第19話 七夕⑥

『織姫と彦星が破鏡しますように』


それが友喜の短冊に書かれていた願い事だった。


「ちょっと、窪内さん! なんてこと書いてるの!?」


明らかに短冊に書いていいような内容ではない。


「……好きに書けばいいって言ったのはそっちでしょ」


「こんなこと書くなんて思わないよ。織姫と彦星は一年に一度しか会えないのに……」


「一年に一度会えるなら、完全にリア充よ。アタシなんて彼氏いない歴イコール年齢だからね? ラブラブな夫婦なんて一組残らず離婚すればいいのよ」


「まさかの嫉妬心!?」


どうやら友喜は、年に一度の逢瀬を認められている織姫たちに対する嫌がらせ目的でこんな願いを書いたようだ。


それにしても、まさか織姫と彦星をリア充呼ばわりするとは。

これまで人間関係や恋愛で苦労してきたせいで、いろいろとこじらせてしまっているのだ。


どうしたものかと頭を抱える海愛。


「……さすがにこの内容はちょっと問題だよ。でも短冊はもうないし、どうしよう……?」


書き直してほしいが、こんなことになると思っていなかったため短冊の予備がない。そもそも、書き直すように頼んだところで素直に従うとも思えなかった。

かといって、友喜の短冊だけはずすわけにもいかない。


本当にどうすればよいのだろう。


思案をめぐらせていたその時、穏やかだった気候が一瞬だけ急変し、突風が吹いた。

非常に強い風だ。

強いだけでなく、砂や木の葉まで飛ばされてくるので目を開けていられない。

あんな短冊を吊したから、織姫と彦星が怒ったのだろうか――。


五人は目を閉じ、腕で顔をガードすることで風から身を守った。


幸いにも突風はすぐに収まり、先ほどまでの穏やかな風に戻る。


「あ……笹が……」


風が止んでほっとしたのも束の間、笹が被害を受けていることに気づいた。

作ったばかりの飾りの大部分が今の風で飛ばされてしまったのだ。

当然短冊も飛ばされてしまっている。


これはもう諦めるしかない――海愛たち高校生組はそう思った。

だが、園児二人は違ったようだ。


「ちさのたんざくが!」


ちさが突然走り出し、飛ばされた短冊を追いかける。


「あ……ちさちゃん、まって!」


かおりもその後を追って走り出した。


「ちさちゃん!?」


「かおりちゃん!?」


海愛と彩香が慌てて二人を追いかける。その後に友喜が続いた。


短冊は風にのってどんどん遠くへ飛ばされてしまう。

諦めずに追いかける園児二人。

子どもというのは、歩幅は短いが、体が軽いため意外と速く走ることができる。

そのせいで、海愛たちはすぐには園児たちに追いつけなかった。


短冊は校門の外まで飛ばされて、学校のすぐ近くを流れる川に着水した。

そのまま川の流れに従って下流へと流されてゆく。


「ちさのたんざく……」


校門を飛び出したちさが、流されてゆく短冊を見てがっくりと肩を落とす。今にも泣き出しそうな顔だ。


「ちさちゃん……」


そんなちさを、かおりが心配そうに見つめる。ちさが泣いたら、かおりも一緒に泣き出してしまいそうだ。


ようやく二人に追いついた海愛が、ちさの隣にしゃがみ込んだ。


「ちさちゃん……残念だけど、仕方ないよ。短冊ならまた書けばいいじゃない! 学校に戻ったら何か短冊の代わりになりそうな紙を探してみるから」


優しく慰めて、流された短冊のことは諦めさせようとする。

だが、ちさは諦めようとはしなかった。


「だめ……おねがいがかなわなくなっちゃう」


自身を奮い立たせたかと思ったら、なんと川に入ってしまったのだ。


「ちさちゃん!?」


この行動は予想外だ。

海愛だけでなく、彩香と友喜まで度肝を抜かれた。


しかも、問題はそれだけで終わらなかった。


「かおりもいく!」


ちさの行動に感化されたのか、かおりまで川に入ってしまったのだ。


「かおりちゃんまで!?」


あまりの出来事に困惑し、動けなくなってしまう海愛。


