第89話 勇者たちの薬


 老婆の家は診療所を兼ねている。

 そのため、戸内の一画には薬を調合、保管するための調剤室が設けられていた。

 ユウキたちは、その部屋に集まっている。

 静かで、少し薄暗い。室内は各種薬草、薬剤の独特の匂いで満ちていた。ユウキにとってはどこか懐かしく、そして切なくなる香りだ。


 室内に入って真っ先に動き出したのは賢者クラウディアだった。


「お婆ちゃん。例の薬の材料、まだ残ってる?」

「ああ。同じ棚にあるよ。好きに使いな」

「ありがと」


 腕まくりしながらクラウディアは壁際に向かう。そこにはずらりと、素材の収められた棚が並んでいる。

 手際よく材料を集めた賢者は、中央のテーブル前に立つ。調剤のための道具一式が揃っている。薬研やげん――薬草をすり潰すための器具や薬壺など。とんがり帽子姿のクラウディアと揃うと、まったく違和感がない。


「直近の風土病は、私が薬を調合した」


 作業をしながら、クラウディアが言う。老婆がうなずき、「たいした腕だったよ」と称えた。


「この集落の人たちには確かに効果があった。けど、ユウキの話を聞く限り、あの子たちを蝕んでいるのは強毒化したもの。同じ薬を作っても効果は薄いと思う」


 そこでこれを使うの――と賢者は小瓶をテーブルの上に置いた。

 ユウキが食い止め、勇者たちが打ち倒した魔物スライムの欠片。


「このスライム族が風土病の原因のひとつだということはわかっていた。こいつの体内には、病に対する強い耐性があるはず。それを血清として取り出し、私たちの魔力を注げば、たとえ強毒化したものでも効果があるはずよ」

「なるほど」


 ヴァスリオがうなずく。


「血清と、クラウの調薬魔法、そしてパティの聖魔法を組み合わせて、より強力な薬を作ろうというわけだね」

「ええ」


 クラウディアは額の汗を拭った。


「絶対に完成させてみせる。あの子たちに、苦しい思いはさせたくないもの」


 並々ならぬ決意、気迫。心の底から家族院の子どもたちに力を尽くそうとしているのだと、ユウキは感じ取った。


 そのとき、薄暗い室内が不意に明るくなった。見ると、隣に立っていた天使マリアが翼と魔力を解放したのだ。

 ユウキを除き、その場にいた皆が息を呑む。クラウディアも思わず手を止めていた。

 天使マリアは家主である老婆を見て、言った。


『私の魔力は耐性のない者にとっては好ましくありません。作業が終わるまで、部屋の外で待っていなさい。ここは私たちと冒険者とで対処します』

「は……ははっ」


 まさか相手が本物の天使だとは思っていなかったのか、老婆は大いに恐縮しながら退室していった。

『余が役に立つ場ではなさそうだな』とチロロも老婆に続いて外に出る。


 残ったのはユウキ天使マリア、そして勇者パーティの四人だった。

 マリアは賢者クラウディアを見る。


『あなたの覚悟を信じましょう。私がサポートします。魔力の過剰放出を心配する必要はありません。今、この空間は聖域も同じ。思いっきりやりなさい』

「……ただのユウキ大好きお姉さんじゃなかったのね」

『なにか?』


 いいえとクラウディアは視線を外す。

 続いて天使マリアは、聖女を見た。


『パトリシア。あなたの聖なる力は特筆すべきものがあります。癒やしの魔法、存分にふるいなさい』

「はい、天使様」

『それと、ユウキ』


 不意に話しかけられ、ユウキは目を見開いた。天使マリアが目線を合わせる。


『あなたは、パトリシアとともに癒やしの魔法を施すのです。できますね?』

「僕にも、皆さんの手伝いができるんですね。――はい。もちろん、やります」

『良い返事です。癒やしの魔法はパトリシアの方が先達。共に魔法を使いながら、彼女から大いに学び取ると良いでしょう』


 ユウキは聖女を見る。パトリシアは穏やかに微笑んだ。


 賢者クラウディアが、気合いを入れるように自らの頬を張る。


「よし、やってやろうじゃない。パティ、ユウキ。癒やしの魔法が必要になったら合図するから、それまで待機してて」

「うん。わかったよ、クラウちゃん」

「ユウキ。魔法の年齢制限は忘れなさい。私が許す」


 ヴァスリオを見ると、彼は苦笑しながらうなずいていた。


 天使の加護に包まれる中、ユウキは固唾を呑んでクラウディアの作業を見守る。

 やがて、すべての材料が薬壺の中で液体として混ざり合った。本来なら、ここで作業は終了だ。


 クラウティアは魔物スライムの入った小瓶を手に取った。それの中身は、封印した魔物スライムの名残で禍々しく赤黒い。


「今からこのスライムを血清化して薬に加える。血清化の作業は私がやるから、あなたたちは私の合図と同時に魔法をかけて」

「はい」

「いい? これはタイミングが命。失敗すれば使い物にならなくなるわ。集中してやるわよ」


 うなずく聖女と少年院長。


 彼らの緊張した横顔を見た勇者ヴァスリオが、ふとつぶやいた。


「僕らは蚊帳の外だね、ベリウス先生」

「まったくだな」

「けど、何もできないわけじゃないよね」


 そう言うと、ヴァスリオはユウキたちひとりひとりの肩を軽く叩いた。


「大丈夫。皆が力を合わせれば、きっと成功するさ。僕は信じてる」

「お兄ちゃん……」

「まったく。相変わらずあんたはお気楽ね、ヴァス」


 聖女と賢者の肩から力が抜ける。

 ユウキも、ヴァスリオに微笑みかけられて気持ちが楽になる感覚を味わった。


 ユウキは思う。

 励ましの言葉に不思議な力が宿る――きっとそれが、ヴァスリオさんの特徴なんだろうな、と。


「さあ。始めるわよ、あんたたち!」


 張りのある声でクラウディアが宣言した。




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