第17話 大人になったシンジ

 宅配ピザをかじりながらビールを飲っていたシンジが胸をはだけた。そこには大きな刃物傷があった。

「どうしたんだ! ケンカか?」

「ケンカじゃないです。大阪って東京から来たヤツをネチネチとイジルんです。やり方が陰鬱で、最初は知らんふりしたけどザケンナ! やってらんねぇ! 大暴れしました。3回目かな、気がついたら病院のベッドでした。そのときの傷です。背中の方がもっとヤバイです。背中に目はないからグサリでした。傷があと2センチ内側だったらオダブツだったらしいです。まだ時々痛みます。

 オーナーが東京に帰ろうって迎えに来たけど、刺されてビビって逃げ出したと笑われたくないです。覚悟して大阪に残りました。バカの名をポリ公に言わなかったから、それ以後はやられませんでした」


「よく命があったな、驚いたよ! 君の店はそんなチンピラ・ホストばかりか?」

「喧嘩したことない龍志さんにはわからないでしょうが、喧嘩は負けちゃダメなんです。アイツらは僕を脅かしてパシリにしたいだけでした。僕が断ったのを根に持ってねちっこくイビリ続け、最後は3人か4人で襲ってきました。ダガーナイフなんて卑怯です! でも今は心配ないです」

「そうは言っても死ぬところだったんじゃないか、そいつらはまだ店にいるのか?」

「アイツらは客が離れて辞めました。今どきバカなホストに客は通いません」


「いろんな経験をしたんだなあ。ところで教えてくれ、君はなぜ東京へ来たんだ? 休みじゃないだろう?」

「龍志さんがキャッチした新人を見に来たんです。これからのホストは学歴だけじゃないけど、常識を持った社会人が必要だとオーナーから聞きました。イケメンの王子サマという外見だけで採用した時代は終わってます。僕を襲ったアイツらが最後でしょう。健全なホストクラブには一般常識と教養を持った普通レベル以上の男が必要です」

「はあ? 君はいつからホスト連合の会長になったんだ?」

 シンジの口から出た言葉は予測できないものだった。ヒロキさんもここで俺と一緒に仰天して欲しかったとつくづく残念に思った。相当揉まれたのだろう、まだまだガキでヤンチャ盛りだったシンジが一皮も二皮も剥けた気がした。

「今は通信制大学を受講してます。経営学部だけど知らないことばっかりで面白いです。テキストを見ても意味がわからないとき、龍志さんがいたらとよく思ったけど何とか1年過ぎました。僕のキラキラ・トークだって客の気持をいつまで引っ張れるかわからない、中身が空っぽじゃトークは続きません」

 

 シンジの言葉に、夢でも見ているのか俺は頰をつねりたくなった。

「社労士になったらどうするんです? ホストを辞めるんですか?」

「合格しそうもないが、企業に入るより独立したい。今の仕事を続けるか考えてないが、オジさんホストには客が去って行くだろう。客のオミズたちもずいぶん入れ替わった。結婚して幸せになった子もいるが、あの世界も厳しいな」

「僕にはわかります。合格の自信があるでしょ、ウソついちゃダメですよ。ウソ言うときの龍志さんはすっと左に視線を流すんです。ミエミエでーす!」

 こいつは読心術まで知ったのか? 

 翌朝、シンジはこんなことを喋って帰った。

「ヒロキさんは学生のキァッチに失敗したと違いますか? 何となくわかります。普通の男にはないオミズのツヤっぽさが染み込んでます。それが龍志さんにはないです。それから龍志さんに言われたこと、しっかり守ってますよ。合格したら教えてください。紹介したい人がいます」


「おい、元気なシンジに襲われなかったか?」

 店に入るとヒロキさんが笑顔で近づいた。俺はシンジが先輩ホストに襲撃されて、胸と背中に深い刀傷が残っていること、そんな目に遭って考えが変わったらしいと告げて、シンジの考えを伝えた。

「オマエの話によると、シンジはわざわざウチの大学生ホストを見学に来て、アドバイスしたのか?」

「そうです、そのために上京したんです。そして大阪の店でも大学生をキャッチすると言ってました。僕が最高に驚いたのは、これからは一般常識や教養を身につけたホストが必要だと自論を展開して、中身が空っぽじゃトークは続かない、大学の通信教育を受けていると言ったことです。

 シンジの考えに賛同する部分はたくさんありますが、あいつからこんな話を聞かされるとはまったく想像してませんでした。これは夢か? そう思ったほど信じられないトークの連続でした」

「アイツがなあ? そんなことを言ったか! シンジに言われなくても、ホスト業界に限らず変化と変動は激しい。金持ちオバさんから金を巻き上げ、オミズからむしり取る、借金のカタに風俗に売り飛ばす、そんなホストの世界はとっくの昔に終わったことは承知している。だがシンジがなあ、あのシンジがか…… 信じられない話だ」


 7月の蒸し暑い夕方、同伴出勤した俺に聞き覚えがある声がした。パウダールームを覗くと、三千円がヘルプ・ホストたちのヘアカットをしていた。どうやら美容学校は続いているようだ。気づかれないうちに退散しよう。

「あっ、お兄さんだ! お兄さんのツーブロックもカットしてあげる。ちょっと待ってよ」

 俺は接客トークそのままに、

「アンお嬢さま、ご無沙汰してますがお元気でしたか。ここで何をなさってますか」

「カットのモデルになってもらってるの。みんなをノーセットでラクラクなカッコイ髪にしてるんだ、お兄さんの頭もやりたーい」

「せっかくですが僕は遠慮させていただきます」

 とんでもない! あんなのにしょっちゅう来られたんじゃ、俺は迷惑だ。付き合ってくれと迫られたが返事はしていない。嫌いではないが、俺はまだ三千円にこだわっているのか? わからない。

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