ホストの龍志
山口都代子
第1話 俺はホスト
俺は傾きかけた太陽を背にして外へ出た。歩いて15分ほどの『CLUB LUNA』という店だ。入店して間もないホストは午後4時までに出勤し、店内の清潔を確認した後、見込み客にLINEやSNSするのが決まりだが、No.2の俺は数字さえ出せば自由は許されている。18時の開店までオールフリーだ。
ジムから戻ってバスタブに身を沈め、今宵のシミュレーションを描く。同伴出勤のお客さまは決まった、細川愛子だ。彼女からプレゼントされたネクタイを結び、喜んでくれそうなヘアスタイルにするためにサロンに寄ろう。
ホテルのロビーで待合わせた愛子は俺のネクタイ眺めて優しい視線で微笑み、同伴で店に入ったのが午後6時過ぎだ。愛子は情報関連の会社を経営していると聞いたが詳しくは知らない。相手が喋れば別だが、俺は決してプライベートは探らない、訊かない主義だ。
俺のヘルプは入店2カ月で19歳のシンジと22歳のマコトだ。シンジには絶対に酒は飲ませない。今時のホストクラブはしっかり法律を厳守して、些細なことで摘発されることを嫌う。業界全体のイメージダウンになるからだ。あいつらは金髪とライトブラウンに染めた前髪で額を隠し、ショータイムに踊りまくるダンサーだ。テレビでよく見るジャリタレふうだが、なかなかどうして、確かな目標を持ってこの仕事を選んだらしい。オミズの女と同様で、若いイケメンで素敵なだけでは通用しない、目的がないと生き抜けないシビアな世界だ。
愛子はずっと上機嫌でシンジのおしゃべりに耳を傾け、そのうちハイクラスのドンペリをオーダーした。すると、すかさずコールが湧いた。コールは店によって掛け声が違うが、高額な酒を注文した客に対する感謝のエールで、場を盛り上げる。シンジのカン高い「こちらのお姫さまからいただきましたぁー」が店内に響き渡り、視線が集まった。客の名前を大声でコールするのは遠慮して、こういう場合は“お姫さま”と呼ぶのが習わしだ。
「龍志くん、タワーやろうかな、いいでしょ!」
「愛子さん、本当に? 感謝します」
俺の太腿に左手を乗せたまま、愛子は向こうのテーブル客を睨んで言い放った。
「ハーイ、お姫さまタワーにご注目!」、マコトは叫びながら立ち上がり、リズミカルに頭と腰を振ってダンスを披露して賑やかにアピールを始めた。龍志と愛子の前にシャンパンが注がれる贅沢なひとときは、タワー周囲のテーブルからもホストたちのコールが飛び、テンションは最高潮になった。
ノリにノッタ楽しい雰囲気の中で客同士が競争して、我も我もと高い酒をオーダーするムードを作るのがホストの任務だ。自分の客がそのムードに焦って、あのテーブルには負けたくない! そう思ってシャンパンタワーをオーダーすることも多々ある。学生なら「イッキ! イッキ!」の掛け声だろうが、ホストたちの「もっと! もっと!」のコールが続いた。
積み上げられていくシャンパンタワーを眺めて、俺は背一杯の笑顔と「もっともっと欲しい! もっともっと欲しい!」とねだりながら、まったく違う世界を思い出していた。
俺は特に秀才でもなかったが、運が良いのか実力以上の新潟県立大学に進学した。高卒の親父は郵便局に勤め、胸まで雪が積もった日も郵便配達をして家族を養った。そんな親父を哀れんだ俺は、雪に埋もれながら配達を手伝ったことがあった。都会では考えられないが、俺が育った新潟の山間部は民家はぽつんぽつんと点在し、隣家までかなりの距離がある地区が多い。親父の口癖はいつもこうだった。
「これからの男は大学を出ないと社会では通用しない。お前は絶対に大学に行け! それくらいの金はある、わかったか!」
俺は大学3年の夏、地元の小さな信用金庫に就職が決まり、両親は大喜びした。「これで龍志の一生は安泰だ!」、親父は目に涙を溜めていた。
「龍志さん、どうしたんです? 虚ろな顔で。ははあー、ハッピィなラブ・ナイトを思い出したんですか?」
大人びたセリフを吐くシンジに、俺は我に返った。
タワーはさらに積み上げられ、店内は「グイグイこい、さあこい!」コールがコダマした。10段のタワーに使うシャンパンは約60本を越し、グラスは400個近く必要だろう。
オーダーした愛子は満足げに「龍志くん、これでいいかしら?」、俺の頬にプチュとキスした。
「確か龍志くんの誕生日は来週でしょ、でもその日は海外なの、ごめんなさい、お祝い出来ないのよ。だからタワーを頼んだの。さあ、龍志くんの happy birthday を始めましょう!」
割れんばかりの拍手の渦でシャンパンのビッグタワーは終焉した。
閉店後、俺は愛子を誘ってイタリアンレストランで食事をし、別れ際にありがとうと抱きしめた。午前3時、やっと今日が終った。自宅へ戻り、SNSでニュースを拾い、朝刊で世の中の動きを確かめ、眠りに着いた。
昼近くに起きたが、何だか重だるい気分だった。最近ご無沙汰気味のお客様に甘い言葉を並べたメールを送り、昨日のお客様全員にLINEでお礼のメッセージを届け、再びベッドに転がった。ああ、かったるい、おっくうだ。そうだ、デリヘルを呼ぼう。俺がリクエストする店は決まっていて、安心できる店だ。しばらくして白のセーターにスリムパンツの子がやって来て、部屋に入ってインコールした。
(インコール=デリヘル嬢は客が待っている場所へ到着した時と仕事の終了時に、必ず自分の店に電話かSNSで連絡する。前者をインコール、後者をアウトコールと云う)
本気で惚れると違うかも知れないが俺は客を抱かない、抱かれないと決めている。それで時々はデリヘルの子に体を預けて甘えさせてもらう。女の子に優しくされると気持いい、そう、そうだ、そんな感じだ。一瞬の安らぎの恍惚感に漂った。全身が軽くなった気がしてすっきりした。さあ、今宵の同伴のお客様はいるかな? お返事メールを見ていたら、同伴はいつも和服の志田淳子か。
よし、戦闘準備だ、何かプレゼントが必要だと考えた。ありきたりの品ではダメだ。地味なスーツをバシッと決めて、perfumeはDIOR SAUVAGEにした。それから東銀座に店を構える京扇の宮脇賣扇庵に寄り、爽やかな絵柄の扇子を手に入れた。
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