第2話 雪河月乃は知っている

 俺の気まぐれが後悔に変わったのは、それからすぐのことだった。


『~♪』


 カラオケに到着してから、端から順にマイクが回されていた。

 今は確か――――そう、山中君が歌っている。

 この場を設けた桃木たちは一通り最初に歌った後、雑談していたり、スマホを弄っていたりした。

 その様子を見るに、すでにこの状況に飽きが来ているらしい。

 人によってはなんとか一軍に気に入られたいと思ったのか、受け狙いの曲を入れたりして工夫をしていたが、これが一切刺さらず。

 もはや諦めた者たちは、お互いグループ作って二軍、三軍に甘んじようとしていた。

 何一つ動こうとしない俺が言うのもあれだが、賢明だと思う。

 苦しむと分かっている高望みは、避ける方が賢い。


(そういえば……雪河は何も歌わなかったな)


 周りと一緒にスマホを弄っている雪河の方に視線を送る。

 組まれた剥き出しの太ももに一瞬視線が吸い寄せられそうになるが、俺はそれを懸命に堪えた。

 雪河の表情は、とても楽しそうには見えない。

 もしかして、雪河が教室で声をかけてきたのは、自分も参加したくないと思っていたから?

 ――――いや、まさかな。

 一軍のリーダーである彼女が、わざわざやりたくないことに付き合う必要はない。

 面倒だからやめよう、そんな言葉一つで、グループの意見を曲げてしまえるのだから。 


「……ねぇ、次永井の番だよ?」


「へ?」


 突然声をかけられ、俺は雪河から意識を逸らす。

 いつの間にか目の前に桃木が立っており、俺に向けて曲を入れるための端末を差し出してきた。


「へ? だって。やっぱ反応おもろいね、君」


「おもろいって何……?」


「おもろいもんはおもろいの。ほら、永井の番だから、さっさと曲入れなよ」


「……」


 俺はひとまず端末を受け取る。

 何故桃木がわざわざ俺に端末を持ってきたのかは分からないが、俺の番であることは間違いないらしい。

 さて、どうしたものかと考える。

 人前で歌うなんて勘弁願いたいが、桃木が来たことで一軍の面々の視線が俺の方に向いており、歌わないという選択肢が許される雰囲気ではない。

 まるで一発芸でもやってみせろと言われている気分だ。

 

「ほら、早くー」


 桃木に急かされるまま、俺は曲検索を始めた。

 というか、何故こいつは俺が入力するところを見ているのだろう。

 いくら退屈になってきたからといって、陰キャが文字を打つところなんて見るに堪えないと思うのだが。


(……これでいいか)


 ひとまず目当ての曲を見つけた俺は、それを機器へと送信する。

 

「その曲『アブソ』じゃん!」


「え、知ってる?」


「アブソは有名だから知ってるよ。永井の入れた曲は知らないけど」


『アブソリュート』略してアブソ。

 彼らは日本のロックバンドであり、年末の歌番組にも出演するほどの人気を誇る、まさしくスターである。

 最近では大ヒット映画の主題歌などを務め、さらに人気を高めていた。

 そんな彼らの曲を入れたわけだが、ここにいる人間でこの曲を知っている者は、おそらくいないだろう。

 この曲はアブソリュートの黒歴史とされている、アニメ『トゥエンティナイツ』の劇中歌だ。

 二十人の騎士が最後の一人になるまで殺し合う、一見重たく感じるあのアニメ。

 しかしその重たさは表面だけであり、実際は大して思い入れもないキャラたちが、よく分からないまま死んでいくクソアニメである。

 世間から全く評価されなかったという面から、オタクではない一般人が知っている可能性は、極めて低い。

 アブソリュートもこのアニメに曲を提供したことを黒歴史だと思っているようで、中々ライブやアルバムには収録されない珍しい曲となっている。


(逆にアブソの曲で知ってるの、これくらいなんだよなぁ……)


 俺の曲のレパートリーは、オタクらしくアニソンばかり。

 しかしまさにアニソンといった曲を歌うのはさすがに抵抗があり、最終的に残った候補が、この曲だった。


(適当に歌って終わろ……)


