7章11話 しばしのお別れと、不埒な提案

【新帝国歴1136年2月7日 ヨハン】


 またそれから、しばらくしての話になる。

「ヨハン……わたくし」

 即位式に伴う諸々の行事も終わり、俺たちはランデフェルト公国の、ヴィルヘルミーナの店の中に戻ってきていた。

 言いにくそうにヴィルヘルミーナは再び切り出す。

「ヨハン……わたくし。一度、実家に帰ることになりましたの」


 果たして、ヴィルヘルミーナとリンスブルック侯爵との間には、和解が無事成立したとのことだ。聞くところによると、ヴィルヘルミーナは侯爵にとって、歳とってから授かった娘なのだという。それだけに幼少期には将来に不安のあった彼女を心配していて、それ故に拗れたとのことだった。

 今後は結婚を無理強いされることはなく、貴族の娘として相応しい振る舞いを心がけるならば、事業も応援してもらえる。だからこそ、実家に戻ってご令嬢らしく生活する必要が出てきたとのことだ。


「本当は、帰りたくないのですけど。お店のこともまだまだ気になりますし」


 ヴィルヘルミーナは店内に目をやる。今は開店していないが、ヴィルヘルミーナのお気に入りの趣向を凝らし、また高級感と親しみやすさの両立を目指した店内は、豪華でまた優美だが、派手すぎにはならず、美しいと言ってもいい。


「店は遣り手の商人に面倒を見させつつ、時々来て監視すればいいんだろ? 俺も時々見てやるから。あんたの機嫌を損ねない程度の気配りだったら、俺だってできないこともないだろうし」

「……ありがとう、ございますわ」

 そんな風に謝意を告げるヴィルヘルミーナは、いつもと違って妙にしおらしげだ。

「そんな顔すんな。……確か昔、言ってたな。俺の発明より、もっともっとすごい計画を実現してみせるって。まだまだこんなもんじゃねえな。俺の上を行くには」

 俺はそう言って、にやりと笑うことにする。

「わ、分かってますわよ!」

「だからな。使えるものは何でも使ってやれ。各国を股にかけて、その名前を轟かせるんだ。だがまあ、この店も任せっぱなしにしたら、お前の夢の店じゃなくなるかもな。だから、何度だって帰って来ればいい」

「ええ、分かってますわ、そんなこと! ……それじゃヨハン、お元気で」


 そう叫ぶと、華奢な靴でヴィルヘルミーナは器用に、店の外に向かって駆け出していく。外に馬車を待たせているのだ。これから公宮に向かって二人に挨拶し、それからリンスブルック侯国に向けて帰路に就くのだという。


「……やれやれ」


 俺は後ろ姿を見送りつつ、そう呟いて溜め息をつく。やたらと騒がしい半年間だったが、奴がいなくなって静かになると虚脱感がある。もしかしたら寂しいと思うことだって、これから先少しはあるかもしれない。


「よろしかったのですか」

 そう声を掛ける人がいる。エックハルト様だ。

「よろしいも何も、最善の道じゃないですか? これが」

「ええ、まあ。ですが」

 それから、エックハルト様は、奴に関するちょっとした追加情報を語ってくれた。


 展示会の占拠事件、犯人たちに堂々と振る舞い、そして無傷で救出されたヴィルヘルミーナは、一躍話題の人となった。ヴォルハイム大公からも大変な称賛に預かったのだとか。ヴィルヘルミーナの事業の後押しも、今回の事件の解決でヴォルハイム大公の覚えをめでたくしたことが一面にあるという。


「ヴォルハイム側にとっては、またとない政策の宣伝の機会となりましたからね。あの方の運を掴む才能は大したものです」

 そう言ってエックハルト様はくっくっと笑う。

「俺たちは、散々振り回されましたが」

「楽しくなかったですか?」

「楽しくなくもなかったですが……それよりも」

 俺は最後まで言い終わらない。ヴィルヘルミーナの滞在が良い思い出になるのか、大変なだけの思い出になるのか。それは、これからの奴がどういう運勢を掴むかにもかかってくるだろう。

「私は楽しかったですがね。ヴィルヘルミーナ様に振り回されるヨハン殿を観察するのは」

「…………」

 エックハルト様は優雅な笑みを浮かべていて、俺は頭を掻いている。エックハルト様は性格が悪いというアリーシャの評は、ある意味じゃ的確らしい。だが、最近どこか刺々しい雰囲気を纏っていたエックハルト様がこの場面では純粋に楽しそうで、日頃心労の種も数多く抱えているだろう彼の余興になったのなら、この程度の苦労はまあいいかと思うべきかもしれない。


「……まあ、それはそれとして。一つ、問題が」

「問題ぃ?」

 ついつい俺は嫌そうな声を上げる。ここまで問題続きだったのに、まだ問題が持ち上がるのか。

「若きヴォルハイム大公は、ヴィルヘルミーナ様がいたくお気に召したようです。そのうち、婚約の話も持ち上がるかもしれませんね」


 俺は考えてみる。子供の頃から結婚には興味がないと言い、リヒャルト様との婚約を解消までしているヴィルヘルミーナ。だがそれは、将来に渡って結婚しないという意味にはならないだろう。あれだけの家柄であれば結婚相手の格は当然気にするだろうし、また大公の側としても、侯爵家の子女とあれば少なくとも血筋の点で文句が出ることはないだろう。


「……まあ、そんときゃそんときというか……それも、あのお嬢さんが決めることじゃないですかね」

「であればいいのですが。ヴィルヘルミーナ様がご自分の意志を通せるのかどうか、是が非でもと言われてしまったら侯爵の一存だけで断るのは難しい」

「ふうん。政略結婚、ねえ」

 と、ここまでは俺も神妙になりかけていたのだが。

「まあ、まだ何も具体的な話は進んでいないそうですし、大公の意志もはっきりしてはいないのですが」

 俺はここでも軽く頭を抱える羽目になる。

「……ちょっと、気が早すぎるんじゃないですか。王族や貴族の人たちって」

「それは否定しかねます」

「それでも。あの年頃の娘には、親がついていて、意思決定の補佐をしてあげた方がいいと、俺は思いますから」

 そういう俺の顔を何とも言えない表情で眺めていたエックハルト様だったが、やがて口を開く。

「実に真っ当で、素晴らしい。……ですが少し残念ですね」

「何がです?」

「あなたがたが駆け落ちしたいと仰るなら、その手引きなど用意がないことはなかったのですが」

「おいやめろ!!」

 何を言ってるんだ、このおっさんは。

 普段の慇懃な態度をかなぐり捨て、俺はエックハルト様に向かって絶叫したのだった。

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