1章
第1話 ハジマリ
ぼんやりとした暗がりの中で、私はかすかな夢の断片を追っていた。それはとても遠く、手を伸ばせば届きそうで届かない、温かい思い出―――――
「もし、新しい家族が増えたら、どうする?」
優しい声が、ぼんやりとした記憶の中で問いかける。
「だったら……」
小さな頃の私の声は、幸せで満たされながらも、なんだか儚げに響く。
「一緒にお花畑を見に行きたい。小さくて、綺麗な花が好きだから……」
夢の断片はそこで途切れ、私は現実の世界に静かに引き戻された。その声や、その質問の意味するところが何だったのか、今となってははっきりとは覚えていない。
だけど、その感情だけは忘れられない。なぜか切ないけれど、 優しい気持ち。それは、今の私に何か大切なヒントを残しているような、そんな感覚が拭えないのだ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
12月24日
空気がぴんと張り詰め、竹刀の風切り音が高く響く中、道場は静寂に包まれています。私、
「なに、まだまだ孫娘には負けんよ」
おじいさまの目は、歳の重みを感じさせない輝きを宿しています。
彼がそう言って微笑むと、その強さと優しさに、心の中で尊敬の念が沸き上がります。しかし、その瞬間、私は軽く持ち上げられてしまいます。いつものことなのに、いつまでも慣れません。
「もう、私ももう少しで18になりますよ? この扱い、ちょっと恥ずかしいです……」
私の抗議は、おじいさまの心地よい笑い声に包まれて消えていきます。
面を脱ぎながら、私は思い悩んでしまいます。おじいさまには到底敵わないのです。子供の頃から変わらないこの事実が、胸に重くのしかかります。
「おじいさま、こんなに練習しているのに、一度も勝てません。剣道、向いてないのでしょうか?」
不安な気持ちを押し殺しながら問いかけます。
おじいさまは深くうなずき、じっくりと私の目を見ます。
「なにも剣道でなくともいい。お前にはお前の武器がある」
これはおじいさまの口癖です。彼はよく、私には他の人にはないユニークな強みがあると言って励ましてくれました。
話をしている最中、おじいさまが突然、不意打ちをかけるように竹刀を軽く振ってきました。これはおじいさまの得意技で、私の反応を試す小さなテストです。私はほんの僅かな動きで身をかわし、竹刀が空を切るのを見ます。
おじいさまは満足げな笑みを浮かべました。
「見たか、姫華。お前はその感覚を忘れるな。瞬時の判断と、危険を察知する直感。これがお前の真の武器だ。剣道においても、そして人生においても、お前の才能はきっと道を切り開く」
彼は軽く息をついて、穏やかな声で続けました。
「姫華、お前は十分に才能がある。ただ、全てを剣道に捧げる覚悟が必要だ。それが、プロとアマチュアの違いだ」
その言葉に、私は言い知れぬ
「はい、分かりました。でも、これからも教えてくださいね」
「うむ、それはもちろんだ」
おじいさまが頷くと、ふとした瞬間に彼の目が和やかな光を帯びます。
「ところで、今日の朝食は和食がいいかなと思っているんだが…」
「それはダメですよ。おばあさまから、今日はワンプレート風の洋食を作るようリクエストがありましたから」
言葉を交わすうち、私たちの間に流れるぬくもりが、これからの一日を穏やかなものにしてくれることを、私は深く感じていました。
高校
クリスマスへの期待でざわつく教室。大学受験を控え、みんなの間には普段とは違う緊張感が流れています。しかし、私はそんなざわめきとは無縁に、一人静かに机に向かっていました。父が残したゲームを冬休みにでも触ってみようかと、心のどこかで漠然と考えてはいましたが、それが表に出ることはありません。
教室の片隅では
「明日から『
という声が弾んでいましたが、それは私には遠い話です。
授業が終わり、みんなが教室を出ていく中、隣の席の子が立ち止まり、声をかけてきました。
「垂水さん、よかったら帰り、一緒に帰らない?」
私は少し驚きましたが、なるべく緊張が表に出ないよう答えます。
「ぁ、ぃえ、大丈夫です。今日はちょっと用事があって……」
「あー、そうなんだ…… じゃあ、またね!」
彼女はとても残念そうに、声に落胆を滲ませながら、教室を後にしていきました。
隣の席の人は
彼女は髪も染めていて、色々な人と仲良くしている。まるで私とは正反対の存在のようですね。
そんな因幡さんを見送った後、私はふと自分の性格について考え込んでしまいます。
5歳の誕生日、お父さんが亡くなってから、私はこんなに内向的な性格になってしまいました。周りの人たちと自然に話すことができなくなり、いつも一人でいることが増えてしまったんです。
時々、自分がこんなに閉じこもってしまったことが嫌になります。もっと外に出て、他の人たちと楽しく過ごせたらいいのに、と思っても、なかなか一歩が踏み出せないんです。でも、家にいるおじいさまとおばあさまにだけは、私は素の自分でいることができるのです。彼らの前では心を開いて、本当の自分をさらけ出せる唯一の場所なんです。
12月24日 垂水家
クリスマスイブの夜、我が家は穏やかな灯りに包まれていました。私と祖母の手作り料理がテーブルに並び、静かな夜が家族を優しく包んでいくのです。その平和な時間が過ぎていきます。
夕食後、祖父が突然静かな声で話し始めます。
「姫華、お前に特別なプレゼントを用意したんだ」
私が包みを開けると、そこには見たこともない最先端のVRヘッドギアとソフトが入っていました。そのパッケージには『Ethereal Chronicle』とあります。
「これは……?」
驚きと戸惑いを隠せない私。VRの世界は、私にとって全くの未知の領域です。
祖父は優しく微笑みながら話し始めた。
「これは、その……クリスマスプレゼントだ。お前が好きな古いゲームとは違う世界が広がっているんだ。だが、きっといい経験になるだろう」
私が不思議そうにパッケージを眺めていると、祖父は続けて言いました。
「そのゲームは、お前の父、
祖父の期待に満ちた眼差しは、私を信じていることを伝えています。
「姫華よ。明日は朝の稽古は休みだ。ちと客が来ることになっていてな」
私が自分の思いにふけっていると、祖父がそんなことを言うので、少し驚きました。私の体調が悪い時を除いて、朝の稽古を休むことはほとんどありませんでした。
「わかりました。このゲームは確か明日からできるのですよね?」
「そのようだな。学校から帰ってからやるとよい」
ゲームというのは普通、プレイできる日の前に売られているものなのでしょうか?
