第2話ひらめき課の危機と前世の記憶

人々が天と呼ぶ場所の一部、広大な『天の図書館』と、その一番奥の『ひらめき課』が危機を迎えていた。


木枯らしがひらめき課の窓をカタカタと鳴らしながら通り過ぎていく、ヒラメは自分の心の中にも冷たい風が吹いているような気がした。


「課長、天の図書館とひらめき課がなくなるかもしれないって、本当ですか?。」

「ええ、そういうことになりそうですね。」

「しっかりしてください。対抗措置を取らないと、二人ともジョブレスですよ。」

「そんなことよりも、前世の記憶って、蘇るものでしょうか?。」

「何言ってるんですか。私たち天の事業(株)に就職した際に、前世の記憶を消される決まりでしょう。天の事業(株)の業務に支障をきたさないために。課長大丈夫ですか?」

「そうですね、大丈夫なんでしょうか?。ゆっくりと考えなければ。気分が悪いので私は早退します。平井君、後はよろしく。」

白井課長は唐突に早退してしまった。


一人残されて、呆れるヒラメのもとにキララがやってきて言った。

「ひらめき課廃止反対の嘆願書に16名の署名をもらったわ。」

キララを追うように高杉が、長い脚を伸ばしてモデルみたいな歩き方でやってきた。

「キララ、資材課にも話をつけた。6人くらいは署名してくれるだろう。ヒラメ、心配するな。万が一ジョブレスになったら、うちの屋敷で住み込みの下働きとして働かせてやるから。」

