嵐と幸運

梅丘 かなた

嵐と幸運【カクヨム版】

   1


 りくはその日の午後、男と会う約束をしていた。

 男の名は、和志かずし、三七歳。

 陸は和志と、ゲイ向けのアプリで知り合った。

 陸は、彼に会う前から、すでにいい予感がしている。

 アプリの画面上で、和志の顔を何度も見て、魅力的な笑顔だと感じていたのだ。


 待ち合わせ場所は、駅前の交番付近。

 和志は、数分遅れてやってきた。

 陸は、和志が現れた時の笑顔に一瞬にして魅了された。

 懐かしいような、切ない気持ちになったのだ。


「お疲れさま。少し向こうに、いい喫茶店があったから、そこへ行かない?」

 初対面で、お疲れさまと言われたが、陸は特に驚かなかった。

 最初から知り合いのようにふるまった方が、周囲にいる人に不自然に思われない、と以前ゲイと出会ったときに教えられたからだ。


「分かった。じゃあ、行こうか」

 そう言いながらも、陸は、内心、緊張していた。

 和志は、親しみやすい雰囲気だが、同じゲイとの出会いにはなかなか慣れない。



   2


 喫茶店は天井が高く開放的で、明るい茶色の空間だった。

 陸は、入った瞬間から、心地よい感じがした。

 陸はホットコーヒー、和志はアイスティーを店員に注文し、会話が始まった。


「陸、でいい?」

 和志は、陸に呼び方を確認した。


「いいよ。和志くんって呼んでいい?」

 陸は三一歳なので、和志よりも年下だ。


「それでいいよ。陸は、彼氏、いないんだよね」

 軽く、念を押すように和志が聞いた。


「彼氏は、いないんだ。それで、こうして出会いを探しているわけ」

 陸は、穏やかに答えた。


「俺も、彼氏はいない。いないなら、いないで、いいんだけどね」

 和志がそう言うと、陸はここで初めて「おや」と思った。

 いなくていいのなら、和志は、何のために出会いを探しているのだろう。

 アプリ上では、出会いを探している様子だった。

 それほど彼氏探しに執着していない、という意味で言ったのだろうか。


「そう言うと、誤解があるかな。ただ、彼氏がいなくても、そこまで困らないというか」

 和志がそう言って、陸はようやく言葉の意味を理解した。

 そして、安心もする。

 どうやら和志は、彼氏探しにそこまで熱心でないだけなのだ。

 彼氏を全く探していないわけではない。


「和志くんは、俺より余裕があるなぁ。今、俺はどうしても彼氏が欲しい、ってなってしまって……」


「それもいいんじゃないかな。人それぞれだよ」


 それから少しして、店員が飲み物を運んできた。

 そのうやうやしい動作を見ながら、陸は和志との出会いに感謝したい気持ちになった。



   3



 例の喫茶店で、陸たちは大した話をしなかった。

 最近の仕事の話、最近観たテレビ番組の話。

 陸は、和志に魅力を感じてなかったら、退屈な話と感じただろうと思った。

 自分自身、もっと会話術を学ばなければ、と考えさせられた。


 陸は、和志とたまに会う関係になり、日々、喜びを感じている。

 しかし、和志には、よく連絡を取り合っている男がいた。


「また、例の彼からのメール?」

 陸は、不安げに和志に聞いた。

 久しぶりに会った時、和志がスマホを見ているので、そう聞いたのだ。


「会いたいって、しつこいんだ」

 和志は、答える。


「俺だったら、受信拒否だよ」


「受信拒否するほどではないよ」


「まさか、その人に興味があるとか?」

 陸の不安は、頂点に達した。

 こういう下らないことで、わずらわされたくない。

 なぜ、和志はその男のメールを拒否しないのか。


「会いたいってしつこくなければ、それなりに魅力的なんだけど」

 和志のその一言は、陸をどん底に突き落とした。

 魅力的? それは、困る。


「しつこいのは、魅力的じゃないと思うけどな……」

 陸は、こういう時、何を言ったら効果的か一瞬考えたが、とっさに出た言葉はそれだった。

 もっといい言葉があったはずだ、と陸は後悔した。


「まぁ、そうだよな」

 和志は言った。

 それで、陸の心はやっと安心した。



   4



 ある夜、和志から陸に電話があった。


辰樹たつきに、陸の話をしたら、興味があるから会いたいって。どうする? 俺を入れた三人で会う?」


「辰樹って、誰?」

 陸は聞いた。


「例の、会いたいって、よくメールが来る人だよ」


 それを聞いて、陸は、むしろちょうどいい、と思った。

 ここで、辰樹を牽制けんせいしておく必要がある。


「会ってみたいな」


「ほんと? じゃあ、今度、三人で会おう」


「OK」

 そう言って電話を切り、陸は脳内で、辰樹をやっつけるシミュレーションを始める。

 奴はどんな性格で、どんな言葉が効果的だろうか。

 ここで、負けるわけにはいかない。

 


   5



 三人で会う場所は、和志の一人暮らしの部屋に決まった。

 和志は、1LDKの賃貸の部屋に住んでいる。

 陸からすると、和志は若干、金回りがよさそうだ。

 住んでいる部屋の広さからそれが分かる。


 LDKの広々とした空間に、ゲイの男三人が集まった。

 陸は、辰樹の顔を見て、苛立っていた。

 こんな男に負けたくはない。

 

