第66話 侵入者への対処


「マリア。なにがあった」

「……」


 再度ルアーネは呼びかけるが、天使マリアは瞑目するだけ。

 赤毛の天使は事情を察し、テーブルの上の書類を束ねて脇にどける。

 マリアが目を開けた。


「ルアーネ。大変だわ。子どもたちの聖域に、外から誰か入ってきた」

「なんだって」


 驚く。

 もふもふ家族院を中心とした聖域は、この有能な天使マリアが手ずから創り上げたとっておきだ。普通の人間が破れるものではない。

 それに聖域外には、天使マリアを崇める現地の人々が守護者として集落を作っている。

 確かに広範な聖域すべてを四六時中監視するのは、彼らにとって酷なことであろう。それでも、守護者たちの目をかいくぐり、強固な結界を越えて、聖域に侵入者を許したことはマリアでなくてもショックだった。


「侵入があったのは確かなのか」

「ええ。尊い子どもたちの吐息に混じって、まったく別の大人のざらつきを感じたわ」

「……もうちょっと悪意と性癖を抑えて説明しろ」


 天使マリアが立ち上がる。


「なんてこと。あの可愛い可愛い子どもたちの、きゃっきゃうふふな至高領域に、無粋な人間が踏み入るなどと……言語道断。天界すべてを敵に回す暴挙だわ……!」

「いやそこまでじゃない」


 落ち着けとマリアをなだめる。

 ルアーネは彼女と並んで、水晶玉の前に立った。映像は相変わらず、楽しそうに家族院の皆と戯れるユウキを映している。

 途端、でれーっと表情を崩す天使マリアが、慌てて顔を作る。こちらも相変わらずの顔芸天使ぶりだ。


 ルアーネは言った。


「もしかして、あんまり心配することねえ感じか?」

「なんてことを言うの、ルアーネ!? あなたにはこの超絶危機的な状況が理解できないとでも!?」

「少なくとも、お前の表情を見てる限りは」


 半眼で告げると、マリアはちょっと落ち込んでいた。

 改めて、状況を確認する。


くだんの侵入者は映像に出せないのか? 場所は? 人数は?」

「……ダメね。ちょっと把握が難しいわ。ユウキ院長の力が最近ますます意気軒昂いきけんこうで、水晶玉も私の視線も釘付けだから」

「あ、そういうのはいい」


 またちょっと傷ついた顔をする親友をよそに、ルアーネは考えた。

 こう言ってはなんだが、マリアの家族院に対する執着ぶりは凄まじい。それこそ我が子のように、大事に大事に見守っている。聖域への魔力供給や結界の維持管理を怠った様子はこれまで見たことがなかった。マリアの感度はビンビンに鋭く働いていたはず。

 にもかかわらず、こうして結界を破られて中への侵入を許したというのに、その位置も相手のこともぼんやりとしか把握できていないこの状況は、違和感があった。


 ルアーネは推測を口にした。


「なあマリア。もしかして、聖域結界の綻びはもう直ってるんじゃないか?」

「え? ……あら、本当だわ。しかも、かなり丁寧に繕われている」

「お前それ、侵入者はアタシらにだいぶ近い力を持った人間かもしんねーぞ」


 すなわち、聖なる神の力を行使できるような者たちということだ。

 しかも、侵入してすぐ結界を修復している。聖域への影響を最小限に抑えようとしたのかもしれない。


 もし彼らが、聖域内を荒そうと考えている不届き者の集まりであったなら、そんな馬鹿丁寧な真似はしないはずだ。

 もちろん、守護者や天使たちの目を欺こうとした工作の可能性もあるが――。


「もふもふ家族院の平穏な気に馴染みきったマリアが、侵入者の気配に怒りこそすれ、嫌悪感や緊張感を抱いていないっつーことは……今回の侵入者、そこまで目くじら立てる必要ないかもしれん」

「確かめるわ。たとえ害はなくても、無視は出来ない」


 マリアは踵を返した。部屋の奥で、天使の正装を身にまとう。

 ルアーネは渋面を作る。


「気持ちはわかるが、今からあの世界に降りるとなると手続きが厄介だぜ? お前が直で行くより、守護集落の連中に声をかけた方がよくないか?」

「箱推し天使たる私を、あまり舐めないで頂戴。ルアーネ」

「……自分で言うのかその名称」


 呆れる赤髪天使をよそに、天使マリアは水晶玉の傍らに立った。急速に魔力を高めていく。創造主の力に呼応して、水晶玉のまばゆく輝き始めた。

 ルアーネが眉を上げる。


「おい。まさかお前」

「少しタイムラグは生じるけれど――この水晶玉を経由して、ユウキたちのところに飛ぶわ。そして、侵入者からあの子たちを守る」


 確固たる決意を込めて、天使マリアが宣言する。


「たとえ熱心なファンだとしても、無断で舞台に上がるのは阻止しなければならないわ。私にはその使命がある」

「いや、それむしろお前自身……まあいいか」


 ルアーネは頭をかく。親友がこう言い出したら聞かないことを、赤髪天使はよく理解していた。


「こっちは任せとけ、マリア。うまくやっとく。その代わり、あまり長居はするなよ。用件を済ませたら、さっさと帰ってこい。あの子たちのためにも」

「ありがとう、ルアーネ。後はよろしくね」


 行ってきます、の言葉とともに、天使マリアは光に包まれた。

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