第8話 あれは3千円か
俺にはいつものホスト・ライフが戻った。クリスマスが近づき何やら店内がざわめき始めた頃、沙奈江からメールが入った。
「やっと時間が取れそうよ。イブはとびっきりの時間を楽しみたいから、みんなを連れて行くわよ。期待してね」
クリスマスイブは1年中でいちばん店が華やかになる夜だ。この夜のためにショーが企画され、シャンパンタワーが立ち並ぶ。
今宵だけでタワーを4回もプレゼントされて拍手に包まれた。俺は煌びやかなシャンパンタワーを満面の笑顔でコールしたが、この女たちは恋人や家族で過ごす温かさが欲しくてここにいるのかと思うと、シャンパングラスの輝きが涙に見えた。俺も同じか……
「龍志くん、何をいじけてるの。ほら、約束を守って押しかけたわよ」
初見の中年婦人4名と若い女1名のメンバーを連れて、沙奈江は来店した。この若い女はどこかで会ったか? 俺が若い女と出会うのは本指名のオミズたちかデリヘル嬢だけだ。だが、この子はどこかで会った気がする。沙奈江はメンバーを紹介した。こちらはドコソコの社長夫人であちらはナントカ企業の~ 俺はおばさんたちのプロフィールを聴いてなかった。目の前の若い女が気になって、思い出そうとしたがなぜだか思い出せない。俺がその子を見ているのに気づいた沙奈江が、娘のアンだと紹介した。へっ、娘か?
「どうしたの龍志くん? 私は継母なの。この子は夫が遺した先妻の子よ」
俺の前に豪華なシャンパンタワーが完成した。ホスト・コールに包まれて、沙奈江は撮影モデルをした俺のスチール画像をテーブルに並べて、熱心に説明した。
「これよ、このコートがスゴイ人気なの。今は輸入待ちなのよ。成熟した男になる前のウブで不安な龍志くんがいいでしょ」
それは上半身が裸でスリムパンツを履き、コートをまとっただけの俺が雨に打たれ、もの憂い表情で視線を落としたシーンだ。静止した時間に身を置く孤独が漂っていた。何十枚ものスチール画像を見たおばさんたちは、アイドルを見るような目で俺を眺めた。
やがて、おしゃべり上手なおばさんたちのリードでムードは最高潮に盛上がり、他のテーブルからもホストが次々とヘルプ投入された。アンはほとんど喋らず、ときどきシャンパンに口を付けてホスト・トークに微笑んでいるが、ここから早く帰りたいと思っている、龍志はわかった。
アンは髪をいじり続け、左手でかき上げた首筋にホクロが見えた。そのとき龍志に記憶が蘇った。あの子は3千円の子だ、間違いない! お嬢さまのあの子はなぜ体を売っていた? 俺は悪酔いしそうで顔を洗って席に戻った。
車の手配をし、一行を見送りして店に戻ろうとするとアンがタクシーのドアを開けて、
「いけない、ピアス、落としちゃった」
慌てて俺に駆け寄ったが、
「ご安心ください。僕が必ず見つけますからどうぞお帰りください。本日は誠にありがとうございました」
型通りの挨拶を述べる俺にアンは小さな紙を握らせた。去っていく車を見送ってテーブルに戻ると、床にピアスの片割れが落ちていた。
客の遺失物はマネージャーに届けて報告するのが決まりだ。
「沙奈江さまのお嬢さまの落し物です。お預けします」
あー、やっと帰れた、長い1日が終わった。疲れてベッドに倒れ込むと、ポケットから数字が並んだ紙切れが落ちた。ん? あの3千円、いや、お嬢さまのアンは俺に何か伝えたいのか? その数字にケイタイする途中でふと思った。これは沙奈江が与えたケイタイかも知れない。アクセスするとすぐつながった。
「アンお嬢さまですか、CLUB LUNAの龍志です。本日はご来店いただきまして、ありがとうございました」
「ふふっ、ずっと前のお兄さんでしょ、会えて嬉しかったの。いつかデートしてくれないかな、お店じゃなくて」
「その前に訊きたいが、君はこのケイタイしかないのか、他に持ってないか?」
「ない、使ってたケイタイは継母に取られたの」
「そうか…… 明日、7時過ぎに店に落し物を取りに来てくれ。相手は出来ないが、大事なお客さまにプレゼントを用意しておく。大きいのをお母さんに渡してくれ。君は小さい方だ、間違うな。そしてこの通話は消去した方が安全だ」
「何だかわかんないけどいいよ、行くよ。ヒマだもん」
翌日、俺はデパ地下のゴディバで大箱と小箱のチョコを買って、小さい方にプリペイド携帯を隠した。その夜、
「お兄さんケイタイありがとう! これって使い捨てなんだね、でも嬉しい! バイトが決まったんだ、コンビニだよ。桜上水駅の北口だから来てね」
お気楽な声が届いた。ふーっ、あの稼業じゃなくてほっとしたが、商売でセックスした男に出会っても平気なのか? 恥ずかしくないのか? 俺の方が恥ずかしいよ、不思議に思った。
12月30日の年越イベントを最後に大掃除を済ませ、店は休みになる。翌日からホストたちは1月4日まで休暇だ。休みの初日は里帰りしたオミズの姫たちにLINEし、ジムは休みだからデリヘルを頼んでうっぷんを発散した。部屋の掃除を済ませたがまだ陽が高い、さあどうしようかと迷ったとき三千円を思い出した。俺にはお嬢さまのアンではなくて三千円だ。
コンビニ店はすぐわかった。ユニフォーム姿のアンはマジメにバイトしていた。新聞をレジに差し出した俺に気づいたアンは、
「うわっ、来てくれたの! あとちょっとで休憩だから“おおぞら公園”で待ってよ、そこを曲がるとすぐだよ」
小さな声で言った後、「ありがとうございまーす」元気な声を張り上げた。
陽だまりに包まれたベンチで待っていると、コンビニ袋を抱えたアンが走って来た。
「一緒に食べようよ、もうじき捨てる商品だけどオーナーがくれたんだ。勿体ないよね。お兄さん、野菜を摂らなきゃだめだよ」
おにぎりと透明容器に入った生野菜を出した。
「君はいつ家に戻ったのか?」
「えーっと、1年前かなあ? 家出に飽きたんだ。客がいないとお金がなくて、公園の水飲んで我慢したこともあった。気持悪い客や約束を守らない客もいた。毎日が面白くなくて、だんだん疲れてしまったんだ。そんなとき、キャバ嬢のおばさんが拾ってくれた。アパートに泊めてご飯食べさせてくれた。そして家があるなら帰りなさいって、いつまでも三千円は続かないって。そんなのは止めなさいって」
「それで家に戻ったのか。沙奈江さんは君を大事にしてくれるか、どんな継母なんだ?」
「うーん、意地悪しないけど普通だよ。あの人も昔はキャバ嬢だったんだ。私はホントのママに連れられてあの家に入ったんだ」
「沙奈江さんがオミズだなんて驚いたなあ。つまり、君は先妻の連れ子か。君の母親が亡くなったときに本当の父親は生きていたのか?」
「うん、偉い人になって今でも生きてるよ。あっ、もう時間だ、帰る!」
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