おじいさまは一体どこからこれを入手したのでしょうか。普通では考えられないような事態に、私は少し不思議な気持ちになりました。
眠りに就く前、私はベッドに横たわり、明日から始める「Ethereal Chronicle」という新しいゲームについて思いを馳せていました。お父さんが関わっていたというこのゲーム。お父さんはいつもゲームが好きで、私のためにと言って色々なゲームを買ってきてくれたことを覚えています。
彼が亡くなったのは私がまだ小さかったけれど、その時の記憶はまだはっきりと残っています。お父さんと遊んだゲーム、一緒に笑った時間。その記憶は今も私の心の中で大切な宝物です。
お母さんについては、ほとんど覚えていません。彼女は私が4歳になる前に亡くなり、残されたのはぼんやりとした記憶とおじいさまやおばあさまの話だけです。
私は目を閉じて、お父さんの優しい笑顔を思い出しながら、お母さんのことを想像します。お父さんが関わったというゲームを通して、彼とのつながりをもう一度感じることができるかもしれないという期待に胸が膨らみます。
そんな思いを抱きながら、私はいつの間にか夢の世界へと誘われていきました。
12月25日
翌朝、私は珍しく寝坊してしまいました。目覚めると、通常よりも遅い時間でしたが、幸いにもまだ学校に遅れるほどではありませんでした。急いで朝の支度を済ませ、リビングに向かうと、そこには予想外の来客がいました。
身長が180cmくらいの、30代くらいと思われる男性が立っていました。彼は品のある佇まいで、落ち着いた雰囲気を持っていました。おじいさまは彼と何やら話をしているようでした。
「あ、あの、おはようございます」
私は緊張しながら挨拶しました。
男性が私に気づき、「あなたが、
「は、はい……そうです。姫華です」
「幸春さんからお孫さんのことは聞いていました。素敵なお孫さんですね」
私はどう返事すればいいのかわからず、ただ「あ、ありがとうございます」と小さく答えることしかできませんでした。
「ちょうど今日は朝の稽古がお休みで……」と私は更に緊張しながら言葉を続けました。おじいさまが「今日はこの方との話があってな。姫華、学校には気をつけて行ってこい」と声をかけてくれました。
「は、はい……」と私は小さく応え、急いで家を出ました。玄関を出るとき、私はまだ心臓がドキドキしていました。おじいさまの客とはいったいどのような方なのでしょうか。その思いを胸に抱えながら、私は学校へと急ぎました。
高校
高校の授業が終わり、私はいつものように教室を出ようとしていました。その時、因幡さんが私のところに近づいてきました。
「ねえ、垂水さん。良かったら、家庭科部に来てみない?」
彼女が明るく誘ってきました。因幡さんはいつも人懐っこく、積極的に人を誘っているのを見かけます。
「あ、いえ……ちょっと……」
「じゃあ、垂水さんには何か趣味とかあるの?」
「剣道と、ゲームですかね」
少し自分の趣味を言うことに恥じらいを感じましたが、正直に答えることにしました。
「へえ、剣道かぁ。カッコいいね!ゲームも好きなの?どんなゲームやるの?」
「ええと、色々ですけど……」と答えた後、私は教室を出ようとしました。その時、因幡さんがぽつりとつぶやいたのが、私の耳にかすかに届きました。
「ゲームかぁ……」
彼女の声には少しの驚きと興味が混じっているように聞こえました。でも、私にはそれ以上はっきりと聞き取ることができませんでした。
その夜、一人部屋で静かにヘッドギアを手に取り、この新しい体験に少しの不安と好奇心を抱えながら、バーチャルリアリティの世界への扉を叩く決意をしました。
祖父の言葉を思い出し、深呼吸してからヘッドギアを装着します。
「未知の世界…仮想現実…お父さんが関わったゲームですか…」
息を整え、私は電源を入れました。
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