第91話 ずっと願っていたこと
ヴァスリオたち勇者一行、そして老婆らに見送られ、ユウキは集落を出発した。
チロロに乗り、急いで聖域へと向かう。今度は天使マリアも力を封印することなく、自らの翼で飛行している。
見覚えのある森の小道で、マリアが聖域への道を開く。嗅ぎ慣れた空気を吸い込み、ユウキは薬などの入った道具袋をぎゅっと抱きしめた。
「急ごう」
チロロが全速で駆ける。それでも、もふもふ家族院に到着した頃には日が暮れかけていた。
『ユウキ。私はここで待機しています。なにかあればすぐに呼びなさい』
「はい」
家族院の前庭で天使マリアが翼を広げる。建物全体を薄く魔力の膜が覆った。おそらく、これが彼女にできるギリギリの加護なのだろう。
建物の扉が開いた。中からチロロの眷属である狼が現れる。頭の上にはケセランの姿も。さらに狼の背後には、池で出会った良きスライム一家の姿もあった。どこからか噂を聞きつけたようだ。
「皆の具合はどう?」
ユウキはたずねる。言葉は喋れなくても、眷属は質問が理解できる。
狼は耳を下げ、小さく鳴いた。どうやらあまり思わしくなさそうだ。
ユウキは薬を抱え、家族院の建物内に駆け込む。階段を上がり、まずヒナタとアオイの部屋へと飛び込んだ。
彼女らの発熱が続いているためか、室内はじっとりとした暑さだった。枕元に近づく。
ふたりとも、目を閉じたまま荒い息をしている。変わらず、辛そうだ。やつれているところを見ると、ほとんど眠れていないのかもしれない。
胸が痛むのを堪え、ユウキはまず、水差しを手に取った。眷属の狼たち、そしてスライム一家が頑張ってくれたのだろう。水は汲み立てのように冷たかった。
ふたりに水分を補給させる。
背中を支えた手に、彼女らの高い体温が伝わってきた。
それから眦を決し、薬瓶を取り出す。
ヒナタの顔を見ながら、そっとつぶやく。
「遅れてごめん。薬をもらってきたよ。すぐに良くなるから……また、元気な踊りを見せてほしい」
蓋を開ける。
そして、祈りを込めてヒナタの身体に振りかけた。
できるだけ身体に負担がかからない薬を――賢者クラウディアの配慮である。
まるで朝陽に照らされた雪の欠片のように、キラキラと輝きながら粒子薬がヒナタの上に降り注ぐ。光は衣服を透過し、彼女の身体に吸い込まれていった。
「ん……」
小さな吐息。
ユウキは固唾を呑んで見守る。
やがて――ヒナタの血管を蝕んでいた発光現象が、ゆっくりと静まっていった。元の血色を取り戻していく。
ずっと眉間に深い皺を寄せていたヒナタが、スッと表情を緩ませた。呼吸も少し穏やかになる。
――効いている。成功だ、少年。
転生者の魂の言葉に、ユウキはその場で崩れ落ちそうになった。
だが、気合いで踏みとどまる。
まだ他の子たちも残っているのだ。
ユウキはアオイの枕元に向かった。
「アオイ、しっかり。もう大丈夫。だからまた、僕に料理を教えて」
薬を振りかける。
それから少年院長は、ひとりひとり効果を確かめながら、家族院の子どもたち全員を回った。
「サキ。外の世界はびっくりすることがたくさんあったよ。だから、元気になって天使様にまた見せてもらうようお願いしよう」
「レン。一緒にかけっこしたスライム君が、また勝負しようって言ってるよ。レンなら、勝負事を断らないよね。今度は勝って。ぜったい」
「ソラ。お婆さんから昔話を聞いたよ。晴れたらさ、話してあげる。そしたら、それを歌にして聞かせてよ」
「ミオ。クラウディアさんから例の本、預かってるよ。ちゃんと読んで返さなきゃ、怒られちゃう。だから早く良くなって」
ひとりひとり、心からの声かけをする。
皆、返事はなかった。ただ、彼らの表情はちょっとホッとしたようにユウキには見えた。
全員に薬を与え終わっても、ユウキは動きを止めない。
眷属たちやスライムではどうしてもできなかった、病人食作り。キッチンに立ち、アオイに教わったレシピのスープを作っていく。
全員分を作り終わる頃には、目を開けられる子も出てきた。ユウキはまたひとりひとりの部屋を回り、少しずつスープを与え、汗を拭き、着替えさせた。
その後も自室に戻ることなく、少年院長は全員の様子を順番に見て回り続けた。そして必要と判断すれば、惜しみなく癒やしの魔法を使った。
「……っと」
何度目かの往復。廊下でユウキは立ちくらみを覚えた。
付き従う眷属やケセランたちが心配そうに見上げてくるが、ユウキは無理矢理微笑んで「だいじょうぶ」と応えた。
心の中の転生者たちがなにかを語りかけてきたが、ユウキにはぼんやりとしか聞こえてこなかった。
消耗しているのは自覚している。
けれど、休むわけにはいかない。
ユウキの看病は深夜を回っても続いた。
――そして。
「…………あれ?」
ふと、気がついたときには、ユウキは自室の天井を見つめていた。
