第19話 ニセの恋人
やっと勉強から解放されたが何をしようか、時間を持て余して、しばらくさぼり気味だったLINEを真面目に再開した。すると、流行作家のお供で何度か来店した編集者の石川凛子から返信が届いた。親が縁談を持って上京するので、架空の恋人に1時間だけなってくれないかと書かれていた。ほう、面白そうだ。退屈だった俺はそのドラマのオープニングはいつだと返信した。
約束の日、龍志は上野駅近くの三井ガーデンホテルのイタリアン・レストランで両親を紹介され、凛子のカレシに扮して質問に応じた。父親は盛岡市を地盤とする県会議員だと自己紹介し、どんな仕事をしているかと尋ねたが、長瀬エンターの名刺を渡して説明した。横で微笑む凛子の顔にいつもの大きな黒ぶちメガネはなく、こんなに華やかな女だったか? つい見とれてしまった。俺のトークに聴き入る両親に、
「申し訳ございません。ご両親にお会いしたくて抜け出しましたが仕事に戻らせていただきます。お会い出来て光栄です」、長居は無用だ。龍志はホテルを後にした。
その夜、凛子からお礼の電話があった。
「凛子です、ありがとうございました。両親はすっかり龍志さんを信用したみたいです。仕事が面白くて独身を続けたいのに、見合結婚で盛岡へ帰るなんて考えられません! ピンチを救ってくれたから、いつかランチかディナーをいかがですか? そのときは恋人に断ってから私と会ってださいね」
「役に立って良かったよ。あんな男と付き合うなと言われないかとヒヤヒヤしてたんだ。君の見合話だけでご両親は東京に来たのか?」
「甥っ子の結婚式なんです。その席で娘はいつ結婚するかと訊かれるのが嫌なんでしょ、心配するのはわかるけど勝手にさせてよ、そう思います。それで龍志さんはいつが空いてますか?」
「明日はボケーっとした体をジムで2セット虐める予定だが、次は空いている。午前中に美容サロンに寄るだけだ」
「まあ、ジムに通って美容サロンですか? 大変ですね、それでは明後日の土曜日にしましょう。アウトフーズや嫌いな物はありますか?」
「ジムやサロンはホストで生活しているから当然だ。みっともないホストに客は付かない。食べられない物はないが、ナイフやフォークをチャカチャカするのは苦手で、普通のラーメン・餃子やチャーハンが好きなんだ」
「はい、了解です。それで龍志さんはどこにお住まいですか? それを聞いて店を選びます」
「住まいは店から徒歩15分、新宿区だ」
「ヒラメキました! 決めました。また連絡します」
新宿駅で待ち合わせしたが、今日も凛子はメガネがなかった。
「飯田橋の外れの汚い小さな店ですが、ここの醤油ラーメンは絶品なんです。今どき480円でこんなダシのラーメンはありません。お口に合うかわかりませんが行きましょう」
凛子の前説どおりの煤けた小店で、無愛想な店主が、
「アンタまた来たのか。ほぉ? 珍しいことがあるもんだ、男連れかい」
店主はジロリと龍志を睨んだ。出されたラーメンは確かに旨かった。鶏ガラと豚骨ベースに昆布と何だか想像がつかない魚介の混合スープだ。
「旨い! こんな旨いラーメンは初めてだ」
「でしょ! 龍志さんが育った新潟は、ラーメンの外食費が全国トップ3に入るラーメン県なんですよ」
「そうか、街に買物に出ると昼はいつもラーメン屋だった。このラーメンはしょっぱい醤油味の東京のラーメンとは違うな、旨い!」
龍志は珍しく、汁まで全部飲んだ。
「まだ時間はありますか?」
「あるよ、部屋に戻って仕事着に着替えるだけだ。今日は同伴客はない。君は下町グルメか? すごく旨かった、ごちそうさま」
「千鳥ヶ淵まで歩いてボートに乗りませんか?」
「うわっ、ボートか! 苦手だ。高校生のとき初めてのデートでボートに乗ったが逆走したんだ。バカじゃないのと叱られてそれっきりだ。それからボートは乗ったことがない」
凛子はゲラゲラ笑い出して、
「任せてください、私は大学時代は水泳部でした。龍志さんが逆走して転覆しても必ず助けます。とにかく乗りましょう」
不安げな龍志を先導してボートに乗った。
「違う、違う、こう漕ぐの!」
まったくダメな俺と場所をチェンジして凛子が漕ぎ出した。はぁ? 俺は恥ずかしかった。女が漕ぐボートに乗った男なんて見たことないぞ!
「覚えてね、恋人とボートに乗るときはこう漕ぐのよ、ホントにわかったの?」
「いや、せっかくのご指導だが恋人はいない」
「えーっ! どうして?」
「どうしてと訊かれても、いないものはいない」
「信じられない! No.1ホストにたったひとりの恋人もいないなんて考えられない、どうしたの?」
「さっきも言ったが、どうしたと訊かれても、いないものはいない!」
凛子は手を叩いて笑い転げたが、俺は不機嫌だった。
9月に入り、親父から電話があった。
「美由から電話はあるか?」
「昨日もらったが元気でやってるようだ。美由がどうかしたのか?」
「実は一昨日に健一さんが蔵に火をつけて首吊り自殺した。命は取りとめたがひどい火傷だと聞いた。消防団の人によると遺書があって、ショウコさんの所へ行くと書かれていたそうだ。美由がそれを知ったらどれほど傷つくかと心配でならない。それでお前に電話したんだが、美由に変わった様子はないか?」
「うーん、どこまで吹っ切れたかわからないが、美由が何か言って来るまで僕は知らないふりをする。連絡があったら知らせるよ」
重苦しい気持を抱いて電話を切った。弁護士先生の予測どおりか…… クソッ、どこかに命を惜しむ気があったのだろう、あいつなんかきれいに死んじまえ!
1週間ほどして、美由から携帯があった。
「兄ちゃん知ってた? あいつが自殺未遂したって友だちが教えてくれたの。ショウコさんの所へ行きたいならさっさと行けばいいのに、情けないやつ!」
「失敗して生き恥を晒すなんて、最低の男だ!」
「そうでしょ。私はリセットして全部忘れたのに、みっともない騒動を起こすな、恥を知れっ! 頭に来たよ。父さんは私を心配して用もないのに元気か、ご飯はちゃんと食べてるか、仕事は慣れたか、そんな電話をくれるの。何を言いたいかわかるけど何も訊かないの。兄ちゃん、父さんに言ってよ。私はあんなやつなんか忘れたよ、捨てたんだ! 気を使うことはないって言ってよ」
「わかった。親父に言うよ」
「気になるから訊くけど、兄ちゃんは恋人できたの?」
「出来ない。恋人なんていない。ひとりもいいもんだぜ、気を使う必要がない、限りなくフリーだ、自由だ」
「へーっ、こんなにカッコいい兄ちゃんに恋人がいないなんて不思議なこともあるもんだ。タカノゾミしてない?」
「してない! 俺の心配するより自分を心配しろよ、わかったな」
美由の叫びに似た強がりを聞く俺も辛かった。
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