この川は普段は緩流で、水深も浅い。子どもが水遊びをするにはちょうど良い川と言える。

しかし、今は梅雨時だ。連日降り続いた雨の影響で水嵩が増し、流れも急になっている。間違っても子どもが入れるような状態ではない。


「ど、どうしよう……」


海愛も彩香も混乱し、とっさに動くことができなかった。

そんな状況で、最初に動いたのは意外にも友喜だった。


「ちさちゃん! かおりちゃん!」


躊躇なく川に入ると、声を張り上げて子どもたちの名前を呼ぶ。

友喜がこんな大きな声を出したのは初めてかもしれない。

少なくとも海愛と彩香は、大声で叫ぶ友喜の姿など見たことがなかった。


「何してるの、阿佐野さん! 吉宮さん! このままじゃ二人が流されちゃうわよ!!」


友喜が川の中を進みながら後ろを振り向き、一喝する。

子どもたちのことを本気で心配していることが伝わってきた。

そのおかげで硬直していた体がようやく動くようになる二人。


「そ、そうだね。私たちも行こう、彩香!」


「うん!」


海愛と彩香も川に入り、ちさとかおりの救出に向かう。


ちさたちはすでに川の真ん中あたりまで進んでおり、首の部分まで水に浸かっていた。

これ以上進ませるのは危険だ。


友喜が水の抵抗をものともせず、二人に近づいてゆく。

そして、ついに二人に追いついたのだった。


「ちさちゃん、かおりちゃん。怪我はない? 今、川辺まで連れて行ってあげるからね」


「でもたんざくが……」


「大丈夫よ。アタシに任せて!」


短冊はすぐ目の前を流れている。友喜なら手を伸ばせばギリギリ届くだろう。


「……よし、取れた!」


二枚の短冊を指でしっかりと掴む。

ちさとかおりの短冊だけはどうにか回収することができた。


「阿佐野さん、吉宮さん、この子たちをお願い!」


「うん、わかった! ちさちゃん、かおりちゃん、こっちだよ!」


海愛がちさを、彩香がかおりを抱き寄せる。 

そうして流されないようしっかりと体を支えながら、川の中を引き返していった。

ちさとかおりも両腕で海愛や彩香の体にしがみついて水流に抵抗する。

おかげで無事に川から上がることができたのだった。


「うぅ……」


今回は大事にならずに済んだが、一歩間違えれば大きな事故につながっていた可能性もある。

そのことが今になって怖くなったのか、かおりの目に涙が浮かんでいた。


「ごめんなさい……さやかおねえちゃん、おこってる?」


「怒ってないよ。二人が無事でよかった」


彩香が、嗚咽を漏らすかおりの頭を撫でた。


その横で、ちさが泣き出しそうになるのを堪えて海愛に礼を言う。


「ありがとう、みあおねえちゃん……ちさたちのこと、たすけてくれて」


「ううん。お礼なら窪内さんに言ってあげて。窪内さんが真っ先に川に飛び込んでちさちゃんたちを助けたんだよ」


ちさの視線を友喜のいる方に誘導した。

友喜は濡れた制服を絞っている最中だった。

ちさとかおりが感謝の念を伝える。


「「ゆきおねえちゃん、たすけてくれてありがとう」」


「大したことはしてないわ。二人が無事で何よりよ……でも、もうこんなことはしないでね」


「「ごめんなさい……」」


しょぼくれる二人。どうやら反省してくれたようだ。


「それから……はい、短冊。濡れちゃったけど乾けば元通りになると思うから」


先ほど回収した短冊を手渡す。

二人はもう一度お礼を言って、差し出された短冊を受け取った。


「よかった……ちさのたんざく、ながされなくて……」


ちさが短冊を、まるで宝物のように胸に抱き寄せる。


それを見て、その内容が気になってしまった海愛。

どんな願い事をしたのか訊いてみることにした。


「よっぽど大事なお願いなんだね。なんて書いたのかな?」


「えっとね……ちさのおねがいはね……」


少し躊躇った後、ちさが短冊を見せる。

そこには想像もしていなかった願いが書かれていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る