嵐と幸運
梅丘 かなた
嵐と幸運【カクヨム版】
1
男の名は、
陸は和志と、ゲイ向けのアプリで知り合った。
陸は、彼に会う前から、すでにいい予感がしている。
アプリの画面上で、和志の顔を何度も見て、魅力的な笑顔だと感じていたのだ。
待ち合わせ場所は、駅前の交番付近。
和志は、数分遅れてやってきた。
陸は、和志が現れた時の笑顔に一瞬にして魅了された。
懐かしいような、切ない気持ちになったのだ。
「お疲れさま。少し向こうに、いい喫茶店があったから、そこへ行かない?」
初対面で、お疲れさまと言われたが、陸は特に驚かなかった。
最初から知り合いのようにふるまった方が、周囲にいる人に不自然に思われない、と以前ゲイと出会ったときに教えられたからだ。
「分かった。じゃあ、行こうか」
そう言いながらも、陸は、内心、緊張していた。
和志は、親しみやすい雰囲気だが、同じゲイとの出会いにはなかなか慣れない。
2
喫茶店は天井が高く開放的で、明るい茶色の空間だった。
陸は、入った瞬間から、心地よい感じがした。
陸はホットコーヒー、和志はアイスティーを店員に注文し、会話が始まった。
「陸、でいい?」
和志は、陸に呼び方を確認した。
「いいよ。和志くんって呼んでいい?」
陸は三一歳なので、和志よりも年下だ。
「それでいいよ。陸は、彼氏、いないんだよね」
軽く、念を押すように和志が聞いた。
「彼氏は、いないんだ。それで、こうして出会いを探しているわけ」
陸は、穏やかに答えた。
「俺も、彼氏はいない。いないなら、いないで、いいんだけどね」
和志がそう言うと、陸はここで初めて「おや」と思った。
いなくていいのなら、和志は、何のために出会いを探しているのだろう。
アプリ上では、出会いを探している様子だった。
それほど彼氏探しに執着していない、という意味で言ったのだろうか。
「そう言うと、誤解があるかな。ただ、彼氏がいなくても、そこまで困らないというか」
和志がそう言って、陸はようやく言葉の意味を理解した。
そして、安心もする。
どうやら和志は、彼氏探しにそこまで熱心でないだけなのだ。
彼氏を全く探していないわけではない。
「和志くんは、俺より余裕があるなぁ。今、俺はどうしても彼氏が欲しい、ってなってしまって……」
「それもいいんじゃないかな。人それぞれだよ」
それから少しして、店員が飲み物を運んできた。
その
3
例の喫茶店で、陸たちは大した話をしなかった。
最近の仕事の話、最近観たテレビ番組の話。
陸は、和志に魅力を感じてなかったら、退屈な話と感じただろうと思った。
自分自身、もっと会話術を学ばなければ、と考えさせられた。
陸は、和志とたまに会う関係になり、日々、喜びを感じている。
しかし、和志には、よく連絡を取り合っている男がいた。
「また、例の彼からのメール?」
陸は、不安げに和志に聞いた。
久しぶりに会った時、和志がスマホを見ているので、そう聞いたのだ。
「会いたいって、しつこいんだ」
和志は、答える。
「俺だったら、受信拒否だよ」
「受信拒否するほどではないよ」
「まさか、その人に興味があるとか?」
陸の不安は、頂点に達した。
こういう下らないことで、
なぜ、和志はその男のメールを拒否しないのか。
「会いたいってしつこくなければ、それなりに魅力的なんだけど」
和志のその一言は、陸をどん底に突き落とした。
魅力的? それは、困る。
「しつこいのは、魅力的じゃないと思うけどな……」
陸は、こういう時、何を言ったら効果的か一瞬考えたが、とっさに出た言葉はそれだった。
もっといい言葉があったはずだ、と陸は後悔した。
「まぁ、そうだよな」
和志は言った。
それで、陸の心はやっと安心した。
4
ある夜、和志から陸に電話があった。
「
「辰樹って、誰?」
陸は聞いた。
「例の、会いたいって、よくメールが来る人だよ」
それを聞いて、陸は、むしろちょうどいい、と思った。
ここで、辰樹を
「会ってみたいな」
「ほんと? じゃあ、今度、三人で会おう」
「OK」
そう言って電話を切り、陸は脳内で、辰樹をやっつけるシミュレーションを始める。
奴はどんな性格で、どんな言葉が効果的だろうか。
ここで、負けるわけにはいかない。
5
三人で会う場所は、和志の一人暮らしの部屋に決まった。
和志は、1LDKの賃貸の部屋に住んでいる。
陸からすると、和志は若干、金回りがよさそうだ。
住んでいる部屋の広さからそれが分かる。
LDKの広々とした空間に、ゲイの男三人が集まった。
陸は、辰樹の顔を見て、苛立っていた。
こんな男に負けたくはない。
辰樹の年齢は、陸と大体同じくらいで、三十代前半だろうか。
どこか勝気な表情をしている。
和志が、飲み物を準備している間、テーブルと椅子には、一時的に陸と辰樹だけになった。
