4章9話 タブレット

【新帝国歴1130年5月7日 アリーシャ、あるいは若葉】


「兄上には散々出し抜かれてきたよ。これもその一つだったというわけだ」

 ツィツェーリア様はそう言って、楽しそうに笑うのだ。


『遺構』での手痛い敗北から、二週間足らずのことだった。ヴォルハイム同盟は軍事作戦を中断し、私たちはまたヴォルハイム大公国まで戻ってきていた。今回は臨時の七人委員会の中心メンバーの会合という形になっていた。テーブルを囲んでいるのは今度は七人になっていて、最上座に座っているのは今は、ツィツェーリア様だ。


 軍事作戦の間、ヴォルハイム大公マクシミリアンは、内密の別行動を取っていた。それが、新型銃を装備した小部隊を率いて、表の攻撃に紛れて遺構に近づき、その内部に侵入することだった。

 なぜそれを秘密にしていたのかは定かではない。敵を騙すにはまず味方から、と言えないこともないが、敵は人間ではなくて、得体の知れない機械だ。もし価値のあるものが中に存在していたら、それを独り占めしたかったのかもしれない。

 果たしてマクシミリアン隊は侵入に成功した。だが、内部での災厄の攻撃は予想以上で、また屋内では新型銃が効果を発揮しづらかったことも災いした。撤退を決断するも、災厄の新型銃部隊への執拗な攻撃を躱し切ることができず、多くが遺構内に取り残された。その中には、マクシミリアン殿下、その人も含まれていたらしい。脱出できた兵士への聴取によると、マクシミリアン殿下は頭部を負傷していて、生存は絶望的だろう、とのことだった。

 つまり、今回の軍事作戦はそもそも、遺構への侵入を目的としてマクシミリアン殿下が計画し、それを七人委員会の誰も、そしてツィツェーリア様すら知らなかったということのようだ。


「兵士には、寛大な処置を」

 リヒャルト様はそう述べる。

「罰したりはせんさ。どうしようもなかった、主君を守り切ることができなかった、それも運命だ。死の知らせをその妻子に運んでくれただけありがたい」

 ツィツェーリア様はどうも、あまり悲しそうな様子ではない。

「戦場に散るは我らが血の宿命。兄上も本懐を遂げられたというわけだ。幼い子息が大公位に就くことになるが、彼はまだ何も分からないし、奥方も政治には疎いと来ている。しばらくは私が名代だ。それでいいな」

 そんな感じで、ツィツェーリア様は自分のリーダーシップを軽く認めさせてしまう。

「それに、彼は面白い土産を運んできてくれた。遺構内部より鹵獲した品だ、『遺物』と呼ぶのが相応しいかもしれんな」

 そう言って、ツィツェーリア様はテーブルの上に置かれていた盆、その上にかかっていた覆いを取る。

「…………!」

 私は反射的に立ち上がる。


 そこにあったのは。

 掌より少し大きいぐらいの薄い板で、見たところ黒っぽいガラスと金属で構成されている。そして、傍らには引きちぎれたケーブル。

 タブレット、だった。

 現代日本ではお馴染みとなった、掌サイズのコンピュータ端末。


 タブレット、という単語の元々の意味は、古代に楔形文字などで記録を残した石版あるいは粘土板のことだ。モーゼの十戒が記されていたのもタブレットだ。そのためにタブレットという言葉は、神秘的な原理によって何らかの箴言を与えてくれる、人智を超えた存在のような響きを帯びる。この世界の人々にとっては、このタブレットはまさにそういうタブレットだ、ということになるのかもしれない。

 ただし、この目の前のタブレットには、今は何も映っておらず、画面が光っている様子もなかった。


「……すみません。ちょっと、いいですか」

 私はリヒャルト様の背後、ランデフェルト公国用のボックス席から出て、タブレットが置かれた盆に歩み寄る。

 そして、それを持ち上げると、硝子面を数回、指でタップする。それから、スイッチがないかどうか調べた。何も反応はなく、またスイッチも見つからない。

「…………アリーシャ」

 リヒャルト様が心なしか、気遣わしげな声を上げる。


 実のところ、リヒャルト様に名前を呼ばれたこと自体、久しぶりのことだった。あれ以来リヒャルト様とは会話できていないし、実のところ顔をまともに見ることすらできていない。彼も現状を変えようという気配を見せてはくれていなかった。

