第二章 流血の果てに 2

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「……」

 アナスタシアは目の前の男を藍色の瞳でじろりと睨んだ。一瞬怯んだ男だったが、すぐにアナスタシアの両手が天井から下げられた鎖で繋がれていることを思い出して、強気な表情に変わった。

「勝ち気な女だ」

「帝国のアナスタシア将軍か。噂以上の女だ」

 男たちは全部で六人いた。その内一人の来ている鎧で、彼らがルクリーエの六将軍だということがわかった。

(ルクリーエ……)

 かの国は野蛮で低俗なことで定評がある。あまり知識や、そういった知性的なものには縁のない国で、頭の良い男は軟弱者、強い男は、馬鹿だろうがなんだろうが偉いという風潮の国だ。

 帝国は一時期この国に戦争を仕掛けようとしたが、こんな蛮族のような国を手にしても利益なぞないと、皇帝がその必要性のなさを説いて、結局やめになったことがある。

「さてこの季節の帝国の戦争予定を教えてもらおうか。それから内部の詳しい事情もだ」 白刃をちらつかせながら一人が言った。アナスタシアは何も言わなかった。宣戦布告する予定の国は知られてしまうと先に他国に奪われたり、こちらが先制攻撃される恐れがある。宣戦布告が予定されているというのは、まだ戦争段階ではなく、属国になれという交渉予定の国なのだ。それを知られてしまって十二の軍隊のスケジュールを崩すようなことがあってはならない。

 ある程度は予想していたのか、彼らはにやにやと笑ってアナスタシアの手枷を解いた。

「---------」

「なあ将軍さんよ。言った方がためになるってもんだ。生命が惜しいだろ? うん?」

 顎に剣をあてられつも、アナスタシアは目を細めた。馬鹿にしたような笑いを微かに浮かべ、藍色の目で睨み上げる。

「ふん……この将軍がそんなこと言うとでも思ったか。雑兵ならともかく、舐められたものよ」

「強がりはためにならないぞ」

 男は凄味をきかせて言った。こいつらを見ていると、いかに帝国の兵士の質が高いかが思い知らされる。二等兵だとて、もう少し知性に縁のある顔をしているだろうに。

「どうしても言わないつもりか」

「ならばお前の身体に聞くしかあるまい」

「---------」

 一人が持っていた剣の切っ先で、アナスタシアの服の胸元がピッ、と裂かれた。卑しい笑い、侮辱するような視線、アナスタシアは口のなかでそっと唇を噛んだ。服が乱暴に引き裂かれた。両腕が押さえられ、視線があちこちを舐めるように這う。

 泣くな。喚くな。叫ぶな。暴れるな。

 何をしてもこいつらが喜ぶことばかり、思うつぼだ。ただ平然としていろ。なにもなかったように、いつものように無表情でいろ。何にも反応してはならない。

 アナスタシアにとって長い長い時間が過ぎていった。すべてが終わったあと、情けのつもりか軽侮のつもりか、誰かが白い布をアナスタシアの裸体に乱暴に投げた。

「なかなか美味だったぞ」

「ふふふ……さすがは氷姫と言われた女だ」

「また来てやる。その時までには聞かれたことを答えるんだな」

「こちらとしては言ってくれない方が楽しみが増えるんだがな!」

 男たちは豪快に笑って地下牢から出ていった。アナスタシアはほとんど聞いていなかったように震える手で立ち上がり、布を握り締めた。

「つ……」

 身体のあちこちに激痛が奔った。また痣の数も一つや二つではなかった。アナスタシアは顔を顰めながら壁に寄り掛かった。涙も出なかった。何も思わなかった。

 ただ今はここから脱出せねば。自分を案じ、自分を待っている五千の兵士がいる。アナスタシアは上を見たがやはり窓らしいものは見られなかった。朝か夜か……それすらもわからない。

 とにかくここを脱出しなければ。アナスタシアは周囲を密かに見回した。自分は広い牢の中にいて、鉄格子がある。見張りはいないようだ。きっと地上へ通ずる階段かなにかの辺りにいるのだろう。その証拠に鉄格子の鍵は開いている。

 性別に関わらず、凌辱は相手に相当な精神ダメージを与える。こんなことは二度や三度ではなかったのだろう、相手が逃げだすことなど、考えもしなかったようだ。

「……馬鹿な蛮族の男どもで助かった」

 アナスタシアは全身の痛みに顔を顰めながら立ち上がった。壁によりかからなければ、立つことすらままならない。ひとまず布を身体に巻いて、アナスタシアは不様なほどよろけつつ、壁に掴まりながら鉄格子まで歩いていった。慎重に音がしないようにそれを開けて、アナスタシアは裸足で冷たい石畳を歩いた。向こうの方から談笑する声が聞こえる。

 アナスタシアは慎重に慎重を重ねて近寄った。奴らは多分、近くを通って氷竜隊の噂を聞いたに違いない。タシャネットからルクリーエまでは遠すぎるからだ。

(何人だ)

 アナスタシアは壁に隠れながらあちらを窺い見た。

 三人。一人は素手、帯剣していない。一人は剣を壁にたてかけている。一人は腰に。

「……」

 アナスタシアは息を切らせながらそっと瞳を閉じた。体中が痛い。

 できるか? 今どうなっているかわからない、この不自由な身体でどれだけできる?

「……」

 嘲笑の数々。手足を押さえる武骨な手。アナスタシアは唇を噛んだ。恐ろしくなかったといえば嘘になる。なのに涙は出なかった。

(平気だ)

 アナスタシアはぐっと手を握った。

(あの方に抱かれていると思えば平気だ)

(そう思えばたいていのことは我慢できる)

 アナスタシアは何かを振り切るようにして顔を上げた。一番攻撃が早いのは帯剣しているあいつだ。アナスタシアは突進した。

「! 曲者……」

 最初に叫んだ者もアナスタシアの手刀を首に受けて気絶した。側にあった立てかけてあった剣を掴んでアナスタシアはその柄で相手の腹を打った。残る一人も返す手刀で気絶せしめた。誰かが見ていたら、武器はなくとも帝国の兵士は戦えるという、そんな言葉を思い出しているだろう。

「……」

 アナスタシアは額に汗を浮かべて痛みに耐えた。全身の激痛はひどかった。アナスタシアはしばらくそこで休んで、それから見張りの一人から服を剥いだ。それから彼女は階段をゆっくりとのぼって辺りを窺い、ここが小さな砦で、あまり人数もいないことを知った。

 向こうの方で、馬丁がなにかを持って歩いているのが見えた。

(古い鞍……ではあの六人はもうここにはいないのか)

 悔しいと思うと同時に、助かったと思った。復讐のチャンスは逃したが、奴らがいては逃げきることはできない。しかし復讐なら、いつか必ずできる。今は身体も不自由な時。

「……」

 アナスタシアは少し行った角に油の樽を大量に見付けた。側の松明をとって、それを倒して油を床にまくと、アナスタシアは迷うことなく火をつけた。火はたちまち燃えひろがって砦を焼き尽くした。人数も少なく混乱していたので、アナスタシアに気づく者は誰ひとりいなかった。馬小屋で馬が一頭残っていたので、それに乗ろうと近寄ったとき、二人の兵士に見咎められたが、すぐに息の根をとめた。外は夜……あの霧の午後から、そんなに経っていないというのだろうか。自分の体力を考えると、一昼夜以上も気絶していたとは考えられない。

 アナスタシアは馬に乗っても全身の痛みが疼いて、馬上でときどき無様に前のめりになったが、月の出ている方角を見ながら、燃える砦をあとにした。


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