第27話 クソ上司に見せる顔


 この部屋を訪ねてくる者はごく稀だ。多くの天使たちは、普段のマリアに遠慮しすぎるあまり近づいてこない。


 コココッ……コココッ……。音は続く。独特なリズムである。


 マリアとルアーネは顔を見合わせた。互いの表情が変わる。マリアは仕事モードに、ルアーネは親友への呆れとはまた違った、うんざりしたものに。


 マリアが玄関扉を開ける。

 玄関前の手すりに、一羽の美しい鳥がとまっていた。


『遅かったではないか、天使マリア』


 見た目の可憐さとは裏腹の、野太い声がした。

 天使マリアの目がスッと細くなる。


 この鳥はいわば伝言役。そして、こんな真似をする人物に心当たりはひとりしかいない。


「なにかご用でしょうか、わが神よ」


 マリアが言う。それは、家族院の子どもたちにも、後輩天使たちにも、ルアーネにも見せない表情だった。

 今、天使マリアの周辺だけ見えない吹雪が渦巻いている。

 そんなことはお構いなしに、マリアの上司、管理神は告げた。


『次の良さそうな魂を見つけた。器を見つけておけ。明後日までだ』

「お言葉ですが、それはできかねます」

『なぜだ?』

「理由は先に何度もお話ししたはずです。もはや我々の管理世界に、魂を受け入れる余裕はありません」

『またそれか。そこを何とかするのがお前の役割だろうが。前はできたのだ。今回もできるだろう』

「それはあなただけの理屈です。ご再考を」

『うるさいな……今更方針は変えないぞ。面倒くさい』


 おおそうだ、と管理神は言った。


『ちょっと前に送り込んだ子どもがいただろう。まだ壊れてはいないなら、もうひとり分くらいどうってことはない。そいつに追加で押し込め』


 伝言鳥に表情はない。意志もない。美しい姿とつぶらな瞳で、ただただ放言するだけ。

 椅子に寝そべって、面倒くさそうに指示を出すクソ上司の姿が重なった。


「もう一度お願いします、わが神」


 天使マリアは言った。一分の隙もない微笑みを浮かべている。


「私が多大なる労力と心労を費やしたあの案件について、なにか、雑音じみた指示を聞いた気がします」

『……たったひとり分だぞ? それぐらいどうにか』

「今日は風が強いですね。池の水面に、さざなみも生まれているようです。失礼、外の雑音が大きく聞き取れませんでした。わが神、なにかおっしゃいましたか?」

『……それほど負担か?』

「負担?」


 天使マリアはこくりと首を傾げた。


「負担とはなんのことでしょう。少なくとも、私がこれから試みようとしている、『聞き分けのないどこかの誰かにその腐った性根と思考を叩き直す百万言分の説教』は、負担と呼ぶにはあまりに些末な行為かと存じます」

『おい、そう怒るな』

「今からそっちに行ってもいいのですよ? 二時間は息もできないとお覚悟ください」

『わ、わかったわかった! 今回のことは撤回する! しばらく現状維持だ。……これでいいだろう?』

「ありがとうございます。わが神」

『まったく。貴様の魔力波は本当に生きた心地がせんわ……』

「そういう台詞はまともに生きてからおっしゃいませ」

『お前ひど……いや、もういい。とにかく、雑事は任せたぞ』


 その言葉を最後に、伝言鳥は飛び去った。その行方を、マリアは追いかけもしない。

 一分の隙もない微笑みを貼り付けたまま、彼女は言った。


「あー、書類をあの顔にぶちまけたい」

「相変わらず怖ぇよお前」


 いつの間にかルアーネが玄関先に出て、腕を組んでいた。

 まだ微笑みを解除できないまま、マリアが振り返る。


「そんなに怖い?」

「正しく顔芸天使だ」

「やめて!」


 闇の微笑みがようやく崩れた。心底嫌そうな顔で親友の隣に並ぶ。


「まったく、せっかく家族院の皆を愛でて気持ちよくなっていたのに……台無しだわ」

「話に聞いちゃいたが、お前んとこの上司は癖が強いな。ご苦労様だよ」

「そうなのよ、そうなんですよ! ……ところでルアーネ。顔芸天使って言ってたけど、そんなにひどかった? 上司と話してるときの私」

「それはもう」


 親友天使は深くうなずいた。


「皆の憧れ天使様の澄まし顔、推し活してるときの変態顔、そしてクソ上司をやり込めるときのドS顔。見事だね。恐れ入るよ」

「いやあああああっ……!」



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