2章8話 戦闘・前 *

【????年??月??日 システム ループ12578】


 レベル4の介入事象を検知。介入者の存在は不明。

 自然発生的な歪み、あるいは介入残存効果の可能性は否定できない。

 影響排除のためのオペレーションを施行。ユニット編隊規模レベル3。

 



【新帝国歴1129年5月3日 リヒャルト】


 リヒャルトは、身を屈めて周囲の様子を窺っている。

 儀礼用のマントを肩から外す。邪魔にならないように隅に放り投げようとして、思い留まり、その家訓を述懐する。

(使えるものはなんでも使え、だったな)

 工房内は大混乱に陥っていた。

 なんせ、工房に飛び込んできた災厄は十体以上もいたのだ。

 身を屈めて様子を伺いながら、リヒャルトは、しまった、と思っていた。長槍の武装など、この状況ではあるわけがない。あるわけがない、と思うこと自体が失態かもしれない。


「殿下」

 傍らから声がかけられる。エックハルトだ。

「体勢を立て直す。工員の避難誘導優先だ」

「攻撃してきた場合には?」

「これは撤退戦だ。援護射撃が必要だ。お前に任せる」

「武器は」

「衛兵のを借りろ」

 エックハルトは身を屈めたまま引き下がる。


 リヒャルトは周りに、使えそうなものがあるかどうか眺める。

 目に付くのは長めの金属棒ぐらいだ。

 この際だから仕方ない。

 リヒャルトは手近な標的を見定める。四つ足の小型災厄だ。この体勢、位置関係なら、最も狙いやすいのは足。このタイプの災厄は接地面が小さく構造が弱い。


「うおらぁああああああ!」

 王侯貴族に相応しい優雅さは程遠い、獰猛な叫び声と共に、リヒャルトは殴りかかる。小型災厄は向きを変える。片腕に装着しているのは銃器の一種らしい。あれとまともに渡り合うのは危険だ。

 リヒャルトは何かを投げる。

 それは小型災厄の『目』の前で大きく広がり、その視界を奪う。

 先程肩から外したマントだった。


 一体を破壊したリヒャルトだが、ただちに背後に二体の小型災厄が迫る。だが、この二体の装備はさっきの一体とは違って通常のものだ。

 この程度なら遅れは取らない、そうリヒャルトは考える。

 だが、得物は普段の槍ではない、ただの鉄の棒だ。動作が遅れ、体勢が崩れかける。


「リヒャルト!」

 叫び声と共に、何かがリヒャルトに向かい投げられる。

 リヒャルトは片手で受け止めると、それは槍だった。普段リヒャルトが使っている細身で長い槍とは違う、リンスブルックの儀仗兵が持つ槍だった。少し勝手が違うものの、鉄の棒よりはましな武器になりそうだった。

「……エックハルト」

 槍を投げて寄越した人物を、リヒャルトは確かめる。

 目を離したのは短い時間だったが、エックハルトは武器を調達することに成功したらしい。自分用としては短銃を手に入れたようだった。

「……死んでもらってはこまります、こんな所で」

 冷たく無礼な口調。こいつはこういう奴なのだ、そうリヒャルトは考える。

「ああ。だから、援護はお前の役目だろ、エックハルト」

 そう応じたリヒャルトに、エックハルトは片眉を釣り上げるだけだった。

 



「……避難は進んだか?」

「多くの工員は避難したようですが、問題が」

「問題?」

「国家の重要人物が現場から離れていない以上、兵士が撤退できません」

「重要人物?」

「あなたですよ、もちろん。……それから」

 リヒャルトはようやく気が付いて、頬を掻く。

「そうか。我々が撤収すれば避難完了ということか?」

「話は最後まで聞いて下さい。……それから」

「なんだ」

「避難した者たちの中に、ヴィルヘルミーナ様がおられません。それから、あの……アリーシャ殿も」

「……それを早く言え!」

 リヒャルトは絶叫し駆け出す、工房の奥へと向かって。エックハルトが追いかけてきているのを背後に感じるが、リヒャルトの全速力と身軽さには及ばない。奴には中距離から援護してもらえれば十分だと、リヒャルトはそう考える。


(……どこだ)


 リヒャルトは注意深く辺りを見回す。一階では見かけなかった、とすると。

 一瞬の考慮の後、リヒャルトは瓦礫の山を二歩で飛び越えて、階上へと続く通路を駆けていく。


 リヒャルトは武門の子だ。

 リヒャルトは父を災厄との戦闘で失っている。若くして穏やかさと落ち着きを備えていた前公爵ヴィクター。その死に顔は裂傷と火傷の痕に覆われていて、生前の端正な美しさは見る影もなかった。にも関わらず、穏やかな笑みを浮かべているように見えたのはせめてもの救いだったのかもしれない。

 リヒャルトはそれを見せられた。込み上げてくる色々なものを必死で抑えながら、それを瞼の裏に焼き付けた。戦いを宿命づけられた一族の末裔として、自分もまた生まれながらにして戦いに生きる者であるために、そのことを決して忘れないために、死に直面しても決して臆さないために。

 それら全ては誉れなのだ。武門の子であり、生まれながらの将兵であり、民を守り導くという崇高な使命によってもたらされた死であるのなら。

 だが彼女らにとっては違う。ヴィルヘルミーナと、アリーシャにとっては。むごたらしい死が訪れることなど、あってはならない。

 間に合わなければならない。否、間に合うのだ。

 さもなければ、自分が君主と呼ばれる意味などない。大事な者を守るためになにもできず、手をこまねいて座しているだけなら。

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