第10話 人の心がある処

 美由から聞いたラブレターは俺ではない、違う龍志に宛てたものだろう。サチコとはデートどころか話したこともない。彼女はいつも男子学生に囲まれた高嶺の花だった。抱いた記憶はないが抱いたか? そんなことがあり得るか? プロに訊くしかないな、俺はデリヘル嬢を待った。


「何かあったの、遊び過ぎたのかな? さっぱりね。こんなに疲れてたんじゃ、どうすれば機嫌を直してくれるのかしら」

 ぐたーっと寝転んだ俺にプロが顔を曇らせた。

「教えてくれないか。グデングデンに酔っ払って倒れ込んだ男をイカせることが出来るか?」

「うーん、出来ないことはないけど、そういうときは肝心なモノはダラーッと眠ってるのよ。なぜそんなことを知りたいの? ヤバいの?」

「ヤバくはないが不思議なんだ」

「ふーん、お客を抱かない評判のホストがワナに墜ちたってこと? 妊娠したとか脅かされたんでしょ?」

「いや、そうじゃないが腑に落ちない。前後不覚の酔っ払いでは本当に何も出来ないか、無理か?」

「ちょっとやってみるけど、酔っ払った振りして体の力を抜いてね」

 俺は言われたとおりに、情けない姿のまま仰向けになった。

「ここを上手に押すと縮んでいても子種は出るのよ。ほら、出たでしょ。どう、気持良かった? そのときに女がアソコをパクッとかますの。それしかないわね」

「まったく気持良くない、イッタ感覚がない!」

「そりゃそうでしょ。でもこれは素人じゃ無理ね。それにチョロチョロじゃ妊娠する確率はほとんどないわね。だって奥まで届かないもの」

 なるほどなあ、プロのテクと解説はわかりやすかった。

「世話をかけたが、少しは謎が解けた。ありがとう」

 デリヘル嬢は、早く元気になってねと帰って行った。

 考え過ぎだ、妊娠させたのは俺ではないだろう。だがあの手紙は何だ? 龍志なんてそんなにある名前ではない。何かおかしい、美由の相手は本当に信用できる男か? 不安が残った。


 通常営業になりホスト・ライフが始まった。このところ俺が悩んでいるのは、美由が結婚式の出席をせがむからだ。そんな席に出たくはないが、花嫁姿を見たい思いと相手がどんな男か確認したい気持があった。

「兄ちゃんの仕事のことは家族しか知らないよ。山村さんにも言ってない。この前さ、兄ちゃんは東京で元気に働いて、仕送りしてくれてると言ったら、ものすごく驚いた。それからさ、信金を辞めたことなんて誰も覚えてないよ、忘れてるよ。だから来てね、約束してよ」


 ある日、妹さんは元気かとマネージャーに訊かれた。元気です。近々結婚しますと応えた俺に、

「そうか、おめでとう。休みを取って行って来い。会えるときに会ったほうがいいぞ」

 その夜、行こうか、欠席しようかと思案中の俺に、ケイタイのダメ押しが入った。

「兄ちゃんを数に入れたから、絶対来てよね。健一さんも会いたいって。頼んだよ!」

 わかったと伝えたが、親戚連中からなにやかやと質問されるかと思うと、気が重くなった。


 2月が終わろうとする頃、思わぬ客が俺を待っていた。1年以上前か? 突然の携帯で顔を青ざめて帰った淳子だった。そのとき俺は駆け出しの新人ホストだった。

「淳子さん、ようこそいらっしゃいませ。お会い出来て本当に嬉しいです!」

「あらあ、お愛想でも嬉しいわ! あのとき、龍志くんは君なら頑張れる、やれると言ったわね。あれから私は本当に地獄を見たの、とっても辛かった。でも、君なら頑張れると言ってくれた人は龍志くんしかいなかった。私はホストさんに夢中になるほどウブじゃないけど、その言葉を心に秘めて頑張れたのよ、ありがとう! 私を救ってくれた龍志くんに乾杯したいわ!」

「僕は何の力にもなれないただのホストです。でも、淳子さんならやれる、ここで沈む人ではないと信じていました。復活した淳子さんに会えて本当に安心しました」

 俺の言葉を聞いた淳子は、抱きついて吠えるように泣き出した。本来、店内では客がホストに抱きつこうとすると、うまくリードしてそうさせないのが常識だが、俺は不覚にも不意打ちをくらった。淳子がやっと落ち着いたとき、マネージャーがドンペリを抱えて、

「これは店からのお祝いです。お陰さまで龍志は一人前のホストになりました。どうぞ末永くお引き立てのほどお願い申しあげます」

 マネージャーはドン・ペリニョンのピンクを置いた。けっこう高い酒だ。こんな場所にも人の心はあるのか、龍志は思った。


 2、3日経って、マネージャーは名刺を取り出し、

「君の名刺を作った。確か実家は新潟の山あいの町だったな、『CLUB LUNA』の名刺は出しにくいだろう。これを使え。渡された名刺は『長瀬アミューズメント株式会社』の名称で、営業部所属と印刷されていた。裏面は業務内容の紹介と経営店舗、コンサルタント契約の企業名が並んでいた。

「ありがとうございます。これを持って妹の結婚式に出席させていただきます」

「そうか、行って来い。ただし長居はするな、とかく田舎の人間は疑り深い、興味ある新しいニュースがないからだ。ウダウダ探られる前に戻って来い。せいぜい1泊だ、わかったか」

 なるほど、そのとおりだ。ゴチャゴチャ質問されるのは遠慮したい。早速、美由に知らせた。

「前日の夜に顔を出すが、市内のホテルに泊まる。それからな、ホストじゃない名刺を作ってもらった。長瀬アミューズメントだ。営業部ってことになっている。悪いがゆっくりは出来ない、式が終わったらすぐ東京へ帰って仕事なんだ」

「ありがとう、来てくれるだけで嬉しいよ」


 美由の祝いになにを贈ろうかと思案していたら、三千円から携帯があった。

「お兄さんは元気? こっちはメチャ元気だよ。バイトも続けてる。4月から美容学校に行くんだ。継母から逃げ出して自立したいの。美容師になったらお兄さんの頭は任せてね。あのさ、今度デートしてよ、バイトの子はみんな高校生で子供なんだ。つまんないよ」

「へえー、デート? そうだ、ちょっと聞いてくれるか、妹が結婚するんで何を贈ればいいか考えていたとこだ。何をもらったら喜ぶか教えてくれないか?」

「いいなあ、お兄さんには家族があるんだ。私も妹になりたいよ」

「ごめん、君にこんな話をして悪かった、謝る」

「いいよ、気にしない。あのさ、品物よりお金だよ、お金はジャマにならないよ」

 そうだな、腹ペコでへたり込んだ三千円を思い出した。

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