その間、陸は、辰樹に話しかけようともしなかったし、辰樹の方も特に何も言わなかったが、二人の間にはピリピリした雰囲気が立ち込めた。
和志が、緑茶を注いだ湯呑み茶碗を二つ持って、テーブルに置いた。
「和志は、この人と付き合ってるの?」
辰樹が和志に聞いた。
「いや、付き合ってない」
「格が違いすぎるからか?」
辰樹が言うと、陸は怒りが生まれるのを感じた。
「確かに、俺は和志ほどいい男じゃないけど。あんたも、和志と付き合うには、下品すぎる」
「下品だと? 俺は、そこまでお前を悪く言ってないだろ」
辰樹が、
「俺は正直なんだ」
「まぁ、二人とも、落ち着いて」
和志は、言った。
「今、正直に言うと、二人の間で、どっちと付き合うかで悩んでる」
「迷うことなんてないだろ」
辰樹が言う。
「この場合、どっちかに早く決めないと、二人の人間を振り回すことになるよ」
陸が言うと、和志は息を吐いた。
「悪いけど、あんまりせかさないで欲しいんだ。俺は、恋愛の相手は、急いで決めるものじゃないと考えている」
「まぁ、それはそうなんだけど」
辰樹が不満げに言う。
陸は、不安の
「しばらくの間、考えさせて欲しい」
和志が言うと、陸も辰樹も、何となく何も言えなくなった。
この後、三人は特にこれといった話題もないまま、解散した。
6
陸の心の中で、和志への想いと、辰樹への嫌悪感、最終的に選ばれるかどうかの不安などがごちゃ混ぜになり、複雑な模様を描いていた。
そんな毎日は息苦しかったが、苦しみから逃れるすべはない。
ある夜、和志が陸にメールをくれた。
和志によると、話があるから会いたい、という。
陸は、自分か辰樹かどちらかを選んだので、その報告だ、と直感した。
その夜、陸は和志と、静かな公園で会った。
「陸か、辰樹か、どっちと付き合うか、決めた」
「どっち?」
「辰樹」
その名前を聞いた瞬間、陸の体内で怒りが湧いた。
その怒りは、辰樹の存在に向けられている。
陸は、あまりの怒りに訳の分からない叫びをあげた。
和志は、それに一瞬驚き、戸惑いを顔に浮かべる。
「そうか……残念だ」
陸の怒りは急にしぼみ、今度はうなだれる。
もうここから帰宅するのも、
7
陸は、それでも和志にメールを送り続けた。
それも、毎日のように。
陸は、ヤケになっていたせいか、メールを送ることに何のためらいも感じなかった。
むしろ、和志が辰樹と会っているときに、彼が辰樹の前でスマホを確認することさえ望んでいた。
和志は、
たまに、電話もかけたが、やはり電話にも出てくれる。
辰樹に不安を与えるため、自分の存在をどんどん出していこう、と陸は思った。
ある日、和志から陸にメールがあり、辰樹が陸に会いたいようだと伝える。
和志は、陸に、辰樹の連絡先を教えた。
陸にとって、辰樹と二人で会う機会は、要らないと言えば要らない。
けれど、ここら辺で会ってやってもいい。
陸は、辰樹と直接メールのやり取りをし、会う日時と場所を決めた。
陸は、待ち合わせ場所に、少し早めに着いていた。
辰樹は、時間ちょうどにやってきた。
彼は、怒りを隠せない様子だ。
「和志にしょっちゅう連絡してるの、お前だろ」
辰樹が怒りを口にした。
「さぁね」
「さぁね、じゃねぇよ。いい加減、和志に連絡するの、やめろ。和志は、俺の彼氏なんだから」
「分かったよ」
陸は、反省するふりをした。
辰樹は、それを見るなり、すぐに去って行った。
8
ところが、陸は、和志にメールを送り続け、電話をかけ続けた。
和志は、メールの返信を書いてくれたし、電話にも出られる時は出てくれた。
陸は、内心、ほくそ笑んでいた。
陸は、辰樹の心に不安や怒りを与えるためにも、自分の影を感じさせようとしている。
さらに、陸は、少しの間でも、会える時は和志と会っていた。
会って、少しだけでも会話する。
そして、また連絡をする。
それを小まめに繰り返す。
おそらく、自分のやっていることは無駄ではないはずだ、と陸は考えていた。
ある夜、辰樹が、陸に会いたいとメールで言った。
和志を介して連絡したせいで、二人はお互いの連絡先を知っている。
陸は、いきなり殴られないか心配だったが、辰樹と会う決意をした。
辰樹は、今度は落ち着いた表情で、待ち合わせ場所に現れた。
「和志は、ダメなヤツだよな。お前も気づいているだろ?」
辰樹は、どこか疲れた表情で言った。
「ああ。彼氏はあんたなのに、和志は俺にもマメに連絡したり、会ったりする」
「で、和志と寝たことはあるのか?」
「一度もないな……。寝たいとは思うけど。あんたは?」
「俺もない。あんまりエッチに興味ないみたいで……。俺は、和志とは別れるよ。お前が付き合ってみれば?」
「そうするよ」
「すぐにウンザリすると思うけどな」
辰樹のその言葉に対し、陸は無言だった。
9
陸は、ある日の午後、和志と会った。
