三十七.工匠

 夜が明けた。



 紫建との境に近い果取かとりにて小さな工房を構えている真胴工匠、川津かわづ遥平ようへいは規則正しい生活を旨としており、朝起きたら体操で体を慣らして一汁一菜の質素な食事を食べることで一日の始まりと定めている。

 この日の朝食のお供はわさび漬けと、豆腐とネギの味噌汁であった。


「今日は控えめだな」

「昨夜は宴会で飲み過ぎたと聞いていましたから」

「お前まで俺に合わせる必要はないだろう?」


 遥平は弟子である桐乃きりのの言葉に苦笑いする。まだまだ育ち盛りの娘にまで自らの流儀を押し付けるつもりはないのだが、当人は「元々が少食ですから」と譲らない。工匠は体力勝負の側面もあることから、基礎体力をつけるという意味からもよく食べることを覚えてほしいと師匠は考えていた。


「それはまた今度の話としまして……昨日の騒動はどうなりましたでしょうね?」

「真胴同士の戦いがこのようなへき地で起こるはずがなかろう」


 一笑に付す。紫建と水盟は互いに不干渉を貫いており、紫建が水盟との境にまで真胴を派遣する姿などここ数年ほど記憶にない。そもそも真胴は各領家の保有物であるのが常であり、遥平自身真胴の工匠を名乗りつつも引き受ける依頼は民間にも流通している擬胴の修理や改良がほとんどである。そんな具合であるからして、昨日の夕方ごろから話題になっていた三機の真胴による巴戦のことも話半分として受け止めていた。


「そうですかねえ。噂ではそのうち一機は当地を目指して旅をしていると聞き及んでいますけれど」

「噂は噂にすぎぬであろう? 仮にそれが正しかったとしても私のもとに参るとはなるまい」

「お師様はもうちょっと夢に興味を抱かれても良いですよ」


 弟子は残念がるものの師がこの手の話に乗ってこないのはいつものことであり、それ以上は何も言わずに食事に戻る。

 朝の腹ごしらえが終わって桐乃がその後片付けに入り、遥平が工具の点検でもしようかと思案し始めた矢先、外から「川津様はご在宅でありましょうか」と女の声が飛び込んできた。聞き覚えはない。


「どなたかな? 私が川津だが」

「突然の訪問をお許しください。わたくしは陽向と申します。川津様にご助力を求めたく参上いたしてございます」

「助力? 貴女のような方が擬胴に関わることで相談に来るとは思えぬのだが……」


 訝しむ。擬胴の持ち主が男性だけとは限らないが物腰からして普通の女性とは思えず、水盟の連合府に仕えている密偵と仮定してもわざわざこんなところに技術的なことで助力を求めてくるとは想像しにくい。

 陽向と名乗る旅姿の女は「怪しまれるのも無理はありませぬ」と断ったうえで、連れが操縦していた擬胴が予期せぬ事態に巻き込まれて破損し修理を行える工匠を探していた、と事情を説明した。


「たまたま近隣にお住いの方より川津様の話を伺いまして、一縷の望みと感じて立ち寄らせていただきました」

「お話は承りましたが、今のお話だけではちと合点がいきませぬな。擬胴が壊れるほどの騒動となれば水盟府の奉行にまず申し出るのが筋かと存じます」

「厄介ごとではないか、とのご懸念は理解しております。しかし、旅の足でもある擬胴が動かねば奉行所に向かうのも一苦労で……」


 渋る遥平に対し、陽向は懸念を否定しなかった。表沙汰に出来ない事情があるのは確実だったが、そうなれば危険を覚悟してまで手を入れたい擬胴とは何なのかという興味が頭をもたげてくる。


「貴女は何処いずこのお生まれですかな? どちらに赴くつもりなのです?」

「東の紅城より旅に出て、西国へと参る途上にございます」

「……紅城は戦の只中と聞き及びます。擬胴ひとつとて貴重なもの、おいそれと持ち出せるものではありますまい」


 口ではそう言ってみせたが、遥平は陽向が嘘を言っているわけではないのを理解していた。紅城の人間が蒼司を経由せずに水盟まで旅してきたとなれば相当な遠回りなのは言うまでもなく、そんな旅をしている人間がまともであるはずもない。むろん、その擬胴が言葉通りの存在とも思えず、そこで遥平の頭の中がつながった。

 陽向の方は感触が良くないと見て取ったのかやや気落ちしたように「突然のお話にて失礼をいたしました」と謝罪したうえで立ち去ろうとする素振りを見せていたが、遥平は「それには及びませぬよ」とそれを引き止める。


「少々詮索が過ぎましたな。紅城よりはるばるやってきた擬胴とはいかほどのものか、私にも人並み程度には興味もありますゆえ、ひとまず弟子を一人あなたへと同行させましょう」


 以後のことはそれからでも遅くはありますまい、とした遥平は奥から桐乃を呼んだ。途中からの話を聞いていたのか桐乃は既にやる気に満ちた表情で師匠の命に承知している。


「よろしくお願いします。ことは急を要しますよね?」

「連れにはせっかちなものもいますので、そう言ってもらえるとありがたく思います」

「桐乃、無茶はせぬようになさい」

「分かってますよお師様……じゃあ行きましょう」


 簡易修理に必要な工具箱を手に桐乃は陽向とその場を去っていった。それを見届けた遥平は住居脇にある整備場に入り、道具と機器の点検に入る。おそらく桐乃だけでは手に負えぬであろうとの予感があった

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