 このまま遠ざけられることになるかもしれない、それは仕方ないのかもしれないと思っていた。だから、まだリヒャルト様が私を、同じように認識していることすら私には少し意外だった。


「別に構わんさ。何か分かるのだったら教えて欲しい」

 と、これはツィツェーリア様。私はツィツェーリア様に向かって返事を返した。

「電源が切れているみたいです。充電しなくては」


 バグダッド電池、と呼ばれるものがある。おそらく紀元前に作られたという考古学上の品であり、壺の中に銅の筒と鉄製の棒が入っていて、内部を葡萄ジュースで満たしたものらしい。実際の用途は不明だが、この構造は電池として働く条件を満たしている。

 電池の本質は、二種類の電極物質、ここでは金属の化学反応の性質の違いを利用したもので、その最大電圧は電極の種類のみによっている。他に必要な条件はその間を電解液で満たすことだけだ、というのはあくまで、理想的な話。実際には電極反応の進行や電解質の消費などで簡単に電圧が下がってしまう。また、どれだけの電力を取り出せるかは、電池のサイズとか電解液の性質とかの要素が絡んでくる。

 なんでこんな、高校理科みたいな話をしているのかって? 要するに、このタブレットを、電池を使って充電したかったからだ。科学技術の発展が不十分であっても基本原理のごく基礎さえ満たしていれば電池は作れると言いたいだけで、バグダッド電池よりはおそらくまともに動作する電池を作ろうと私は計画していた。私が選んだ電解液は硫酸、電極は銅と亜鉛。これが果たして良い組み合わせなのかは自信がないが、とりあえずこの世界でも用意はできる。

 電磁誘導でも良かったのかもしれないが、そっちの仕組みで取り出せるのは交流電圧だ。タブレットのようなものを充電するには直流電圧でなければならないが、交流電圧を直流電圧に変換する手段は、この世界のこの時代には存在していないはずだ。

 とにかく私は不安だった。流せる電流が少なければ、こういうものはろくに充電されてくれない。かと言って電流を流し過ぎれば壊れるだけだ。ケーブルに残っていた印字から抵抗を推定しつつ、最終的には勘を信じて充電するしかなかった。

 結局、準備期間と合わせて、その作業には十日余りを要したのだった。




【新帝国歴1130年5月19日 アリーシャ、あるいは若葉】


 真っ黒な画面が、同じ黒でありながら光を帯びる。それから、画面上に円形に回転する点が現れる。元の世界の現代ではお馴染みの光景だ。

「……点いた」

 私は呟いた。周りの人々はただじっと、タブレット上で起きる出来事に目を落としている。


 やがて、タブレットが立ち上がる。

 その画面上には。

 ”Select your country” の文字。

 そして、国名の選択ペイン。


 この説明だけでは誰も、この時の私の混乱を分かってくれないんじゃないかと思う。

 だってそれは、英語だった。

 この世界の、この国で生活している人間が、普段使っている言葉ではなくて。


 私は、国名の選択ペインを下に辿っていく。

『日本』が、そこにはあった。


 それから、出身地域、生年月日、名前の記入を求められた。『日本語』で。なぜかって、国を選択した後には、表示言語が日本語になったから。そこに私が入力したのは、『新井若葉』のプロフィールだった。アリーシャには元の世界のプロフィールは存在しないから、当たり前と言えば当たり前の話である。


 全ての項目の入力後に表示されたのはこんな文章だ。


 システム利用者情報登録完了。

 近くの施設を検出しますか?


 私は『はい』を選択する。


 システム第38監視塔を検出。

 管理者権限をダウンロード中……完了。


 続いて表示されたのは、あの遺構の周囲の地形図だった。

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