第20話 七夕⑦

ちさの短冊には拙い字で、


『みあおねえちゃんと さやかおねえちゃんと ゆきおねえちゃんがなかよくなれますように』


と、書かれていた。


「これは……」


短冊を見て怪訝に思ってしまう。なぜ、ちさがこんなことを願うのだろう。

確かに友喜とはまだ打ち解けていない。仲が悪いように見えたとしても納得だ。

しかし、ちさがそれを心配する理由がわからなかった。わざわざ短冊に書いてまで海愛たちに仲良しになってもらいたいのはなぜなのか。


その答えがわからず悩む海愛を見て、事情を知っている様子の彩香が口を開いた。


「海愛……実はちさちゃんのことで話があるんだ。窪内さんも聞いてほしい」


「ちさちゃんのこと何か知ってるの?」


「アタシもちょっと気になってた……話して、吉宮さん」


知っていることがあるなら教えてほしい。

海愛と友喜は、彩香の話に耳を傾けた。


「あたしもさっき幼稚園の先生から話を聞いただけだから詳しくは知らないんだけど……」


「さっきというと……おやつのゼリーを取りに行った時かしら?」


「うん。ゼリーを食べさせてもいいか聞きに行った時、先生からちさちゃんのことを少しだけ教えてもらったんだ……」


そして彩香はその時に聞いたことを話し始めた。


「ちさちゃんの家って、少し前まで両親の仲がすごく悪かったんだって。ちょっと不仲とかいうレベルじゃなくて、本当に離婚寸前だったみたい……」


「そうだったの!? 家庭に問題を抱えているようには見えなかったから、全然気づかなかった……」


元気で明るくて無邪気な女の子――それがちさに対する第一印象だった。

とても不仲な両親の娘とは思えない。


「……少し前までってことは、今は仲直りしたの?」


友喜が口を挟んだ。


「うん。ちさちゃんのためにいろいろな人が介入して両親のケンカを止めてくれたから、今は大丈夫らしい。ちさちゃんも少しずつ笑顔を取り戻すようになって、つい最近ようややく笑ってくれるようになったんだって」


「そうだったんだ……だから私たちの関係に敏感だったんだね……」


両親の仲が悪いというのは、生まれて五年やそこらの子どもにとっては耐えがたいことだろう。

今は良好な関係に戻ったらしいが、それでもその時の恐怖や悲しみは簡単に払拭できるはずがない。

そんな状態で年上たちのケンカを目にしてしまったから、あんなに敏感に反応してしまったのだ。


その場にしゃがみ込み、ちさと目線を合わせる海愛。


「ごめんね、ちさちゃん。年上なのに、ちさちゃんを悲しませるようなことしちゃって……」


幼稚園児に心配をかけるなんて、本当に情けない。


「あたしもごめん……年上がケンカしてたら、不安にもなるよね……」


「アタシが一番悪いわよね。グループ学習なのに一人だけ非協力的な態度でみんなに迷惑をかけて……阿佐野さんや吉宮さんが怒るのも無理ないわ。ごめんなさい……」


彩香と友喜も同じ気持ちらしく、それぞれ反省の意を示した。


「私たちはもう大丈夫だから心配しないでね、ちさちゃん」


「うん。おねえちゃんたちが なかなおりしてくれて よかった! おねがいが かなったよ!」


短冊に書いた願い通りになって、ちさは嬉しそうだ。

その様子を見て、海愛はふと思う。


(私……ちさちゃんやかおりちゃんのおかげで窪内さんとちょっと仲良くなれたのかな?)


