身体は……。
っと、ダメだダメだ。俺は首を振りながら、お風呂の扉を開ける。正直見惚れていたが、あれ以上はダメだ。もし鏡と全裸の自分がにらめっこしているところを誰かに見られたら、恥ずかしくて死ねる。
お風呂にある鏡を出来るだけ見ないよう、鏡に背を向け湯船に浸かる。身体の芯まで暖まり、色々なことがありすぎて疲れがたまった身体に沁みわたった。
お湯に浸かりながら、ぼーっと天井を眺めていると、胸に違和感。
視線を下ろすと、おっぱいがお湯に浮いている。ほんとに浮くんだ! と、感動すら覚えた。漫画などで、胸が大きいキャラのおっぱいが浮かぶシーンなどを見たことがあったが、フィクションだと思っていた。まさか、ほんとに浮くとは。
それから俺は、長い髪に苦戦しつつも、頭を洗い、洗顔やボディソープで身体を洗ってからお風呂から上がった。
身体を拭くのにも男の頃とは勝手が全く違う。男は直線的で比較的簡単に身体を拭くことが出来るが、女の身体はおっぱいがあり、谷間の水気を完全に拭き取るのには苦労した。
それからパジャマに着替え、歯を磨き、部屋へと戻った。
時刻は十時過ぎ。正直寝るのにはまだまだ早いと思っていたのだが、身体は思っていたよりも疲れていたらしい。明かりを消してベッドに倒れると、俺はそのまま眠りについた。
こうして俺の新たな日常、その一日目が幕を閉じた。
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