 俺は心を無にして、淡々と曲を歌い上げる。

 決して上手くはないであろう俺の歌声。

 それでも何故か、雪河と桃木だけは、スマホを弄らずちゃんと最後まで聞いてくれていた。




「――――ふーん、いい曲じゃん。曲名覚えたよ」


 そう言い残し、俺から端末を受け取った桃木は元の席へと戻っていく。

 なんとか自分の番を乗り越えたわけだが、正直居心地はさらに悪くなってしまった。

 一軍女子に絡まれたことで、彼らに憧れるグループから妙な視線を送られるようになってしまったのだ。

 自分たちよりも冴えないって思ってた奴が、一軍の中心メンバーである桃木に声をかけてもらっている。

 彼らとしては、それが面白くないのだろう。


(一応歌ったし……もう帰ってもよくないか?)


 そんな風に考えた俺は、席を立って桃木たちの下へ向かう。

 

「ごめん、用があるからそろそろ帰るよ」


「あ、マジ?」


 一軍メンバーと雑談していた桃木に声をかけると、彼女は鬼島の方へ視線を送った。


「鬼島ー、今日一人いくらだっけ?」


「あー、フリータイムで一人千二百円だな」


「おっけー。永井、悪いけど千二百円置いてってくれる?」


 俺は一つ頷き、財布から取り出した千二百円をテーブルの上に置いた。


「あんがとね。じゃ、また学校で」


「ああ、また学校で」


 そう言い残し、俺はそそくさとカラオケを出た。

 そのまま早歩きで駅に向かった俺は、ホームで電車を待つ。

 浮きたくなくて参加したのに、結局予期せぬ形でクラス中から敵視される羽目になってしまった。

 一体桃木はなんのために俺を構ったのだろうか。

 陰キャを弄びたかったと言われれば、まだ納得がいくが――――。


(……結局自分は変えられない、か)


 いい機会だと思ったのに、自分にとっての嫌な空気から逃げ出して、結局一人で帰ろうとしている。

 なんとも情けない。しかし、この苦しみを無理に乗り越えてでも友人が欲しいかと言われたら、その答えはノーだった。

 

「はぁ……」


 ホームのベンチに腰掛け、天を仰ぐ。

 誰の力も借りず、誰のことも頼らなくていいまま生きていけたら、こんなに苦しまずに済んだのに。

 そんな風に考えてしまう自分が、ますます嫌になる。

 鬱々とした気持ちの中、俺はトゥエンティナイツの作中に出てくるセリフを思い出した。


明日なんてこ・・・・・・なけりゃいいのに・・・・・・・・


「――――いいセリフだよね、それ」


「ああ、このセリフだけは本当によかった……って」


 聞こえるはずのない声が聞こえ、思わず椅子から立ち上がる。

 そこにいたのは、息を切らし、顔をわずかに赤くした雪河月乃だった。


「はぁ……やっと追いついた。あんた歩くの速すぎ」


「お、俺を追ってきたのか? なんか忘れ物とかしたっけ……」


「忘れ物じゃない。あんたと話がしたかったから、追ってきただけ」


「俺と話……?」


「何その信じられないって顔」


「いや、だって雪河と俺ってなんの接点もないしさ」

 

「さっきできたよ、接点」


「……?」


「あんた、トゥエンティナイツ知ってるんでしょ?」


 その言葉を聞いて、俺は目を見開く。

 驚いた。まさか雪河の口からその名前が出るなんて。

 何度も言うが、トゥエンティナイツは本当にマイナーアニメなのだ。

 割と古いアニメだし、高校生が知っている可能性はほとんどない。

 ましてや雪河みたいなギャルが知っているとは、夢にも思っていなかった。


「私、好きなんだ。トゥエンティナイツのこと。だから……知ってそうなあんたと話してみたくて」


「……マジか」


「少しでいいから、私に時間くれない?」


 あまりの出来事についていけなくなっていた俺は、雪河の問いかけに対し、思わず頷いてしまっていた。

 この日を境に、俺の人生は少しずつ予期せぬ方向へと進んでいく――――。

 


 

 

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