ちさやかおりと出会わなければ、友喜と仲良くなることはなかっただろう。

幼稚園児二人が、交友関係を少しだけ広げてくれたのだ。

二人に対して感謝の念が湧いてくるのを感じた。


「さてと……みんな無事だったわけだし、とりあえず学校に戻らない?」


問題が解決したところで、彩香が提案する。


「そうね……いつまでもここにいるわけにいかないし……」


友喜が学校への道を引き返し始めた。


「私たちも戻ろっか!」


海愛と彩香も、それぞれちさやかおりと手をつなぎ、友喜の後を追う。


学校までは大した距離ではない。

すぐに笹を飾った場所まで戻ることができた。

まだ授業中なので、海愛たちが校外へ出たことには誰も気づいていないようだ。


先ほどの風でほとんどの飾りが飛ばされてしまったが、笹は無事だった。


「よかった……笹は無事だね」


そよ風に揺れる笹を見て、海愛が胸をなで下ろす。


ちさたちが、水でふやけてしまった短冊を再び吊るした。

かなりみすぼらしい笹になってしまったが、修繕する時間も材料もないので、このまま飾っておくしかない。

だが、この状態でも織姫や彦星にはちゃんと気持ちが伝わるような気がした。


「……そういえば、かおりちゃんは短冊に何て書いたのかな?」


笹に再び短冊を吊す園児たちの姿を見て、そんな疑問が頭をよぎる。


海愛のつぶやきが聞こえたのか、かおりがその疑問に答えた。


「かおりはね……『ちさちゃんがずっとえがおでいられますように』ってかいたよ」


「……え?」


かおりの短冊を確認してみる。

確かにそう書かれていた。


「実は二人は家が隣同士みたいで、ちさちゃんの両親がしょっちゅうケンカしてたことはかおりちゃんも知ってるんだよ」


彩香が幼稚園の先生から聞いたことを海愛たちに伝える。


「そうだったの?」


「うん。それで、かおりちゃんもそのご両親もちさちゃんのことを気にかけてたんだって。幼稚園でも、ちさちゃんはかおりちゃんといる時だけ笑顔だったから、今回の授業でも同じグループにしたって先生が言ってたよ」


