平原の彼方へ

青雨

プロローグ

 アルヴェンゼは世界最大の国にして最強の軍隊を持つ帝国である。支配下にある王国は実に七ヶ国、国民総数十五億、一個師団五千人の軍隊が全部で十二個師団あり、将軍は十二人、その将軍の頂点に立っているのが、皇帝・ヴィルヘルム・アルゼオンⅥ世である。 凄まじい統率力、その魅力は百人が百年語っても語り尽くせないという。一年の三分の一を戦に費やし、しかも内政は抜群によいのだから民の受けもいいに決まっている。アルヴェンゼの人間にとって帝国の住民であるということは、何よりの誇りでもあるのだ。しかし、では、皇帝とはどのような人間かと聞かれて、即答できる者はまずいない。首を傾げ、はてなんと言ったら一番適切だろうかと、しばし考える。決して優しい類の男ではない。かといって優しくないというのでもないし、厳しいのでもないし、なんといったらいいのか、そして最後にはこう言う、

「しばらくこの帝国に住めばわかる」

 と。皇帝の威光や魅力は国民に直接の影響を与えながらも、はっきりとかたちにするのは難しいほどに大きかった。

 そしてその日――。

 玉座の間に、その皇帝の怒鳴り声が響きわたった。

「愚か者!」

 空気がビリビリと震えた。そこにいた近衛兵はおもわず首をすくませたが、玉座の左右を占めている十二将軍は、眉ひとつ動かさないほどの冷静を保っていた。皇帝から向かって右に六人、第一個師団から第六個師団まで、左にもう六人、第七個師団から第十二個師団までの将軍が座している。彼らはそれぞれ自分の隊の色を象徴するマントを羽織っており、それらの色が、ちょっとした風景をそこに創りだしている。

 しかし、よく見ると、右の三番目、第三個師団にいるべき人物の場所が空いている。そこには軍唯一の女将軍・アナスタシア・ファライエがアイスブルーのマントを羽織って立っているはずだ。いないのもそのはず、アナスタシアは玉座の正面に膝まづき、うつむいてそっと目を伏せて叱責に耐えていたからだ。理由は明白、軍きっての策士と名高い彼女が、なぜか先のバーミリオン会戦で作戦に失敗し、そのせいで進攻の計画が大幅にずれこんでしまったからだ。どうしてもおとせない戦だった。

「アナスタシア。そなたが今回負った責めは大きいぞ」

「覚悟は……できております」

「よし。では将軍アナスタシアを、無期限でセトラの塔に幽閉する!」

 将軍たちの、目に見えない動揺が辺りの空気をピンと張りつめさせた。

 無期限の幽閉。いくら作戦に失敗したとはいえ将軍を無期限幽閉とは。

 アナスタシアは十二将軍のなかでも特に皇帝の信頼が厚い。なぜ皇帝はこのような厳しい罰を彼女に与えたのであろうか。

 裁決が下されると将軍アナスタシアは、一人周囲の動揺に翻弄されないような堂々ぶりで顔をあげ、皇帝を見上げ、

「謹んでその罰……お受けいたします……!」

 皇帝は小さくうなづくと、立ち上がって何も言わずに玉座の間から出ていった。皇后がそれに続き、将軍たちが頭を下げてそれを見送る間、アナスタシアはやはり、一人だけ冷静だった。

 抜けるように白い肌、およそ感情とは縁のないような能面のような美しい顔、見るものすべて藍色なのではと思うほどの瞳、軽くウェーブした髪。

 彼女は将軍の面々に会釈をすると、およそ罰を言い渡された人間とは思えないほどの堂堂とした落ち着きぶりで、そこから出ていった。

 策士アナスタシア。

 五千人の兵士を統率する凄腕の女将軍。第三個師団氷竜隊を率いる彼女を、「氷姫」と人は呼んだ。

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