第7話「撮影開始直前のハプニング」
「藤崎さん。俺、どっか変なトコありませんか?」
俺は店の横に立てかけてある大きな姿見で何度も全身をくまなくチェックしながら、後ろの厨房で普段通り鍋を磨いている藤崎さんに声をかけた。
「大丈夫です。いつも通り、男前ですよ」
藤崎さんは言葉は少ないが、絶対人を傷つける事は言わない。
聞けば絶対こんな答えが返ってくるってわかっていたけれど、それでも俺は聞かずにはいられない。
だって店に推しが来るんだぞ?
平静を装うなんて無理に決まってる。
自然に頬が緩んでくるのは止められない。
「そうですかねー。全然いつもと違うと思いますけど。いつもの店長ならもっと硬派で雑魚を寄せ付けない殺伐としたデストピア的アウトローなオーラを放ってますもん」
「何じゃそれは!お前ケンカ売ってんな?バイト」
何故か朝からバイトの機嫌が良くない。
まぁ、最初からコイツは今日の取材に難癖をつけてきたからな。
きっと自分の思い通りにならなくて拗ねているのだろう。
ふん…。
まだまだガキだな。バイトよ。
そうこうしているうちに、大きなロケ車が何台も停まり、いよいよその時を迎えようとしていた。
すると今まで下拵えを手伝っていたバイトが少し焦った様子でエプロンを外してこちらへやって来た。
「あ…あぁあの、店長。ちょっとおトイレ行って来てもいいですか?」
「はぁ?いやだってもう取材始まんぞ。まぁ、仕方ないな。早く行って来いよ」
「ありがとうございますっ」
バイトはエプロンを肩から外すと、急いで店から出て行った。
「え、あいつどこの便所に行くつもりだよ。さては緊張し過ぎて我を忘れてるな?」
「初のテレビ取材ですからね。仕方ないでしょう。かく言う私も少し緊張してます」
後ろから藤崎さんも硬い表情で頷いていた。
俺も一応便所に行くべきかな。
そんな事を考え始めた時だった。
「すみませーん、そろそろいいですか?」
若いADらしき男性が小走りで店に入ってきた。
俺は再び緊張でガチガチになる。
「あっ、はいどうぞ」
「では空色ライム入ります」
拍手と共にロケ車からやって来たのはマジ天使…ではなく、俺が推しに推しているホンモノのライムだった。
ステージの派手な衣装ではなく、清楚系な白いレース素材のトップスにレギンスを合わせたいつもとは違うスタイルにいやでも胸が高鳴る。
彼女はマネージャーに付き添われ、こちらまでやって来ると俺にふわりと笑いかけた。
「福来軒さん、今日はよろしくお願いします」
「はいっ!よっ…末永くよろしくお願いします!」
「?」
「はっ…じゃなくて、あの…普通によろしくお願いします」
緊張していたら早速やらかした。
ライムはそんな俺を見て、優しい笑みを浮かべた。
やっぱり天使だ。
しかし少し冷静になって見るとつくづくウチの使えないバイトによく似ている。
生き別れの双子じゃないかってくらいだ。
バイトが綺麗に髪を整えて、化粧をしたらこんな感じにならないだろうか。
まぁ、そうは言っても相手は芸能人。
素人の一般人とは違う。
俺はやっぱり緊張していて、冷静ではないらしい。
そんなこんなで最初の挨拶が終わると、ライムは一度引っ込み、続いてカメラ機材が店に運びこまれる。
フリースタイルで番組は進行するが、一応大まかな台本みたいなのは貰っていて、そのタイムテーブルに従って店を紹介していく事になっている。
俺はその後、ADさんと最終的な確認をいくつか終えて、次に始まったカメラチェックを眺めていた。
タレントがカメラマンを連れて注目の店を訪ねるだけの単純な番組だと思っていたが、こんな大勢の人間が関わっているとは意外だった。
そこに携わる全ての人間に役割があって、一つの作品を作り上げるのだ。
これからはライムの番組以外に、ぼんやり見ているだけだった退屈な番組でも見方が変わりそうだ。
「あれ、そういやバイトはどうしたんだ?やけに長い便所だな」
そこで俺はトイレに行くと言って出て行ったままのバイトの事を思い出した。
ナマのライムに会えた感動でつい忘れていたぜ。
まさか「大」の方だったのか?
女子は便秘がちとかいうけど…
「東雲さん……」
すぐに俺が何を考えているのか察した藤崎さんが、そこまで言うなと首を振った。
まぁ、確かにデリカシーないよな。
ここは飯屋だし…うん。
そんな時だった。
「スミマセン店長!トイレ迷っちゃって」
息を切らして額に汗を浮かべたバイトが戻って来た。
何故か酷く消耗しているように見えるのは俺だけなのか?
「お…おぅ。つかトイレ迷うって大丈夫か?初めての場所でもないのに普通迷うかよ」
「あははは。そうですよね。私もちょっとよくわからないです」
「……お前ポンコツもここまでくると心配になってくるぞ」
「も…もう大丈夫です。それより店長。空色ライムには会えましたか?」
「おぅ。さっきちょうどお前がいない時に挨拶に来たぞ。惜しかったなもうちょい早めに便所切り上げたらお前も会えたのに」
「……はははは。そうですね」
バイトは何故か呆れた顔で薄笑いをしている。
何なんだよその顔は。
やがて店に全ての機材が収まり、撮影開始の時刻が迫ってきた。
それを見かけた近所の連中までもが、野次馬として周囲に群がって来た。
東京じゃ一々芸能人なんか来ても無駄に騒がないとは言われたりするが、それでもこの横町の連中はやっぱり騒ぐし一大イベントにもなるだろう。
俺は撮影に集中するように両頬を軽く叩くと、そいつらの方は見ないように厨房に入った。
するとバイトがまたこちらに寄って来た。
「あの…て…店長。またおトイレに行きたいんですけど」
「はぁ?お前マジ大丈夫なのか。腹痛いなら薬とか」
「いえ、お構いなく!あの、切羽詰まってるので行きますね」
「あぁっ、おい!」
俺が呼び止めるのも聞かず、バイトは逃げるように勝手口から飛び出して行った。
何故店のを使わない!?
アレか?
小学生が学校のトイレ使うのダメなヤツ?
いや念の為言っておくが、店内のも従業員用のも毎日綺麗に掃除しているぞ?
しかし、わけがわからず唸っているうちに撮影本番がやってきてしまった。
「おいおい…マジかよ。あいつに配膳頼みたかったのに」
仕方ない。
しばらくバイトは抜きでやるしかないようだ。
俺はコンロに火を入れ、緊張の面持ちで本番に備えた。
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