嶋村くんと諏訪野さん

@kody24

第1話 嶋村くん、恋に落ちる


「えー、そうなんですかぁ、おもしろいですねー」

 駅からの帰り道、児童公園に差し掛かったところで嶋村柚月は朗らかな少女の声を聞いた。

「うんうんはいはい。あーそれめっちゃええです、わかります〜」

 関西系のイントーネーション、しかしどこか変ではある。なんちゃって関西弁、そんな印象を柚月は抱いた。

 だがそれ以上に変な事実に気づき、柚月は顔をしかめる。

(うわ、独り言か……やばい人かな)

 声の主はセーラー姿の少女だった。少女ひとりだった。明らかに誰かと会話しているけれど、少女はただひとりでペンキも剥げまくってボロボロのベンチに腰掛けて談笑していた。

 十人いれば十人が変な人と判定する状況だ。

 セーラー服もなんだか変だった。袖は振袖っぽいしスカートもなんだか袴みたいになっていて着物みたいだ。こんな制服この辺りで見た事ないし、テレビや雑誌でも見た事がない。

 ただデザインは素直に可愛いと思った。

(こういうのって、いいよね。どこの学校なんだろう)

 興味を引かれてよく見てみたいという気持ちは湧いたが、一方で未だひとりで談笑を続けている少女と……つまりやばい人判定が下されている人物と目が合うような事態は避けたく、そんな葛藤で足を止めていると、

「え、なんです? 誰か来……!」

 突然こちらに顔を向けた少女とばっっちり、目が合った。

 人に見られているとは思っていなかったのだろう、少女は驚きに目を見開き、すぐに顔を耳まで真っ赤にさせた。

 一方の嶋村は、胸の奥に何かが落ちる音を聞いた。

「あ、あの、えっと……ちゃうんです、ごめんなさい!」

 少女は脱兎の如く走り去ってしまった。

 ゆるく束ねたおさげが、それをまとめていた白いリボンが嶋村の心で揺れている。

「…………」

 少女は可愛かった。

 一瞬だけだったが、その顔は脳裏に焼きついた。心に焼きついた。

 細いアゴ、小さな鼻、目は大きくて少し吊り目気味だった。瞳が少し赤みがかって見えたのは夕陽に照らされていたからだろうか。

「可愛い……」

 嶋村柚月は恋に落ちた。

 十七年の人生で初めて人を好きになった。

 一目惚れだった。


 学生にとって、学生に限らず大多数の社会人にとってもだが、月曜とは憂鬱とイコールで結ばれる。

 朝の挨拶が飛び交う教室も、やはりどことなく気だるさが漂っている。

「はよーっす、嶋村〜。昨日はありがとな、付き合ってくれて。……嶋村?」

 先月の席替えで一つ前の席になった石井雅樹はろくに友人の顔も見ずにいつも通りの挨拶をして席についた、が、返事がないので身体ごと後ろを向いた。

 果たして友人の嶋村柚月はそこにいた。

 しかし彼の心はここにあらずだった。

「どうした、おい」

 ぼけ〜っとしている。

 頬杖をつき、口も目も半開きにして中空を眺めている。多分その目には何も映っていない。

「嶋村?」

 だが声は聞こえていたようで、意識もあったようだ。

「おはよ、マーク」

「お、おう。どうした」

 視線が石井に向けられた。

 呆としていた表情が一転、真剣な、そして表現に困るほど悲喜交々が入り混じった複雑なものへと変化する。

「俺、俺……好きな子が出来た!」

 思わず張り上げた大声は、月曜朝の気だるさを吹き飛ばすに十分だった。

「え、それど」

「マジ!? 朴念仁嶋村に春、キタの!?」

 石井の言葉を遮って、琴吹美琴が目を輝かせ割り込んできた。

「おはよ、琴吹さん。朴念仁はひどくない?」

「いや朴念仁じゃん、あんた。っていうか二次元にしか興味ないと思ってた」

 さらに琴吹の後ろから弓削緑が口元に皮肉な笑みを浮かべてやってくる。

「だよなー、全然女子に興味なかったじゃんお前。興味無さすぎて邪推するレベル」

「あたし達みたいな美女が周りにいるのにねー、失礼しちゃう」

「あれーどこに美女とやらがいるのかなー」

「殴るぞ」

 石井と琴吹がぎゃいぎゃいやるのを微笑ましく見守っているのもいつもの事だが、さすがにいつも通りは許されなかった。

「で、どこの誰?」

 弓削が嶋村の机の上に腰掛け、スラリと長い脚を組む。長い黒髪に整った顔立ち、目元は涼しげで男女問わず耳目を集める容姿を持つ。

「そう、どこの誰!? まさか二次元でしたーってオチじゃないよね!?」

 石井を突き飛ばして席を奪い、琴吹が身を乗り出して問い詰めてくる。華奢で小柄、肩口までの茶色がかった癖っ毛と相まって猫のような印象を与える。

「あー、えーと……」

 大きな栗色の瞳に、嶋村は困惑している自分の顔を見た。助けを求めて友人に視線を向けるが、彼もまた嶋村に好奇の目を向けていた。いつもなら突き飛ばした琴吹に文句の一つも言っているのに。

