第25話 一泊二日の小旅行 有馬温泉②六甲山前編

目的地に到着し、車から降りる三人。

目的地といっても、ここは有馬温泉街ではない。六甲山の麓にあるケーブルカー乗り場だ。


「送ってくれてありがとう、お母さん」

「「ありがとうございます、真理乃さん」」


真理乃に礼を言うと、三人はその場で腕を伸ばしたり屈伸したりし始めた。

実は今日は温泉に入る前に六甲山を歩く予定になっている。

そこそこの距離を歩くことになるので、そのための準備運動だ。


「それじゃあ私は先に旅館に向かうわね」


真理乃が車の窓を開けて声をかける。


「うん。私たちの荷物、お願いね」

「ええ。任せて」


タオルや着替えなどの入った荷物を持って六甲山を歩くのは大変だ。

特に真穂乃は勉強道具も持ってきているので海愛たちより荷物が多い。

だから、必要のない物は真理乃に車で旅館まで運んでもらうことになっているのだ。


「じゃあ、行ってきます!」


小さめのリュックに必要最低限の物を入れた彩香が、元気よく歩き出した。


「行ってきます、真理乃さん」

「遅くとも夕方くらいには旅館に着くと思うから」


そう言ってから、彩香の後を海愛と真穂乃が追いかける。


「行ってらっしゃい。気をつけてね」


そんな三人に優しく微笑みかけると、真理乃はアクセルを踏み、走り去っていった。


「さてと……とりあえずチケット買いましょうか」


真穂乃が先頭に立ち、ケーブルカー乗り場の受付に向かう。


「ケーブルカーかぁ……乗ったことないからちょっと楽しみ!」

「私も……ケーブルカーは初めてだよ」


初めての乗り物に乗る時は誰でもワクワクするものだ。

そんなワクワク感を抱きながら真穂乃を追いかけ、受付でチケットを購入した。

その後すぐに三人はケーブルカーへ。

他にもチケットを購入した観光客が次々に乗り込んできた。

そうして全員が乗車し終えると、ケーブルカーは動き始めた。


「すごい……どんどん高くなっていく……」


大勢の乗客を乗せ、上を目指して動くケーブルカーに高揚感を隠せなくなる海愛。遊園地のアトラクションに乗っている気分だった。


「景色もキレイだね」


海愛の隣で窓の外を眺めていた彩香がつぶやく。


「うん。まさに夏山って感じがするよ……」


左右の窓の外には青々とした木々が生い茂っている。

今まさに夏の山中をケーブルカーで登っているのだ。

そんな都内では滅多にできない体験に心が弾む二人。

その様子を、真穂乃が嬉しそうに眺めていた。


そうして景色を楽しんでいると、あっという間にケーブルカーが終点に到着する。

だが、ここはただの中継地点。

ここからロープウェイに乗り換えて、さらに上を目指すのだ。


「次はロープウェイに乗るからね」

「「うん、わかった」」


真穂乃の先導でケーブルカーを降り、ロープウェイに乗り換える三人。

風の影響を受けやすい乗り物だが、今日は天気が良く、風もほとんどないため、非常に快適だった。


「……さぁ、そろそろ着くわよ」


真穂乃の言う通り、どんどん終点に近づいている。後ろを振り向くと、かなりの高さまで登ってきたことがわかった。


やがてロープウェイは、無事に“掬星台きくせいだい”と呼ばれる展望広場にたどり着いた。


「わぁ……すごい景色!!」


ロープウェイを降りてまず視界に飛び込んできたのは、はるか遠くまで見渡せるパノラマだった。

眼下には神戸の街が広がっており、市街地の向こうでは大阪湾が太陽の光を受けてキラキラと輝いている。

そんな景色に海愛の視線は釘付け状態だ。


「あれが神戸空港で……あっちに見えるのは人工島の六甲アイランドだね」


彩香が遠くの景色を指差しながら説明する。


「海の向こうには紀伊半島も見えるわよ」

「あれって紀伊半島なんだ……」

「ちなみに、向こうに見えるのは淡路島。その奥には四国も見えるわね」

「そんな遠くまで見渡せるなんてすごいね」


目を凝らさなければ視認できないほどぼんやりとしているが、それでも四国や紀伊半島まで見渡せるほど開けた眺望には感動を覚える。ネットの画像やガイドブックの写真で見ただけでは、この感動は味わえないだろう。

この景色を見られただけでも来る価値はあったと思うのだった。


「六甲山の景色、気に入ってくれた?」

「うん、最高だよ!」


真穂乃の質問に、海愛が素直に答える。


「それならよかったわ。掬星台の標高は六百九十メートル。空気の澄んでる冬ならもっと素敵な景色が見られるのよ。特に元旦は、初日の出を見に来る人で混雑するの」

「ちょっとわかる気がする……」


こんなに素敵な景色を見ることができる場所だ。ここから見る初日の出はさぞ美しいだろう。それを目当てに、大勢の人が元旦に集まるのも頷ける。


「……それじゃ、景色も楽しんだことだし、そろそろ出発しようか」


掬星台からの眺望を充分に楽しんだ彩香が提案した。


「そうね。あんまり遅くなるとお母さんが心配しそうだものね」


その提案に真穂乃が同意する。


「……じゃ、マムシやスズメバチに気をつけて行きましょう!!」

「ええっ!? マムシやスズメバチがいるの!?」


危険生物が棲息していると知らされて驚く海愛。そんな生物が出没するなんて聞いていない。


「そりゃいるでしょ。山なんだから」


驚く海愛とは対照的に彩香はまったく気にしていない様子だった。


「他にも六甲山にはイノシシなんかも棲息してるから注意してね。見かけても近づいちゃダメよ」

「どうしよう……急に不安になってきた……」


六甲山を歩くことに後込みしそうになるが、真穂乃と彩香はさっさと歩き出してしまう。


「……あ! 待ってよ、二人とも~」


仕方なく海愛も二人を追いかける形で出発するのだった。


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