新しく雇った使えないバイトが推しにそっくりなのだが

涼月一那

第1話「新しいバイトが推しに似ている件」

店の開店まで後一時間。

通常ならばまだ余裕があるはずなのだが、オレは今、相当追い詰めれていた。



「……なぁ、バイト。これは何だ?」



オレはまな板の上に散らばっている元野菜だったらしき謎の物体をつまみ上げ、バイトの女の子の眼前に突きつける。



「え?何って、イチョウ切りにした野菜です。店長が言ったんじゃないですか。イチョウ切りにしてくれって」



長いまつ毛に縁取られた大きな瞳をこれ以上ないくらい開き、俺を見つめるバイト。

それは俺の推しのアイドルに激似と言ってもいいくらいそっくりで、そんな顔をされると正直、雇用主としての威厳が保てないくらい理性がグラつく。


しかしそこはあるポイントさえ押さえれば回避出来る。

まぁ、シンプルに出来るだけ顔を見ないようにする…だけなのだが。




「それは言った。だが敢えてもう一度問う。イチョウって、こんなグロい肉塊みたいな形してたか?」




俺は異性を初めて意識した男子中学生のように目を泳がせつつ奇妙な野菜を菜箸で示した。




「え、ダメですか結構自分としてはよく出来てるっと思ったんですが。ちなみにご飯食べた後のパツパツな胃腸をイメージしてみました」




「……っ!」




それを聞いた瞬間、俺の全身に電流が走ったね。

イチョウってそっちかよ!