「ありがとう、タカピー。気を使ってくれて。」

ーたとえ見当違いの気の使い方であっても。

私にとって、天の事業(株)で仕事をするのが、子供の頃からの夢で、夢を叶えるために、他人になんと言われようと精一杯努力してきたつもり。

私はまだ天の事業(株)を辞めたくない。だって、まだ精一杯やりきってないもの。ー


「礼を言われる程の事ではない。」

高杉はくるっと向きを変え、スタスタと立ち去った。

ヒラメに礼を言われて赤くなった顔を見られないように。


「本当に高杉氏は素直じゃないわよね。私は資材課に署名をもらってくるわ。」

キララが去ると、ヒラメのポケベルが鳴りだした。

「世の中の天才がひらめきを続けている。だから私は自分の仕事をしましょう。きっとなんとかなる。私はできることを精一杯するだけ。」

ヒラメはそう独り言を言って、該当資料を転送装置にかけた。


 ひらめき課の廃止を決める本部長会議の前日、スケジュールボードにミーティングと書いたまま、白木課長は午後になっても現れなかった。

外では木枯らしが吹きすさび、窓をゴトゴト鳴らしながら去っていった。

物音がするたびに、ヒラメは白木課長が戻ってきたのかと立ち上がった。

「署名、増えてるから大丈夫。」

と、キララは通りすがりに肩をたたき、ヒラメを励ました。

ー今日に限って、多くの人がひらめくのはどういうわけ?ー

ヒラメは、広大な天の図書館を駆け回って、資料を集める。


定時の時報が流れたとき、白木課長がやっと戻ってきた。

「平井君、申し訳ありませんが、明日の本部長会議にむけて、至急これを仕上げてください。」

課長に分厚い原稿の束を渡されたヒラメは、声も出ないほど驚いていた。

昼行燈とあだ名されるとおり、昨日までの課長は汚れたいような色のヨレヨレのスーツをきて、だらっとした古びた靴をはき、寝ぐせだらけのぱさぱさの髪をしていた。

それなのに、目の前にいるのは整えられたつややかな髪、ブランドもののような紺のスーツを着こなし、磨き上げられた革靴をはき、その上眼鏡までかけている。

白木課長は中指と薬指で眼鏡をずりあげニヒルに微笑んだ。

眼鏡がキラッと光った気がした。

その姿にドキっとしてしまったヒラメは、自らを叱咤する。

ーちょっと待って!。アラサーにときめいてどうするの?。それより、仕事を始めるべきでしょ。ー


原稿を入力しだして、また驚く。

天の図書館とひらめき課の必要性を、多くのデーターを使い客観的に説いていた。

いつの間にこんなに幅広いデーターを収集し、分析をしたのだろう?。

白木課長が、こんなに仕事ができるとは思ってもみなかった。

その上、今回のイメチェンの理由も不明だったし。

それでも、白木課長が明日の本部長会議にむけて、天の図書館とひらめき課の存続の為に、努力してくれていることは嬉しかった。


 そして遂に、本部長会議の当日が来た。

会議はひどく長引いた。

その上、まるで時計が壊れているかのように、何度見直してもたいして時間が進んでいなかった。


「長引いているっていう事は、白木課長が頑張っている証拠だから。信じて待とう。」

ソワソワしているヒラメを見かねて、高杉までが彼女を励ました。

四時過ぎにやっと終了した本部長会議だったが、白木課長だけが本部長と会議室に残り、定時になっても戻らなかった。


ついに会議結果が、翌日朝の掲示板に貼られた。

『天の図書館とひらめき課は今まで通り継続。』

「ヒラメ、ひらめき課存続、おめでとう。」

キララがヒラメに抱き着いて言った。

「本当に?。ひらめき課つぶれないのね?。よかった、タカピーのお屋敷の、下働きにならなくて済むのね。」

「下働き?。つまりメイドってこと。ヒラメのメイド服は最高に似合いそうだし、絶対見たいわ。ヒラメほどメイド服がしっくりくる人は考えつかない。そうだ、ひらめき課の仕事をメイド服でしたら?。」


三時近くになって、白木課長がやっと戻ってきた。

「白木課長、ひらめき課の存続おめでとうございます。それと、ありがとうございました。」

「皆さんの協力あってこそです。この資料タイプしてもらえますか?。あと、定時後ひらめき課存続の、お祝いをしましょう。」

白木課長は中指と薬指で眼鏡をずりあげニヒルに微笑んだ。

眼鏡がキラッと光った気がする。

めぐみはまた、ドキッとしてしまい、自分で自分を𠮟咤した。


定時で仕事をかたずけ(もちろんポケベルは身に着けて)、白木課長の後について天の事業部の建物の外にある、天の商店街のアーケードの突き当りにある、小さな店のドアを開けるた。

今日は冬ながら風もなく、道路の脇では、猫が日向ぼっこをして幸せそうにバンザイのポーズで眠っている。

ヒラメはそんな猫を見て、幸せな気分のおすそ分けをもらった気がした。


クラッシックが流れる店内で高杉とキララが待っていた。

「やあ、お待たせ。ひらめき課廃止反対の署名を集めてくれたキララ君と、ひらめき課存続のためにデーター収集をしてくれた高杉君、そして会議資料をタイプしてくれた平井君、みんなのおかげでひらめき課が存続出来ました。みんな、ありがとう。」