 辰樹の年齢は、陸と大体同じくらいで、三十代前半だろうか。

 どこか勝気な表情をしている。


 和志が、飲み物を準備している間、テーブルと椅子には、一時的に陸と辰樹だけになった。


 その間、陸は、辰樹に話しかけようともしなかったし、辰樹の方も特に何も言わなかったが、二人の間にはピリピリした雰囲気が立ち込めた。


 和志が、緑茶を注いだ湯呑み茶碗を二つ持って、テーブルに置いた。


「和志は、この人と付き合ってるの?」

 辰樹が和志に聞いた。


「いや、付き合ってない」


「格が違いすぎるからか?」

 辰樹が言うと、陸は怒りが生まれるのを感じた。


「確かに、俺は和志ほどいい男じゃないけど。あんたも、和志と付き合うには、下品すぎる」


「下品だと? 俺は、そこまでお前を悪く言ってないだろ」

 辰樹が、憤慨ふんがいする。


「俺は正直なんだ」


「まぁ、二人とも、落ち着いて」

 和志は、言った。


「今、正直に言うと、二人の間で、どっちと付き合うかで悩んでる」


「迷うことなんてないだろ」

 辰樹が言う。


「この場合、どっちかに早く決めないと、二人の人間を振り回すことになるよ」

 陸が言うと、和志は息を吐いた。


「悪いけど、あんまりせかさないで欲しいんだ。俺は、恋愛の相手は、急いで決めるものじゃないと考えている」


「まぁ、それはそうなんだけど」

 辰樹が不満げに言う。


 陸は、不安のもやが心に立ち込めるのを感じた。


「しばらくの間、考えさせて欲しい」

 和志が言うと、陸も辰樹も、何となく何も言えなくなった。


 この後、三人は特にこれといった話題もないまま、解散した。



   6



 陸の心の中で、和志への想いと、辰樹への嫌悪感、最終的に選ばれるかどうかの不安などがごちゃ混ぜになり、複雑な模様を描いていた。


 そんな毎日は息苦しかったが、苦しみから逃れるすべはない。


 ある夜、和志が陸にメールをくれた。

 和志によると、話があるから会いたい、という。

 陸は、自分か辰樹かどちらかを選んだので、その報告だ、と直感した。


 その夜、陸は和志と、静かな公園で会った。


「陸か、辰樹か、どっちと付き合うか、決めた」


「どっち?」


「辰樹」

 その名前を聞いた瞬間、陸の体内で怒りが湧いた。

 その怒りは、辰樹の存在に向けられている。


 陸は、あまりの怒りに訳の分からない叫びをあげた。

 和志は、それに一瞬驚き、戸惑いを顔に浮かべる。


「そうか……残念だ」

 陸の怒りは急にしぼみ、今度はうなだれる。

 もうここから帰宅するのも、大儀たいぎだった。



   7



 陸は、それでも和志にメールを送り続けた。

 それも、毎日のように。

 陸は、ヤケになっていたせいか、メールを送ることに何のためらいも感じなかった。

 むしろ、和志が辰樹と会っているときに、彼が辰樹の前でスマホを確認することさえ望んでいた。

 和志は、律儀りちぎにメールを返してくれた。

 たまに、電話もかけたが、やはり電話にも出てくれる。


 辰樹に不安を与えるため、自分の存在をどんどん出していこう、と陸は思った。


 ある日、和志から陸にメールがあり、辰樹が陸に会いたいようだと伝える。

 和志は、陸に、辰樹の連絡先を教えた。

 陸にとって、辰樹と二人で会う機会は、要らないと言えば要らない。

 けれど、ここら辺で会ってやってもいい。


 陸は、辰樹と直接メールのやり取りをし、会う日時と場所を決めた。


 陸は、待ち合わせ場所に、少し早めに着いていた。

 辰樹は、時間ちょうどにやってきた。

