第三章 将軍の涙 4
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食料の不足はいよいよ深刻な問題となっていた。武器も今年はいつもより不足していたようだ。その夜彼らは、集会場に集まってそのことを話し合った。ざっと五十人以上はいるだろう。
「いったいどうすればいいんだ」
アシオスが焦ったように言った。横には妻と生まれたばかりの子供がいる。問題は村人全員で話し合うというのが決まりのようなものだったので、長老もいれば、ファーエと彼の影のようにしてくっつていているゼファもいた。二人は端の方でそれを聞いていた。
「このまま冬は迎えられないぞ」
「食料が底をつくのは目に見えている。しかし資金がゼロだ。冬を狙ってやってくる山賊にも注意しなくちゃいけないのに……」
「やっばりあの女を追い出すべきだ」
テュラが静かに言った。
「あいつさえいなければ」
「何を言うのテュラ! まだ傷も塞がっていないのよ」
「だけどこのままじゃどうしようもない!」
「二人とも落ち着くんだ。テュラ。彼女一人が減ろうと増えようと大した変わりはないんだ。彼女がいなくなったら、それで冬が越せるとでも? 甘い考えだ」
「……」
「とにかくもう一度考えてみよう。知り合いの商人にいくらか借りられるよう頼んでみる」
「しかし……!」
その時、病室の向こうから、突然静かな声が届いた。
「リィナ」
リィナはハッと顔を上げた。病室の向こうにはアナスタシアがいる。無論今の彼らの話は筒抜けだ。それを承知のうえで話し合ったのだし、アナスタシアも納得済みだ。
リィナは呼ばれて病室へ行った。普段診療所として使われている広すぎる食堂から全員がその後ろ姿を見送った。リィナはすぐ正面の部屋に入って、
「どうしたの?」
と聞いていたが、扉が閉められてしまったのでそれ以上聞き取ることはできなかった。「とにかく……」
テュラが話を戻そうとしたときだ。
扉が開いた。
「---------」
彼は、テュラは、勢いづいて振り上げていた拳を硬直させ、そちらを注視した。誰もが視線をそちらに送っていた。誰もなにも言わなかった。
アナスタシアが剣を杖に、リィナに支えられてやってきたのだ。彼女の姿を初めて見る者ばかりだったので、彼らはその美しさと、藍色の瞳と、漂う軍人の空気に圧倒された。 リィナは注意して彼女を長椅子に座らせた。まだ寄り掛かる場所がないと辛い。本当は起き上がるのだって止めたのだ。
「お初お目にかかる」
アナスタシアはどっかと座りながら言った。
「ここで世話になっている。帝国将軍・アナスタシアだ」
「何しに来たんだ」
テュラが忌ま忌ましそうに言った。
「なに……筒抜けだったものでな。追い出すきっかけがなくなって残念だろうが」
テュラはすぐに言い返そうとしたが、それを遮るようにして長老が口を開いた。
「アナスタシア殿と申されたか。ご勇名は聞いております。
我々は知っての通りの反乱軍……情けないことに資金が滞って食料が不足しております。これは我々の問題……どうか」
「しかしここで世話になる以上は聞き捨てもできません。あなた方がシェファンダと直接戦うというのだったら私が手を出していい問題ではないがな」
アナスタシアはちらりとリィナを見た。
「助けていただいた礼もまだだ。当然のことだったのなら、私のこの気持ちもまた当然」
「は……」
誰もがよくわからないという顔をしていた。が、リィナだけは、ひどく驚いたように声を出さないようにするのが精一杯、という顔をしていた。アナスタシアは彼女にだけわかるくらいわずかに笑った。その瞳がこう言っていた。
お前は私を助けたのは当然のことだからと言った。ならば今困っているお前たちにこうして私が手を貸すのも当然のことかもしれぬ。
「何言って……」
アルがテュラを黙って制した。
「何か考えが?」
「まず今の状況を教えてくれ」
すかさずテュラがアナスタシアに噛みついた。
「ふん、状況を教えろだと? つけあがるなよ。そんな大切なこと教えられるとでも思ってるのか? どうしてもと言うのなら理由を言ってみろよ!」
「なに。私は細かい状況が把握できていないと、頭が策略のためにはたらかないのでな」
テュラはさも馬鹿にしたように鼻で笑った。
「あんたの手を借りなくたってどうにかしてみせるさ。帝国の将軍が完璧だと思ったら大間違いだ」
「そんなことを言った覚えはない。将軍にだって失敗はある。いい例がこの私だ。バーミリオン会戦で失敗して一年塔に幽閉されたことくらいは知っておろう」
「---------」