ナイフやフォークが何本も並んだテーブルは、ヒラメにとって初めての経験で困惑したが、白木課長がどれを使えばいいか丁寧に教えてくれたし、食事は最高だった。

「一皿ずつ順番に運ばれてくる場所で食事ができるなんて、夢のよう。」

ヒラメの言葉に皆は微笑む。

高杉は、

「こんな場所、ヒラメには豚に真珠だ。」

とは言わなかったが、

「それでも明日はまた、安くてボリュームがある食堂のコロッケ定食を食べるんだろう?。」

と、言ってからかった。

給仕してくれる女給のメイド服をみたキララが、

「ヒラメにメイド服って絶対に合うと思う。ここで借りて着てみたら?。」

と言った時には、白木課長も高杉も大きくうなずいた。

食後のコーヒーが出たところで高杉が切り出す。

「ところで白木課長、前世の記憶がよみがえったとのことでしたが?。」

「そう、それを君たちにはぜひ聞いてもらいたいんだ。」


「前世の僕は東京で商社に勤めていた。

妻は大田区の図書館で司書をしていた。

子供ができなかったし、僕は海外出張でしょっちゅう家をあけていたから、妻は寂しかったのかも知れなかった。

それでも妻は愚痴も言わず、いつもよく笑って、家事と仕事を両立していた。

僕がロンドンに出張中に、彼女が務める図書館のビルの上の階で、爆弾テロがおこった。

上の階で会議が行われていて、その会議に出席した男性が狙われたらしかった。

爆発で図書館でも火災が発生し、妻は消火を試みたり、貴重な本を守ろうとしていたらしい。

そして、最後に逃げ遅れた親子連れをかばって、落ちてきた建材に挟まり死亡した。

急遽帰国した僕をまっていたのは、すでに火葬され、ツボに入れられた妻だった。

僕はやけになって、仕事漬けの生活を送り、過労で死亡した。

天の図書館とひらめき課の廃止問題が持ち上がった途端に、前世の記憶が戻った。

くしくも、図書館を愛して、図書館を守ろうとして死んでいった妻をもつ僕の記憶が。

こじつけかもしれないけど、亡き妻からのメッセージなんじゃないかと思ったんだ。

もし、以前の無気力な僕だったら、天の図書館とひらめき課の廃止を、甘んじて受け入れていただろう思うと不思議になるよ。」

「前世の記憶が戻るはずがないんです。天の事業(株)に就職した場合、業務に私情を挟まず、公正な立場で仕事が出来るように、前世の記憶を抹消するという規定があるはずです。」

高杉が付け加えた。

「そうよね、自分の子孫にえこひいきしたら、業務がメチャメチャになる。でも少し前に総務主任の前世の記憶が戻ったっていう噂があったし、その時、他にも何人かの記憶も戻ったらしいて言った人がいたけど。」

「キララは顔が広いから、その噂について詳しく探ってくれ、僕は総務主任の話をきいてみる。何かわかったらまた四人で集まろう。」

高杉の一言に皆は頷き、今回の会は終了したが、次回に継続という流れになった。


帰路の途中で白木課長が別れを告げて右折すると、キララが用事があるからと、足早に左折したので、いつの間にか、高杉とヒラメは並んで歩いた。

二人きりにしようとするキララの見え見えの作戦だった。

あい変わらず高杉は長い脚で、モデルみたいに歩いている。

「タカピーって、どうしてモデルみたいに歩くの?。つかれない?。」

「モデルみたい?。ああ、子供の頃マナーを勉強する一環で、家庭教師に貴族らしい歩き方を教わった。いまでも、そのように歩いている。」

「えー?、歩き方にも先生が付くんだ、貴族は貴族で大変なんだね。」

「まあ、農民は農民で大変だろうがな。」

「そうなんだ、うちみたいな普通の農民は、村長とかにパワハラされても、我慢。大雨や、強風、水不足なんかで農作物に被害があっても我慢。野生動物に食べられても我慢。我慢するのが当たり前になっちゃうんだ。」

「貴族も同じさ、あれもダメ、これもダメ。いつも我慢してた。自分のやりたいことを自由にやっているヒラメが不思議だった」

「私は、我慢ばかりしなくてもいいように、天の事業(株)に入ったんだから。それにしても、貴族で頭も顔も良いタカピーにも悩みがあるんだね、知らなかった。」

「頭も顔も良い?。はじめて、ヒラメに褒められたな。」

「だって、タカピーがいつも私に悪口ばかりいってくるんだから、褒めるわけ無いでしょ。今日は珍しく悪口を言わないから、今だけ褒めてあげる。そういえば、服のセンスもいいよね。よく見ると高級そうな生地だけど、シンプルでさり気ないおしゃれだよね。」

なぜだか二人の距離が近づいた気がした。

夜空には、拒食症みたいな三日月に青く輝く星が寄り添っている。

穏やかな、春の予感を感じる夜がゆっくり過ぎていく。

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