 いや、友人達だけではない。クラスメイトたちの多くも嶋村の方を気にしている。

 事ここに至って嶋村は自身の迂闊さに気づいた。

「……声、大きかった?」

 友人達は同時に頷いた。


 結局朝はすぐに予鈴が鳴り、担任がやってきてホームルームが始まったので話ができなかった。

 なので昼休み、普段はふたり別の所で食べている琴吹と弓削も嶋村達と机を並べていた。

「で、どこの誰だよ? ってか昨日だよな、あれから何かあったのか?」

「なに、ふたりで何かしてたの?」

「マークが参考書買いたいって、街の本屋さんまで行ってたんだ」

「それは関心じゃない。嶋村も買ったの?」

「こいつはマンガ買ってた」

「……口やかましく勉強しろとは言わないけど、前回英語が赤点ギリギリじゃあなかった?」

「あ、あはは……」

 大雑把でガサツな石井だが意外と勉強はできた。四人を並べると弓削石井、少し離れて嶋村琴吹。しかし要領がいいのか勘がいいのか、大抵試験では琴吹の方が嶋村より点が高い。

「勉強の話はやめてさ、恋心嶋村の続きだよ! ヨロ!」

「あー、うん。そのダサい呼び方金輪際しないでね。どこの誰って俺もわかんないんだよ、知りたいくらい。駅でマークと別れて帰る途中、公園あるのわかる? 知ってる? 小さな児童公園」

 ひとり家が別方向の石井だけが首を傾げる。

「あのせっまい公園?」

「どこ?」

「ほら、ヨシムラのあったトコのそば」

「あー、あそこね」

「ヨシムラってのはわからないけど」

 琴吹と弓削は幼稚園からの幼馴染で、中学の時に嶋村と知り合った。石井は高校からだ。

「多分そこの事。そこのベンチに座ってたんだ。こう……変わったセーラー服の子が」

「なんだよ、変わったセーラー服って」

「なんか和服っぽい感じでさ、スカートが袴みたいになってて」

 今度は石井以外も首を傾げた。

「ミドリ知ってる?」

「全然」

「ん〜検索してもヒットしねーや」

「うん、俺も昨日調べた」

「先に言えよ!」

「えー、でも昨日日曜だよ。休みの日に制服?」

「部活のユニフォームとか」

「コスプレ?」

 全員の「おー」が重なった。

「いや、そうじゃなくて。それで、どうした、どうなった?」

「どうなったも、それだけ。俺に気づいて走ってどこか行っちゃった」

「話したとか、そういうのは?」

「ないよ」

「ん、って事は何か、一目惚れってやつか!」

 それはそうなのだが、他人に改めて言われると恥ずかしかった。

「一目惚れとかマジあるんだね〜」

「フィクションの話だと思ってた」

 高校生なのだから色恋沙汰は珍しくないが、一目惚れともなるとレアケースだ。石井は鼻息荒く、女性陣はきゃーきゃー喜んでいる。

「で、どーすんだ? どこの誰かもわかんねーわけだよな。制服から辿るのも難しそうだし」

「うん、だから今日もう一度あの公園に行ってみる。会えれば、いいんだけど」

「だいじょーぶ、きっと逢えるよー。応援するよ!」

「あ、ありがとうことぶ……」

「って事でミドリも石井も放課後予定空けておく事!」

「やっぱ着いてくるのね」

 予想はしていた。


「だぁれもいないねー」

 放課後、四人は児童公園の前にいた。

 が、四人以外に誰もいない。

 近くに住宅街もあるのに公園で遊ぶ子供たちもいない。公園内だけでなく、この付近一帯がエアポケットのように人気が感じられなかった。

「……な、なぁ、なんか寒気しねぇ?」

 裏寂しい雰囲気に当てられたか石井が言い出すと、弓削が「そう言えば」とアゴに手を当てた。

「この公園、出るって噂がなかったか?」

「あー、そうそう! そーいえばそんな噂あったね」

「出るって!?」

「ビビリ石井声裏返ってるよー。出るって言ったらお化けに決まってるじゃ〜ん」

 ひゅーどろどろと両手を垂らす琴吹から逃げ出して背中に隠れる石井に迷惑そうにしながら、嶋村は視線を友人たちから空虚なベンチへ向けた。

「あのベンチ?」

「うん。あそこに座って……」

 今は誰もいないベンチの上に、昨日の少女を幻視する。

 彼女は独り言を話していた。けれどひょっとしてあれは独り言ではなく、見えない何かと話をしていたんだろうか。

「幽霊だったのかな……」

「やめろー!」

「石井うるさい!」

 石井が涙目で叫び出したので、この場は解散することになった。

 のだが、

「わ、悪いありがとう」

「マーク大丈夫? 帰れる?」

 ここで一人になるのは無理と主張する石井に付き合って二日連続で駅まで来た。

 琴吹はおかしそうに笑っていたが、人通りのある駅前にいると確かにあの公園の雰囲気は異様であるように思える。

「ああ、なんつーか……生きて帰ってきたって感じ。もう大丈夫、カッコ悪いとこ見られたな」

「全然。マーク怖いの苦手だったんだね」

 なんでも平均以上にこなす友人の意外な一面に親しみを覚えて微笑んだ。

 が、石井は顔をしかめる。

「いや、あー、いや、得意じゃあねぇんだけど、ホラー映画とかはそこまで怖くねぇんだよ。ただなんつーかさっきは……いや、なんでもない。出来れば忘れてくれ」

「わかった、今日はありがとう」

「ただの野次馬だよ、礼なんて言うな。……また会えるといいな」

「うん」

 知り合いにも聞いてみると言って帰っていく石井を見送り、嶋村はもう一度公園へ向かった。

 日は沈みあたりは暗くなっている。

 公園の周りにも街灯はあったが頼りなく、薄闇に包まれる中に当然人はいない。

 承知していたとはいえ落胆のため息が漏れた嶋村は、一瞬視界に白く揺れるものを見つけて声が出ないほど驚いた。

 が、それはよく見ると木の枝にぶら下がった布切れだった。

「びっくりした……今日は帰ろ」

 また明日来よう。

 公園に背を向け去って行く嶋村。

 木にぶら下がった布切れは、風もないのにゆらゆら揺れていた。

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