いつの間にかベッドの上で仰向けになっていたのである。
自室に戻った記憶がまったくないユウキは、窓の方を見て心臓がどきりとした。
外からは、明るい日射しが差し込んでいる。
夜が明けていた。
「どうして!? 僕は眠らなくても大丈夫なはずなのに……!」
慌ててベッドから飛び起きる。
なにが起こったのか、ユウキは心の中に問いかけた。
しかし、良き転生者たちの魂は反応しなかった。
血の気が引いた。心がざわつくユウキ。
そのとき、部屋の扉が静かに開いた。翼をしまった状態の天使マリアが入ってくる。手にはスープをよそった皿を持っていた。
『目が覚めましたか、ユウキ』
「天使様! 僕は、僕はいったい――皆は!?」
『落ち着きなさい。まずはこれを飲んで、力を蓄えなさい』
天使マリアに諭され、ユウキはしぶしぶ言われたとおりにした。
近くの椅子にマリアが座る。
『あなたは眠っていたのです、ユウキ。
「え……!?」
『ユウキは無理をしすぎました。力を使いすぎていたのです。それを危惧した私と、そしてあなたの中にある良き転生者たちの魂とで、あなたを強制的に休眠状態にさせました』
転生者の魂がユウキの力を抑え、天使マリアが眠りの魔法をかけたのだという。転生者の返事がないのは、まだ彼らが眠りから覚めていないせいだと天使は言った。
ユウキは恐る恐るたずねる。
「眠っていたって、どのくらい……」
『あなたが家族院に戻ってから、今日で三日目です』
「なっ!? じゃあ、皆はどうなったんですか、天使様!」
不安も露わに詰め寄る少年院長に対し、天使マリアは穏やかな微笑みで応じた。
『それは自分の目で確かめてご覧なさい』
そう言うと、彼女はスーッと姿を消した。
呆然としていたユウキは、スープを飲み干す。お腹に入れることで活力と冷静な思考が戻ってくる感じがした。
ユウキは自室の扉の前に立つ。ドアノブに手を伸ばしかけ、一度、大きく深呼吸する。
そして、部屋の外に出た。思わず目を閉じていた。
――もしさっきの天使様が幻だったらどうしよう。
そんな不安と戦いつつ、ゆっくりと目を開ける。
リビングを見た。
「………………あ」
そこに、居た。
ヒナタが、サキが、アオイが、レンが、ソラが、ミオが。
もふもふ家族院の全員が、いつもの格好で集まっていたのだ。
唇が震える。ユウキが言葉を発しようとした瞬間――。
「ユウキぃぃぃぃぃっ!!」
「目を覚ましたかユウキ君ッ!!」
ヒナタとサキが全力で駆け寄ってきた。
その勢いのまま、ユウキに抱きつく。
「もうっ、心配したよ! ユウキ全然目を覚まさないから!」
「まったくだ! ようやく天使様のお姿を見ることができたというのに、ユウキ君がこれでは安心して観賞できなかったではないか!」
「ヒナタ……サキ……」
ふたりの少女の背中を軽く叩く。
他の子たちもユウキの周りに集まってきた。
「よう。やっと目覚めたか。オレよりも寝坊しやがって」
「レン……」
「大丈夫? 病み上がりでフラフラしてない? ボクの癒やしの魔法でよければ、使おうか?」
「ソラ……うん。大丈夫、ありがとう」
「ユウキちゃんー、天使様が持っていかれたスープでは足りなかったでしょう。たくさんおかわりありますからねー」
「アオイ。そっか、あれはアオイが作ってくれたんだね。ありがとう、美味しかったよ」
「……ユウキ」
皆の一番後ろで、眼鏡少女が腕組みしていた。その手にはクラウディアから託された本が握られている。
「これ……ありがと」
「ミオ」
「それから、その。あなたの声、ちゃんと聞こえてたから。病気で寝てる間も。馬鹿みたいに一生懸命になってさ。でも、まあ……おかげで助かったわ」
照れ混じりに言うミオ。彼女の言葉に、他の子たちも深くうなずいた。
梢が揺れる音、せせらぎの音がした。上機嫌になったケセランたちがいっせいに奏で始めたのだ。
――よく頑張ったな。少年。
――偉いわよ。
目覚めた転生者の魂たちが声をかけてくれる。
ユウキはあらためて、その場にいる全員の顔を見渡した。
皆が、笑顔だ。
ようやく実感が湧いてくる。涙が溢れてくる。
もふもふ家族院の皆、元気になったんだ――!
ふと、ヒナタが言った。
「皆、もう言っちゃおうよ」
「ま、そうね。いつまでも後回しにしたら恥ずかしいし」
ミオがうなずく。
目を瞬かせるユウキの前に、もふもふ家族院の皆が並ぶ。
そして、声を揃えて言った。
「ありがとう、院長先生!」
心からの感謝。純粋なお礼の言葉。
ユウキは思わず、天を仰いだ。
ああ――。
この世界に来るまでずっと願っていたこと。
『生まれ変わったら、誰かの役に立てますように』
その願いが今、確かに叶ったのだ――!
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