ここは、和志の部屋。
和志が淹れてくれたコーヒーの香りがほんのり漂う。
「実は、俺、辰樹と別れたんだ」
和志が切り出した。
「知ってる。辰樹から聞いた」
心に生じたワクワク感を抑えながら、陸が言った。
「やっぱり、付き合うのは陸の方がいいのかな」
「たぶんね。付き合ってみないと分からないけど」
「付き合ってみる?」
「そうしよう」
陸は、静かに言ったが、心の内では
10
それから、陸の毎日は、幸福の色に染まった。
和志と会うだけで幸福、メールをするだけで幸福。
陸は、人生がこれほど楽しいとは今まで思わなかった。
ただ、その幸福は長くは続かなかった。
和志は、辰樹ともまた違う別の男と、最近会い始めたようだ。
「和志、最近、他の男と会ってるの?」
陸が聞く。
ここは和志の部屋で、陸が会いたいと言って訪ねてきた。
「会うだけで、別に、寝ているわけではないよ」
そう言う和志の声色には、わずかに苛立ちが含まれている。
「それは信じるよ。でも、なるべく会わないで欲しいんだ」
「会う回数は、陸の方が多いよ」
「そういう問題かな……」
「あんまり口出ししないで欲しいな。和志だって、会いたい友達に会えばいいじゃん」
そう言われて、陸は何も言えなくなった。
11
それから、陸はどこか
心の霧が晴れず、恋愛のつらい面が及ぼす不快感に悩み始めたのだ。
そんな中、陸は、辰樹とメールをして、二人で、ある計画を練り始めた。
その計画を実行に移したら、心の霧が晴れるかと言ったら、そうはならない可能性が高い。
それでも、今の陸には、とても魅力的な計画だった。
12
ある日、陸は和志にメールした。
今度、辰樹も加えた三人で会わないか、という内容だ。
和志は、了承した。
陸は和志の部屋で会うのはどうだろうか、と言って、和志の部屋で会うことになった。
陸が和志に案内されて、彼の部屋のLDKに入ると、辰樹がすでに部屋に来ているのを見た。
陸は、少し緊張していた。
陸と辰樹が、目くばせをする。
「最近、調子は、ど……」
言いかけた和志の言葉が止まった。
陸が、和志の唇を唇でふさいだからだ。
陸は、強引に和志の唇に舌を入れた。
和志は、少し抵抗するか迷ったようだが、結局、動きが止まったまま、陸のキスを味わい始める。
辰樹が、和志の服を脱がせ始める。
まずは、ベルトを緩め始める。
服の上から、体に触れたりもしながら、ジーンズを脱がす作業を始めた。
陸は、和志が着ているシャツを脱がす。
ボタンを一つ一つ丁寧に取る作業も楽しんでいた。
そして、和志は完全に裸にされた。
陸と辰樹は、服を着たままだ。
和志は、陸と辰樹に快楽を与えられた。
陸も満ち足りた想いを味わい、辰樹はぼんやりとしている。
三人は、しばらくの間、無言で
13
陸と辰樹は、二人で和志を抱くという“計画”が成功しても、特に何の
幸い、行為の最中、和志が嫌がる様子はなかった。
それどころか、三人での行為を楽しんでいた。
陸はもちろん、辰樹も楽しんでいた。
ただ、陸は、しばらくの間、何となく和志に連絡しづらくなっていたし、和志の方からも、あまり連絡が来ない。
陸は、ある日、思い切って、和志にメールをした。
一度、二人で会って話さないか、と。
和志は、了承し、彼の部屋で会うことになった。
「和志は、まだ俺と付き合っていると思ってる?」
陸は、勇気を出して、言った。
「ああ。まだ別れてないよね」
「別れたいと思う?」
「俺は、別れたくない」
和志のその言葉を聞き、陸は
「良かった。和志には不満があったんだけど……」
「他の男性と会ってることだよね」
「ああ。でも、もう気にしないことにしたんだ。考えてみれば、俺だって友達にも会うし、そんなに悪いことでもない」
「恋愛は、陸とだけしているつもりだよ。でも、陸が嫌なら、なるべく他の人と会わないようにする」
「あ、いや、会ってもいいんだけど、セックスは絶対にしないでくれる?」
「そんなの、当たり前じゃん」
「あと、辰樹とも、しないでくれる?」
「二人で計画を練って、俺と3Pしといて、よく言うよ」
和志は、苦笑いを浮かべた。
「ちょっと、懲らしめてやるつもりだったんだ」
「まぁ、結果的に“凄かった”から、いいけど。あの時、完全に俺が受け身だったから、不満もあったんだ」
和志が言った。
「今度は、俺が陸を攻めたいな」
和志が、陸の瞳をのぞき込む。
陸の胸は、一瞬で熱くなった。
一度は不安で陰っていた陸の心だが、未来が急に楽しみになる。
陸と和志は、今、お互いに温かい想いに満たされていた。
二人は、かけがえのない幸運を手に入れたのだ。
嵐と幸運 梅丘 かなた @kanataumeoka
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます