第23話 旅行の計画

いよいよ夏休みが目前に迫った七月下旬の夕方。

海愛は自宅に二人の友人を招いていた。

一人は幼馴染みの彩香。もう一人は、最近仲良くなったばかりのクラス委員長・高牧真穂乃だ。学校が終わって海愛の家に直行したため、二人とも制服姿だった。


「お邪魔しま~す」

「お邪魔します……話は聞いてたけど大きい家ね……」


玄関で靴を脱ぎ、家に上がり込む二人。

彩香はいたって平然としていたが、真穂乃は驚いたような表情でキョロキョロと周囲を見回している。

何度も来訪している彩香にとっては勝手知ったる家だが、初めて訪問した真穂乃には驚きの広さだったのだろう。


「うん……やっぱり初めて来た人はそういう反応をするよね」


彩香が真穂乃の反応に共感する。


「……海愛ってお嬢様だったのね」

「べ、別にお嬢様ってほどじゃないよ」


海愛がその言葉を慌てて否定した。

お嬢様といえば、上品で清楚な姿をイメージする。

その姿とかけ離れている自分がお嬢様と呼ばれることに抵抗感を覚えたのだ。

しかし、本人以外はそう思っていないようだった。


「え~お嬢様だと思うけどなぁ……」


なんと彩香まで真穂乃の味方をし始めたのだ。


「そうよね! お金持ちの家の一人娘なんだから立派なお嬢様よね!」

「もう! 二人してからかわないでよ! ……それより今日は夏休みの旅行の計画を立てる日でしょ。早く始めようよ」


話が脱線しかけている二人に今日の目的を思い出させる。

今日は、以前から予定していた兵庫旅行の計画を立てるために集まったのだ。

真穂乃の実家の旅館に泊まることや有馬温泉を観光することは決まっているが、具体的にどこを観光するかや当日の交通手段はまだ決まっていない。

旅行の日まであと数日ほどしかないので、今日中に細かい予定を決めておきたかった。


「……そうだったわね。ごめんなさいね、海愛の家が想像より広かったから……」


話を脱線させた張本人が素直に謝罪する。


「とりあえずリビングに案内するね」

「うん、お願い」


二人が目的を思い出してくれたので、海愛はリビングまで案内することにした。


だが、廊下に置いてある調度品やアンティークなどに時折目移りさせる真穂乃をリビングに連れて行くのは意外と骨が折れた。


それでも何とか目的の部屋に到着し、海愛は飲み物を用意するためキッチンに向かうことにした。


「冷たい物を持ってくるから座って待っててね」


言われた通り彩香と真穂乃が荷物を置き、イスに座る。

一方、キッチンに向かった海愛はお盆の上に三人分のコップを用意し、冷蔵庫からオレンジジュースを取り出した。

三つのコップによく冷えたジュースをそそぐ。

そして戸棚にあったクッキーの缶を手に取ると、彩香たちの待つ場所に戻った。


「おまたせ。それじゃさっそく……」


ジュースの入ったコップを配りながら、旅行の計画を立てようと提案する海愛だったが、またしても目的を忘れた真穂乃が話を遮ってしまう。


「ねぇ、海愛。このカッコイイ腕時計はどこで買ったの?」


棚の上に置いてあった腕時計に興味を持ち、その入手手段を訊ねてきたのだ。


「あ、それはお父さんのお土産……スイスで買ってきたんだって」

「スイスの腕時計!? どうりで革新的なデザインだと思った……」


海愛の父親が本場で購入し、日本に持ち帰った腕時計。

そのため、普通の大人が日常的に使用するものとは一線を画している。

そんな見慣れないデザインだったからこそ、真穂乃は興味を持ったのだろう。


「じゃあ、そろそろ計画を……」


ジュースを配り終え、本日の目的を果たそうとするが、真穂乃はまたしても別の物に目を奪われてしまった。


「このキレイな瓶に入ってる液体は何? なんだかいい香りがするんだけど……」


腕時計の隣に置かれていた小さなガラスの瓶を手に取る真穂乃。

透き通るような美しい瓶で、中には透明な液体が入っている。

瓶だけでも芸術作品のようだが、中身の液体も興味深い。フタは締まっているのにかぐわしい香りを放っていたからだ。


「それもお父さんのお土産……エジプトの香油らしいよ」

「海愛のお父さん、いろんな所に行ってるわね!? ……じゃあ、テーブルの上に置いてあるそれも海外のお土産だったりするの?」


そう言って、真穂乃がテーブルの隅の方を指差した。


「それっていうのは……」

「パッケージがカンガルーの写真になってるそれよ」

「あ、これのことだね。うん、これもそう……オーストラリアのお土産のカンガルージャーキー」

「カンガルーの肉ってこと!? ……え? カンガルーって食べられるの!?」

「意外とおいしいよ。食べてみる?」


カンガルージャーキーを手に取り、真穂乃に差し出す。


「えっと……じゃあ、いただきます……」


それを受け取って袋を開けると、真穂乃はおそるおそる中の肉を口に運んだ。


「……あ、ホントだわ! スパイスが効いててておいしい……」


咀嚼し、飲み込んだ後、味の感想を語る。


「ビーフジャーキーとそこまで変わらない味だよね。お父さんも、ビールのおつまみにちょうどいいって言ってた」

「海愛のお父さんって、海外旅行が趣味なの?」


真穂乃がふと感じたことを口にした。これだけ海外のお土産にあふれていれば、そう思うのも当然だろう。


その質問には、彩香が答えた。


「海愛のお父さんは飛行機のパイロットなんだよね。仕事で世界中を飛び回ってるから、これだけ海外のお土産が多いんだよ」

「そうだったの!? でも、それなら納得かも……」


それを聞いて、真穂乃も得心したようだ。

彩香がさらに続ける。


「ちなみに海愛のお母さんは外交官で、お父さんと同じように仕事でいろんな国に行ってるんだって。だから二人とも滅多に帰ってこないんだよ」

「外交官にパイロット……すごいご両親ね。それだけ忙しければ滅多に帰ってこないのも納得だけど……海愛は寂しくないの?」


その疑問はもっともだ。

海愛は一人っ子なので、両親が帰ってこなければ一人で生活しなければならない。

これだけ広い家で、実質独り暮らしのような生活を余儀なくされれば、孤独感に襲われても無理はないと思ったのだろう。


しかし、当の海愛は特に寂しいとは感じていなかった。


「別に平気だよ? 彩香もいるし、一人の方がいろいろと気楽だから……」


一人でいることがそこまで苦痛ではない海愛にとって、今の独り暮らしのような生活は逆に気に入っていた。

今のところ困ることはないし、近所に彩香も住んでいるので、特に寂しいとは思わないのだ。


「そうなのね……でも、家事は大変なんじゃない?」

「そうだね……掃除はちょっと大変かな……」


真穂乃の言う通り、家事の負担は大きかった。

だが、負担が大きいといっても大変なのは基本的に掃除だけだ。


「……でも、洗濯はボタン一つで乾燥まで終わるし、食事もインスタントやレトルト食品で済ませたりスーパーでお惣菜を買ったりフードデリバリーサービスを利用したりしてるから、独り暮らしでもそこまで困らないよ」

「なるほど……便利な世の中よね」


本当に便利な世の中になったものだ。

技術の進歩やサービス業の充実のおかげで、海愛のような高校生でも擬似的な独り暮らしが可能となっている。

技術の発展に貢献してくれた科学者や技術者、そしてサービス業に従事する人たちにはただただ感謝するのみだ。


「……それより、早く計画を立てちゃおうよ。もう夕方だし、急がないと遅くなっちゃう……」


海愛がガイドブックを開きながら、真穂乃に着席を促した。

時刻はもう17時近い。夏なので外はまだしはらく明るいままだろうが、これ以上無駄話をしている時間はない。今日中に大まかな計画は立てておかなければならないからだ。


だというのに、真穂乃は物色をやめなかった。


「待って……もうちょっと物色させて! 珍しい物が多くて気になるのよ」


説得に応じようとしないにクラスメイトに対し、困り顔になる海愛。


「もう……うちは美術館じゃないんだけど……」


そのつぶやきは当の本人には聞こえていないようだ。まるで美術館の展示品を観察する客のように、室内の珍しい置物を見て回っている。


「まぁ、しょうがないんじゃない? 実際、珍しいものもたくさんあるわけだし……」


そんな真穂乃を彩香が擁護した。

ふつうに日本で暮らしていたら滅多にお目にかかれない物も多いから、気になってしまうのも無理はないと思ったのだろう。


「でも真穂乃は寮の門限があるよね……」


彩香はともかく、寮暮らしの真穂乃には門限があるはずだ。

そのため、遅くなって困るのは真穂乃のはずなのだが……。


「それは本人もわかってるでしょ」

「そうかなぁ……」

「どっちにしろ今は何を言っても無駄だろうから、気が済むまで観察させてあげるしかないだろうね。その間にあたしたちで行きたい場所を決めておけばいいじゃん」

「うん……わかった」


真穂乃は今回は案内係なので、重要なのは海愛と彩香の意見の方だ。

だから、二人だけで決めてしまっても問題はないだろう。

それに、しばらく好きにさせておけば満足して一緒に計画を立ててくれるはずだ。

そう考えて、海愛たちは二人でガイドブックを見て、行きたい場所を探し始めた。


だが、真穂乃は思った以上に海外のお土産に心を奪われたらしく、なかなか海愛たちの話に入ってこようとはしなかった。


結局その日は、一泊二日の旅行の計画を立てるのに19時近くまでかかってしまい、真穂乃は初めて寮の門限に遅れたという。


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