 彼は、怒りを隠せない様子だ。


「和志にしょっちゅう連絡してるの、お前だろ」

 辰樹が怒りを口にした。


「さぁね」


「さぁね、じゃねぇよ。いい加減、和志に連絡するの、やめろ。和志は、俺の彼氏なんだから」


「分かったよ」

 陸は、反省するふりをした。

 辰樹は、それを見るなり、すぐに去って行った。



   8



 ところが、陸は、和志にメールを送り続け、電話をかけ続けた。

 和志は、メールの返信を書いてくれたし、電話にも出られる時は出てくれた。

 陸は、内心、ほくそ笑んでいた。


 陸は、辰樹の心に不安や怒りを与えるためにも、自分の影を感じさせようとしている。


 さらに、陸は、少しの間でも、会える時は和志と会っていた。

 会って、少しだけでも会話する。

 そして、また連絡をする。

 それを小まめに繰り返す。

 おそらく、自分のやっていることは無駄ではないはずだ、と陸は考えていた。


 ある夜、辰樹が、陸に会いたいとメールで言った。

 和志を介して連絡したせいで、二人はお互いの連絡先を知っている。

 陸は、いきなり殴られないか心配だったが、辰樹と会う決意をした。


 辰樹は、今度は落ち着いた表情で、待ち合わせ場所に現れた。


「和志は、ダメなヤツだよな。お前も気づいているだろ?」

 辰樹は、どこか疲れた表情で言った。


「ああ。彼氏はあんたなのに、和志は俺にもマメに連絡したり、会ったりする」


「で、和志と寝たことはあるのか?」


「一度もないな……。寝たいとは思うけど。あんたは?」


「俺もない。あんまりエッチに興味ないみたいで……。俺は、和志とは別れるよ。お前が付き合ってみれば?」


「そうするよ」


「すぐにウンザリすると思うけどな」

 辰樹のその言葉に対し、陸は無言だった。



   9



 陸は、ある日の午後、和志と会った。

 ここは、和志の部屋。

 和志が淹れてくれたコーヒーの香りがほんのり漂う。


「実は、俺、辰樹と別れたんだ」

 和志が切り出した。


「知ってる。辰樹から聞いた」

 心に生じたワクワク感を抑えながら、陸が言った。


「やっぱり、付き合うのは陸の方がいいのかな」


「たぶんね。付き合ってみないと分からないけど」


「付き合ってみる?」


「そうしよう」

 陸は、静かに言ったが、心の内では快哉かいさいを叫んでいた。



   10



 それから、陸の毎日は、幸福の色に染まった。

 和志と会うだけで幸福、メールをするだけで幸福。

 陸は、人生がこれほど楽しいとは今まで思わなかった。


 ただ、その幸福は長くは続かなかった。

 和志は、辰樹ともまた違う別の男と、最近会い始めたようだ。


「和志、最近、他の男と会ってるの?」

 陸が聞く。

 ここは和志の部屋で、陸が会いたいと言って訪ねてきた。


「会うだけで、別に、寝ているわけではないよ」

 そう言う和志の声色には、わずかに苛立ちが含まれている。


「それは信じるよ。でも、なるべく会わないで欲しいんだ」


「会う回数は、陸の方が多いよ」


「そういう問題かな……」


「あんまり口出ししないで欲しいな。和志だって、会いたい友達に会えばいいじゃん」

 そう言われて、陸は何も言えなくなった。



   11


 それから、陸はどこか憂鬱ゆううつな気持ちで生活していた。

 心の霧が晴れず、恋愛のつらい面が及ぼす不快感に悩み始めたのだ。


 そんな中、陸は、辰樹とメールをして、二人で、ある計画を練り始めた。

 その計画を実行に移したら、心の霧が晴れるかと言ったら、そうはならない可能性が高い。