天才かよこいつ。

それも天才的なポンコツだよ。

推しそっくりの可愛い顔で、中身はコレ。




「イチョウって、そっち?臓器の方かよ。そんなグロい切り方あるか!イチョウってのは植物の方!茶碗蒸しに入ってる銀杏がなったりする木の葉だよ」




「あ〜、イチョウってそっちでしたか。だったら一言言ってくれたら良かったのに。うぇぇ、会心の出来だったのに」




「普通、そんな間違いをするとは思わないだろうに」



俺は地を這うようなため息を吐いた。


バイトは目に涙を溜めながら、グロい胃腸切りの野菜を手に項垂れている。


そうこうしている内に開店の時間まで残り30分になっていた。

俺は改めて店内を見渡す。

古びた壁紙に所狭しと貼られたメニューの数々。

ここは創業63年になる町中華の店だ。


俺の名前は東雲陸十しののめりくと

22歳でここの大将を名乗っている。


店の名前は「福来軒」。

どこにでもありそうな屋号である。

しかし定番のラーメンは自家製麺を使い、たっぷりの魚介の旨みを凝縮したスープは長年常連客達を唸らせ、リピーターも多い。


下町に愛されている町中華なのだ。


ちなみに俺はそこの店の血縁者ではない。

はっきり言ってしまえば、縁もゆかりもないただの他人。


店の味に惚れ込み、客からバイトに、そしてバイトから店長にクラスチェンジという経歴だ。


俺がこの店に初めて入ったのは小4の時だ。

両親が共働きで、預かってくれそうな祖父母は皆遠方に住んでいる為、俺はずっと一人きりで晩飯を摂らなくてはならなかった。


そんな俺に声を掛けて、ラーメンまで食わせてくれたのがこの店の大将だった。


いつも店の向かいの広場で一人寂しく過ごしていた俺を見かねて連れてきてくれたんだろう。


それが俺には何より嬉しかった。

以来俺はずっとこの店に通い続けた。

もうこの店が実家のようなものだと思える程に。


やがて中学を卒業し、高校に上がった頃、俺はここのバイトになった。

それからの約3年間は本当に楽しかった。

大将とその奥さん、そして俺で本当の家族のような日々を過ごした。


図々しいのだが、二人の家族旅行にも同行した。

二人には子供がいなかったので、余計可愛がってくれたのだろう。


しかし、そんな幸せな日々は突然終わりを告げた。

あれは高校三年の秋だった。

一応、その頃俺はこの店でずっと働く為に調理の専門学校へ進学する事が決まっていて、益々バイトにも力が入っていた時期だ。


突然、大将の奥さんが自宅で階段から落下し、足の骨を折る怪我をしたのだ。


その怪我から奥さんは弱気になり、しまいには故郷の沖縄に帰ってゆっくり過ごしたいとと言い出した。

それはここを引き払って店をたたむという事だ。


それを大将から聞かされた瞬間、俺は世界が終わったと思った。

もう自分の居場所はこの世界に無くなったと思った。

その日はずっとその事が頭から離れず、一睡も出来なかった。


しかしその時、今までずっと俺の事に何も干渉してこなかった親父がある助言をした。



「お前があの店の味を受け継げばいいじゃないか」…と。



最初は絶対無理だと思ったし、現実的じゃないと一蹴した。

自分は3年近くバイトはしてきたが、やってきたのは調理補助程度のものだ。

はっきり言って、このレベルじゃとても大将として厨房になんて立てない。


しかしあの店が失われるのは辛かった。

出来るならどうにかしたい。

今、それが出来るのは自分しかいないのかもしれない。


そう思った瞬間、俺は気付いたら店を継ぐ決意をしていた。

そして自分の家族と大将夫妻を説得し、2年間修行して店を継げるレベルに達していたら合格にするという条件で話がついた。


その2年は専門学校へ通いながら、大将に店に関わる全てを叩き込まれるという結構ハードなものだった。


その間、俺の為に大将たちは沖縄移住を先延ばしにしてくれた。

俺は調理師の免許等も学校で取得し、順調に頑張ってきた。


その時、俺の一番の励みになっていたのが、空色ライムという動画サイト出身のアイドルだった。


彼女の歌は聴いていて元気が出るし、彼女が発信する明るくて前向きなメッセージに何度も励まされた。


やがて彼女が顔を出し、メジャーデビューすると徐々に人気が出て今やトップアイドルの仲間入りとなった。


俺も時間の許す限り、ライブや公録にも足を運んで彼女を応援した。


つまり、俺はそれくらい彼女のファンだった。



彼女のお陰で乗り切った2年間、その後店を無事に継いだ俺は何とか店主として1年間店を切り盛りしてきた。


そして大将夫妻は沖縄へ移住し、店は俺と元から勤めている藤崎さんという厨房担当の五十代の男性の二人で頑張っている。


しかしほぼ店は俺のワンオペ状態。

特に土日は地獄のような忙しさだ。


始めた当初はまだとても藤崎さん以外に人を雇う余裕もなく、カツカツだった。

それが何とか店も安定して、一人くらいはバイトを入れる余裕が出てきたので、俺は店の目立つところにバイト募集の貼り紙を貼った。


結果は一ヶ月経っても誰からも連絡はなかった。

まぁ、そんな感じだよな。

世の中どこも人手不足だ。

こんな小さな町中華では尚更だ。


でも他に求人の出し方がわからなかったので、次に俺はスマホの求人サイトにエントリーしてみた。


そこで一人応募があった。

それが今の新人バイト。



結城蒼衣ゆうきあおい



面接に店までやって来た彼女は空色ライムと瓜二つといえるくらいそっくりだった。

しかしいくらなんでも流石に本人という事はないだろう。


第一、本物の空色ライムは現役のアイドルだ。

こんな古びた飲食店で働きたいと、アルバイトに応募するはずがない。


それでも店に彼女が入って来た瞬間、俺は息を呑んだ。

彼女が足を踏み入れた途端に何故かオーラのような圧を感じたのだ。

いつもの古びた店なのに、そこだけ別世界というかまるでステージになったかのような錯覚すらおこした。



俺はその日に彼女の採用を決めた。



彼女の名前が空色ライムの本名と同じなのも何となく運命を感じた。



ちなみにその本名とされる名前はネットで見かけただけで、本当かどうかはわからない。



「空色ライム」という名前が本名とは思えないし、本人も本名を公表していない。

だけど俺はその名前をずっと頭の片隅で覚えていた。



俺が彼女の採用を即決したのは単純な話だ。

彼女が推しに似ていたからではなく、単に彼女以外に求人が来なかったからである。



もうそこで断ってしまうと、今後他に採用希望者が来ない可能性の方が高い。


それを証明するように、今現在も彼女以外ここへ履歴書を持って来る猛者はいない。




「さて。バイト。そろそろ店を開けるぞ」




俺は手早く正しいイチョウ切りで野菜を切ると。それを鍋に入れて火を入れ、前掛けをギュッと絞った。




「はい。今日も頑張りましょうね。大将」




「お……おぅ」




こちらへ微笑みかける笑顔はやっぱり可愛くて、俺はまた調子を崩しつつ店の暖簾を掛けた。


まさか、本人?と何度も思ってはその思いを振り払う。

その時、バイトが勢いよく飛び出して早速バケツを倒した。



「わぁぁっ、スミマセン。スミマセン!」



「おい、何やってんだよ。店の中にまで水が入って来たじゃんか!」




やっぱり顔は似ていてもうちのバイトは使えない。
























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