「最初から仲がいいなとは思ってたけど、家が隣同士だったんだ……」


それなら、ちさの家庭の事情を知っていたとしても納得だ。

知っていたからこそ、ちさに優しくしようと思ったのだろう。

心の優しい良い子なのだなと思う三人だった。


「……それでこの後はどうするの? 制服濡れちゃったし、着替えたいんだけど……」


園児二人が再び短冊を吊し終えたところで、友喜がこの後の予定を訊ねる。本人は一刻も早く着替えたいようだ。


「そうだね。私と彩香も濡れちゃったし、ちさちゃんとかおりちゃんは全身ずぶ濡れだから着替えた方がいいよね……」


川に入ったのだから当たり前だが、みんな服が濡れてしまっている。

特にちさとかおりは、首まで水に浸かったせいで全身びしょびしょだ。

夏とはいえ、早く着替えなければ風邪をひいてしまうかもしれない。


そんなことを考えていたら、彩香が突然予想外の質問をしてきた。


「ねぇ……着替える前にシャワー浴びたくない?」


「……え? まぁ、浴びたいけど……」


「窪内さんはどう?」


「アタシも体を洗えるなら、ありがたいわね……」


川に入った後なので、体を洗いたいという気持ちはみんな同じだった。


「じゃあ、今からみんなで銭湯に行こうよ!」


「……え?」


「……銭湯? 今から?」


「ちょっと先生に許可取ってくるね」


困惑する海愛と友喜をよそに、彩香は校舎の中に入っていくのだった。




それから約十分後。

海愛たちは学校から徒歩圏内にある銭湯にやって来た。

ここは昔からある銭湯で、学校から目と鼻の先にあるので、主に運動部の生徒が部活帰りに利用することが多い。

また、体育の授業などで汗をかいた時にも利用される。

海愛たちの通う高校の生徒にとって、憩いの場と呼べる銭湯だった。


この辺りで体を洗える場所はここしかない。

だから、この銭湯までやって来たのだ。

もちろん学校側の許可は取ってある。


「それにしても、よく許可を出してくれたね。まだ授業中なのに……」


「事情を話したらすぐに許可が出たよ。ちさちゃんたちが風邪でもひいたら大変だからね。……そういうわけだから、早く入ろう!」


彩香を先頭に、五人は建物の中へと入っていった。


平日の昼間だけあって脱衣所は空いている。

いの一番に服を脱いだ彩香が、ちさとかおりを連れて浴室へ向かった。


「先行ってるね。ちさちゃん、かおりちゃん、こっちだよ」


相変わらずバスタオルを巻かず、すっぽんぽんの姿を友喜が呆れたような目で見る。


「……吉宮さんって、あんなに大胆なの?」


「うん、いつもあんな感じだよ。それより、私たちも早く行こう!」


三人の後を追って、海愛たちも浴室に向かう。

大きな浴槽とサウナがある昔ながらの銭湯だ。


「まずは体を洗わないとね。かおりちゃん、ここに座って!」


「うん!」


かおりが、備え付けのシャワーの前に置かれているイスに座る。


「ちさちゃんは私が洗うね」


「ありがとう、みあおねえちゃん!」


ちさも、かおりの隣に座った。

その後ろに海愛と彩香が座る。

そして、シャワーの温度を確認してから目の前の園児の体を洗い始めた。

石鹸を泡立て、肌を傷つけないよう細心の注意をはらいながら優しく園児の体に触れる。

他人様の大切な子どもなので、どうしても慎重になってしまうのだ。


「あはは! くすぐったい!」 


ちさが突然笑い出した。

海愛があまりに優しく洗うものだから、くすぐったく感じるらしい。

笑い声を上げながら、身をよじらせている。


「さやかおねえちゃん……そこ、だめ……」


かおりもちさと同様の反応を見せていた。

ちさのように大声で笑ったりはしていないが、今にも笑い出しそうな状態だった。


子どもの肌は刺激にとても敏感だ。

そのため、どこを洗っても二人はくすぐったそうにしている。

特に腋の下を石鹸のついた手で洗った時の反応はすごいものだった。

あまりのくすぐったさに目に涙を浮かべて大笑いし、そのくすぐったさから逃れようと必死に暴れている。

比較的大人しいかおりですら、大声で笑っていた。腋の下はさすがに耐えらなかったようだ。


その反応が楽しくて、ついつい悪ノリしてしまう海愛と彩香。


「こら! 暴れちゃダメだよ」


「そうそう。大人しくしててね、かおりちゃん」


暴れるなと言われても無理に決まっていると理解した上で、少し意地悪なことを言う。

幸いにも他に入浴客はいないので、多少大声を出しても周囲に迷惑がかかることはないのだ。

だから海愛たちは、まわりに気を使うことなく園児たちの体を洗うことに集中できた。


「……はい。終わったよ、ちさちゃん」


「かおりちゃんもキレイになったよ」


体の隅々まで洗い終えた後は、シャワーで石鹸を流す。

ちさもかおりも、ずっと笑っていたので息が上がっていた。


そして、息が整ったところで小悪魔のような笑顔を向けてくる。


「ありがとう、みあおねえちゃん。こんどは ちさがあらってあげるね!」


「さやかおねえちゃんは かおりがあらってあげる!」


「「……え!?」」


嫌な予感がして顔が強張る海愛と彩香。

その予感は的中した。

ちさとかおりが、仕返しとばかりにくすぐってきたのだ。

一応、表向きは“体を洗っている”という体(てい)なのだが、明らかに腋の下を重点的に狙ってきている。

完全にくすぐり攻撃だ。


思わぬ反撃を受け、海愛と彩香が笑い出す。


「あはは! ちさちゃん! 私は大丈夫だから!」


「海愛の言う通りだよ! あたしたちは自分で洗えるから!」


くすぐり攻撃をやめるよう懇願するが、二人はまったく聞く耳を持たない。


「だ~め! ちさがあらうの! だから、じっとしてて」


「さやかおねえちゃんも うごかないでね」


小さな両手で執拗に人体の敏感な部分を刺激してくる。


「「あは……あはははは!!」」


先ほど同じことをした手前、海愛も彩香も強く抵抗することができない。

ただ涙を流して笑うのみだ。


「……何やってるのよ、あなたたち……」


そんな二人を友喜が呆れ顔で見つめていた。



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