誰もが今思い出したという顔になって硬直した。そんな失敗談より先に、この女を見ると数々の武勇伝が頭をよぎる。
「とにかく聞かせてほしい。力になれるかもしれない」
「うるさい! そうやって少しでも偽善者面するのはやめろ! そんなこと言っておいて聞くだけ聞いたらもう義理を果たしましたとでも言いたげに自分にはできないとでも言うんだろう!」
「なぜお前はそうやって私を憎む? 私がお前になにかしたというのか」
「そんなんじゃないさ」
「ではなぜだ? 憎まれるようなことはいくつもしているのは認められるがいわれのない感情に対しては不本意だ」
「うるさい!」
「お前はそうやって、自分の力では及ばない、どうしようもない難題の前にどうしていいかわからず、いらいらして悔しくて、それで怒りを私にぶつけているのではないか?」
「違う!」
「違わない。そうやっていたたまれない気持ちが段々耐えられずに、私をいい材料と見て不満や動かない難題に対する怒りをぶつけているのだろう」
「---------黙れ!」
「私に命令できるのは皇帝陛下だけだ!」
アナスタシアの視線が厳しくなった。途端に集会場の空気が藍色に染まった。アシオスの生まれたばかりの息子が、冷たい空気を感じとってむずがり始める。
「貴様……」
仲間の前でひどく恥をかかされたような気分になってテュラは逆上した。彼は腰に手をやった。アナスタシアの眉がぴくりと反応する。
「これ以上言ってみろ……どうなるか」
「ほう……どうなる? その剣で私を刺すか。やってみろ」
テュラはカッとなった。彼は剣をシャリ、という音とともに引き抜いていた。
「テュラ! やめるんだ!」
「私を殺せるとでも……? 構わぬかかってこい。今この状態でもお前には負けぬ」
アナスタシアは長椅子に座って壁に寄り掛かった形で剣をスラリと引き抜いた。ますます逆上して、テュラは飛びかかった。
「テュラ! やめろ!」
「きゃあああああ!」
リィナは想わず目を瞑った。アナスタシアの身体のことは自分が一番よく知っている。 激しく動いたり、剣を振り回したりしたら、折れた肋骨や、腕や背中にどれだけの負担がかかるかも。
しかし次の瞬間、ひどく澄んだ音がして、リィナは思わず目を開いた。信じられない光景が広がっていた。
「……う……」
「これが実力だ」
テュラの剣ははじき飛ばされて向こうの床に突き刺さっていた。アナスタシアの恐るべき大剣は彼の喉元にぴたりと当てられている。そしてアナスタシアは、まったく姿勢を変えないままそれをしていた。一同は息を飲んだ。
「く……」
テュラはそれ以上耐えられなくなったのか、集会場から表に出ていってしまった。
「テュラ!」
「追うなリィナ」
「でも……」
アルはアナスタシアの方に向き直った。
「許してやってくれ。あれであいつもあんたの実力が少しはわかったらしい」
「許すもなにも最初から怒りも感じておらぬ」
アナスタシアはさも馬鹿馬鹿しげに剣をおさめながら呟いた。
「わあお姉ちゃんすごいや!」
ファーエがはしゃいで近寄ってきた。アシオスや他の人間もアナスタシアの側へ寄ってくる。
「いや大したものだ。見えなかった」
「テュラはまだ若い。わかってやってくれ」
アナスタシアはうなづいた。そして自分に近寄る影にふとそちらに顔をやる。
「ああ、紹介しよう。妻のアエリアだ。こっちは息子のゼティオン」
生まれたばかりだとアシオスは言った。アエリアはアナスタシアの方ににっこりと笑いかけ、それから屈んで息子を見せようとした。しかし幼子はアナスタシアを見ると、その藍色の瞳が恐ろしかったのか、突然泣きだしてしまった。
「あ、あらあら……どうしたのかしら。普段は人見知りもしない子なのに」
しきりに泣く息子をあやしながら、
「ごめんなさいね」
と言うアエリアに、アナスタシアは相変わらずの無表情で言った。
「よい……この手で何千人も殺している女だ。子供が泣くのも無理はない」
一瞬沈黙が漂うなか、アナスタシアはリィナに、
「もう疲れた」
と言って席を立った。無論リィナが肩を貸さなくてはならなかった。結局アナスタシアは聞きたいことも聞けないままに眠ることになってしまったが、集会場ではまだ話し合いが続いていた。
「たしかに凄い腕だ」
「アルが仲間に入れたいと言うのも無理はない。さすがはリーダーだ」
「それより、当面の問題を早急に解決しなくてはならん」
外は雪が降ってきたようだ。
男たちの話し合いは続いていた。
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