 それでも、今の陸には、とても魅力的な計画だった。



   12



 ある日、陸は和志にメールした。

 今度、辰樹も加えた三人で会わないか、という内容だ。

 和志は、了承した。

 陸は和志の部屋で会うのはどうだろうか、と言って、和志の部屋で会うことになった。


 陸が和志に案内されて、彼の部屋のLDKに入ると、辰樹がすでに部屋に来ているのを見た。

 陸は、少し緊張していた。


 陸と辰樹が、目くばせをする。


「最近、調子は、ど……」

 言いかけた和志の言葉が止まった。


 陸が、和志の唇を唇でふさいだからだ。

 陸は、強引に和志の唇に舌を入れた。

 和志は、少し抵抗するか迷ったようだが、結局、動きが止まったまま、陸のキスを味わい始める。


 辰樹が、和志の服を脱がせ始める。

 まずは、ベルトを緩め始める。

 服の上から、体に触れたりもしながら、ジーンズを脱がす作業を始めた。


 陸は、和志が着ているシャツを脱がす。

 ボタンを一つ一つ丁寧に取る作業も楽しんでいた。


 そして、和志は完全に裸にされた。

 陸と辰樹は、服を着たままだ。


 和志は、陸と辰樹に快楽を与えられた。

 陸も満ち足りた想いを味わい、辰樹はぼんやりとしている。


 三人は、しばらくの間、無言で余韻よいんに浸っていた。



   13



 陸と辰樹は、二人で和志を抱くという“計画”が成功しても、特に何の感慨かんがいも湧かなかった。

 幸い、行為の最中、和志が嫌がる様子はなかった。

 それどころか、三人での行為を楽しんでいた。

 陸はもちろん、辰樹も楽しんでいた。


 ただ、陸は、しばらくの間、何となく和志に連絡しづらくなっていたし、和志の方からも、あまり連絡が来ない。


 陸は、ある日、思い切って、和志にメールをした。

 一度、二人で会って話さないか、と。

 和志は、了承し、彼の部屋で会うことになった。


「和志は、まだ俺と付き合っていると思ってる?」

 陸は、勇気を出して、言った。


「ああ。まだ別れてないよね」


「別れたいと思う?」


「俺は、別れたくない」

 和志のその言葉を聞き、陸は安堵あんどした。


「良かった。和志には不満があったんだけど……」


「他の男性と会ってることだよね」


「ああ。でも、もう気にしないことにしたんだ。考えてみれば、俺だって友達にも会うし、そんなに悪いことでもない」


「恋愛は、陸とだけしているつもりだよ。でも、陸が嫌なら、なるべく他の人と会わないようにする」


「あ、いや、会ってもいいんだけど、セックスは絶対にしないでくれる?」


「そんなの、当たり前じゃん」


「あと、辰樹とも、しないでくれる?」


「二人で計画を練って、俺と3Pしといて、よく言うよ」

 和志は、苦笑いを浮かべた。


「ちょっと、懲らしめてやるつもりだったんだ」


「まぁ、結果的に“凄かった”から、いいけど。あの時、完全に俺が受け身だったから、不満もあったんだ」

 和志が言った。


「今度は、俺が陸を攻めたいな」

 和志が、陸の瞳をのぞき込む。

 陸の胸は、一瞬で熱くなった。


 一度は不安で陰っていた陸の心だが、未来が急に楽しみになる。

 陸と和志は、今、お互いに温かい想いに満たされていた。

 二人は、かけがえのない幸運を手に入れたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

嵐と幸運 梅丘 かなた @kanataumeoka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